『黄金比の縁』
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『スキサケ!』
- 著者
- 問乃みさき [著]
- 出版社
- ディスカヴァー・トゥエンティワン
- ISBN
- 9784309031156
- 発売日
- 2023/07/21
- 価格
- 1,760円(税込)
[本の森 仕事・人生]『黄金比の縁』石田夏穂/『スキサケ!』問乃みさき
[レビュアー] 吉田大助(ライター)
無類の筋トレ小説『我が友、スミス』ですばる文学賞佳作を受賞しデビューした石田夏穂は、女性の身体性やジェンダーをテーマに扱う書き手として知られている。が、サラリーマンの労働現場をリアリティたっぷりかつコミカルに描く書き手でもある。『黄金比の縁』(集英社)のヒロイン・小野は、Kエンジニアリングの人事部員だ。入社二年目まではプラント(工場)設計に携わるエンジニア職に就いていたが、ジェンダー絡みの事件に巻き込まれ当該部署に飛ばされた。三名しかいない新卒採用チームの一員として、十年にわたり勤め上げてきた仕事へのモチベーションは、会社への復讐心だ。顔の縦と横の黄金比を満たす者を選ぶと、入社三年以内の退職率が上がる――。誰にも知られることのない独自メソッドの創出と運用、カイゼンの日々は、他者からは仕事への勤勉さとして目に留まるというギャップが笑いを誘う。
いくら「公正かつ客観的」な選考をお題目に唱えていても、人が人を選ぶという行為には否応なしに、採用担当者の主観と独断が関わってくる(例えば――〈この仕事から何か学んだことがあるとすれば、それは、人間は所詮「自分っぽい」人間が好きだということだ〉)。この罪深さについて、新卒採用チームの他のメンバーは「縁」の一語に全てをなすりつけることで、溜飲を下げる。主人公は、それができなかった。選考は、採用担当の主観と独断で決まる事実をとことん認識し、自分で選ばずに済ませる方法を編み出した。黄金比による独自メソッドは、他者の運命を決める、という仕事のストレスから身を守る術でもあったのだ。当初の印象とは異なり、主人公が会社に抱いている感情は復讐心だけではないのかも……となってからの、もう一捻りが素晴らしい。同僚から「真面目」と評される人物の面白さと内面のヤバさ、というデビュー作以来のモチーフが厚みを増している。
ライト文芸で活躍してきた問乃みさきの単行本デビュー作『スキサケ!』(河出書房新社)は、総合情報サービス企業・ピークスで、ウェブエディターとして働く杉崎健作が主人公。堅実な仕事ぶりで知られる人物だが、派遣社員の山田さんのことを好きすぎるあまり社内での接触を避け無視してしまう、「スキサケ」を発症中だ。そんな山田さんがハラスメントに苦しんでいると知り、杉崎は人事部が立ち上げた「ハラスメント相談室」の相談員に就任。実は、社内には正体不明のパワハラモンスターが潜伏していて……。各種ハラスメントに対して、被害者意識のスイッチは誰でもすぐ入る。大事なことは、加害者意識に敏感になって自己を観察・制御することなのだ。それを裏付ける展開が、後半部で待ち構えている。
会社という運命共同体の一員であることには苦痛もあれば、そこでしか得られない歓びもある。そして、歓びの種類は苦痛と同じかそれ以上に千差万別だ。全く異なる歓びを描いた二作は、その真実を教えてくれた。