『「若者の読書離れ」というウソ』
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「若者の読書離れ」はウソ。泣ける、エモい、中高生が好きな本の3大ニーズとは?
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
かつて読書に関するインタビューを受けた際、出だしから「本を読まない大学生が○%もいるというデータがありますが、どう思われますか?」と聞かれ、なんだか残念な気分になったことがありました。
「たしかに読書人口は減っているのでしょう。しかしそれでも、書店には熱心に本を探す人の姿がありますし、図書館にもたくさんの人がいます。闇雲に否定的な部分を強調するのではなく、むしろそちらに目を向けるべきではないでしょうか?」
こう答えたのですが、とはいえ現実的に「読書人口が減った」という意見を過度にクローズアップする人は多く、しかもそれは「とくに子どもが本を読まなくなった」という極論につながっていきやすいとも感じます。
けれども『「若者の読書離れ」というウソ: 中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか』(飯田一史 著、平凡社新書)の著者によれば、事実はちょっと違っているようです。
子ども・若者の読書に関しては誤ったイメージが蔓延している。まず、「子どもの本離れ」は進んでいない。小中学生の書籍の読書に関しては2000年代以降、不読率・平均読書冊数ともにV字回復している。(「はじめに」より)
この点については本編において、エビデンスたる具体的な数字が明らかにされているのですが、にもかかわらず“古いイメージ”がなかなか消えないわけです。この点について著者はふたつの理由を挙げており、まずそのひとつ目は、実態ではなく「たぶんこうなんだろう」という“イメージ”に基づいた提言がなされていること。
もうひとつは、大人が考えた「こうあるべき」「こうするべき」という“べき論”や“打ち手(施策)”、あるいはよいか悪いかといった“評価”の話から入ってしまいがちだということ。
「子どもの本離れ」は、過去の話
小中高生の書籍の平均読書冊数、不読率(一冊も本を読まない人の割合)については、全国学校図書館協議会(全国SLA)が毎年行っている「学校読書調査」が参考になるようです。
歴史の流れを簡単にまとめると、1980年代から1990年代までにかけてはいわゆる「本離れ」が進み、1990年代末に平均読書冊数と不読率は史上最悪の数字となっている。
しかし、2000年代にはどちらもV字回復を遂げ、2010年代になると平均読書冊数は小学生は史上最高を更新、中学生は微増傾向を続け、高校生はほぼ横ばいだが、過去と比べて「本離れが進行している」とは言えない。(16ページより)
ちなみに2000年台にV字回復を遂げたのは、1990年代末から、官民が連携した読書推進の動きが本格化したためだといいます。いずれにしても、「子どもの本離れが進んでいる」という事実は存在しないわけです。(16ページより)
中高生が好むフィクションの3大ニーズ
では、子どもたちはどんな本を読んでいるのでしょうか? そのことに関連して興味深いのは、著者がここで「10代の子たちが発達上どんな傾向を持つのか」に注目している点。
フランシス・ジェンセン、エイミー・エリスナット『10代の脳 反抗期と思春期の子どもにどう対処するか』(文藝春秋)を引き合いに出し、「10代の脳の特徴は、情動の揺れ動きが激しく、衝動性が激しい」ことだと指摘しているのです。
さらに、そのことを踏まえたうえで中高生が読んでいる本を眺めていくと、3つのニーズを満たしていることが推察できるのだとか。ひとつずつ確認してみましょう。
1. 正負両方に感情を揺さぶる
泣ける、こわい、ときめく、笑える、切ない、スカッとする……などの感情に激しく訴えかける要素が含まれている本だということ。しかもただ「哀しい」「楽しい」一辺倒ではなく、アップダウンがあったほうがより好まれる傾向にあるようです。
重要なポイントは物語終盤に“エモさ(感情の昂り)”が爆発する作品であることで、地味で感情を動かされる度合いが少ない話は受けないということ。また、たとえば「知的である」「文体が流麗である」など、情動を揺さぶる以外の要素は(あってもいいが)必須ではないようです。(71ページより)
2. 思春期の自意識、反抗心、本音に訴える
好まれているのは、子どもや若者が自立に向かって保護者や教育者の考え・教えを相対化し、他者の視線を気にするようになり、親しい人間にもいえないようなことを抱えるようになる時期にふさわしい内容。端的にいえば、「思春期らしい感性に刺さる」ということなのでしょう。
そのため、大人が子どもに説教するようなきれいごと、正論、押しつけがましいだけの話、「いい子」なだけの主人公は好まれないわけです。とはいえ、最初から最後まで斜に構えているだけで内面を吐露しないものとか、読後に不愉快な気持ちになるもの、単につらいだけの話も好まれないそう。
いいかえれば、普段、友人や家族にいえないようなモヤモヤ、イライラ、不安や不満、反抗心、切実な想いなどをキャラクターが代弁し、消化してくれるものが求められているということです。(71ページより)
3. 読む前から得られる感情がわかり、読みやすい
語彙が平易で、描写が少なく、設定やストーリーラインがシンプルなほうが好まれる傾向にあるそう。また、泣ける、エグい(残酷で心をえぐる)、キュンとするなど、「読む前から読後感がイメージできる」ようなタイトルや設定、あらすじ、カバーその他のパッケージングも大きな意味を持つといいます。
つまりは読む前、パッと見の段階で「エモそう」「ヤバそう」というような予感を与えてくれて、すらすら読める内容であり、たとえ細切れに読んだとしてもすぐに話の筋やキャラクターが思い出せるものであるということ。
また、こうした傾向を効率的に満たすための「4つの型」が存在するというのも興味深いところ。
① 自意識+どんでん返し+真情爆発
② 子どもが大人に勝つ
③ デスゲーム、サバイバル、脱出ゲーム
④ 「余命もの(死亡確定ロマンス)」と「死者との再会・交流」
(第二章から抜粋)
この4つの型はライトノベル、ライト文芸、一般文芸をまたいで確認できるといいます。(70ページより)
これらを確認してみれば、旧来的な価値観の持ち主は多少なりとも「けしからん」と感じるのかもしれません。が、「泣ける」「エモい」が基準になっているからよくないという考え方こそがナンセンスなのではないでしょうか? 重要なのは、「それらからなにを感じ、そこからどこへ向かっていくのか」であるはずだからです。
それになにより、「『子どもの本離れ』は進んでいない」という事実に救われる部分があるように感じます。
Source: 平凡社新書