「行き先は鰻に聞いてくれ」。落語とマルクス「資本論」との意外な関係

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

落語で資本論

『落語で資本論』

著者
立川 談慶 [著]/的場 昭弘 [監修]
出版社
日本実業出版社
ジャンル
社会科学/経済・財政・統計
ISBN
9784534060310
発売日
2023/07/28
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「行き先は鰻に聞いてくれ」。落語とマルクス「資本論」との意外な関係

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

タイトルから想像がつくように、『落語で資本論 世知辛い資本主義社会のいなし方』(立川談慶 著、的場昭弘 監修、日本実業出版社)は「マルクスの『資本論』を落語で読み解くことはできないものか?」という大胆な発想から生まれた書籍。

意外すぎるようにも思えますが、そもそも立川談志の弟子である著者は、落語家である以前に、慶応大学でマルクス経済学を専攻したという過去の持ち主。そこで、同学の先輩であり、日本を代表するマルクス研究者としても知られる的場昭弘氏のサポートのもと、独自の世界観や処世術を展開しているのです。

マルクスは、世の中のあらゆる前提を疑い、批判の筆鋒を向け、大英図書館に通って書物を漁りまくり、後に『資本論』を著すに至ります。

談志も十代で時の演芸評論家から絶賛され、売れまくり、マスコミ界の寵児となり、国政にまで進出し、「伝統を現代に」を標榜し、ついには落語協会を脱退し、自ら家元を名乗る「落語立川流」を設立しました。そんな談志の理念の一つが、「落語とは人間の業の肯定である」という歴史的な落語の定義であり、これをはじめとするいくつもの落語の理論化を打ち出しました。(「序章のようなまえがき」より)

とはいえ、落語と「資本論」では時代も背景も成立過程も異なるだけに、やはりなんの接点もなさそう。しかし、まったく性質の違うもの同士だからこそ、現代、そして未来につながるのではないか」という“根拠のない予感と期待”があると著者はいうのです。

そうした考え方に基づいて書かれた本書の第1章「労働(はたらく)」のなかから、きょうは「労働力とは商品であるーー『素人鰻』」をクローズアップしてみたいと思います。

マルクスが伝えたいことは?

ある商品の消費から価値を引き出すためには、貨幣所有者は、流通圏内部すなわち市場においてその使用価値自体が価値の源泉となるような独特の性質を持つ商品を運良く発見する必要がある。

その商品は現実にそれを消費すること自体が労働の対象化、すなわち価値創造となるような商品でなければならない。そして事実、貨幣所有者は市場でこのような特殊な商品を発見するーー労働能力すなわち労働力がそれである。

マルクス『資本論』第一巻四章(23ページより)

『資本論』が難しいのは、独特のレトリックと文体、そして聖書由来のキリスト教用語で書かれているからだと著者は指摘しています。なるほど、そのとおり。したがって上記のような難しい文章に立ち向かうためには、思考の抽象度を上げる必要があるのです。

『池上彰の講義の時間 高校生からわかる「資本論」』(集英社)を繙いて、抽象度を上げて読み直してみますと、要するに、使えば使うほど増えてしまう魔法のような商品こそ、労働力なのです。そして、それを利益として得られるのは、資本家だけということなのではと思います(多分)。(25ページより)

そのため、「マルクスのいいたいことはなんだったんだろう」ということに常に思いを馳せながら読んでいくと、おぼろげながらもじわりとその骨子が見えてくるーー。『資本論』とは、そんな書物なのかもしれないと著者は述べています。(23ページより)

行き先は鰻に聞いてくれ

工業化が進展する前の江戸時代には資本家という存在はまだ生まれていなかったため、江戸町人たちは、自分が稼げる身の丈に合った労働だけで生活していました。そのため、身の丈以上に稼ごうとしたり、お金を貯め込もうとするような人間を本能的に毛嫌いしていたようです。

そんな実践的美学が職人たちに根づき、「武士は食わねど高楊枝」というダンディズムが象徴するように、やがて武士などにももてはやされるようになっていきます。

また、そうした“江戸っ子らしさ”がかっこよさとして継承される一方、経済観念のない職人および武士階級(早い話が商人以外)は、江戸も末期に近づいて資本主義化するにつれ没落していきます。「士農工商」という身分制度のなかでいちばん下だった商人たちが、武士階級に金を工面するなどして発言力を高めていったのです。

そんな流れのなかで明治維新が訪れただけに、武士階級が失業することになるのは当然の流れ。そこで元武士階級には、武士から士族になった奉還金(退職金)が支給されることになります。それを元手に商売を始めた士族が多くいたわけですが、当然のことながらうまくいくはずもありません。

持ち前のプライドの高さ(抜けきれない特権意識)からくるコミュニケーション能力のなさから、ほぼ商売は失敗してしまうのです。

これがいわゆる「士族の商法」。ここで紹介されている「素人鰻」という落語は、こうしたバックボーンを持っているのだそうです。少し長くなりますが、あらすじを引用しましょう。

一人の武士が、神田川の金(きん)という鰻職人の勧めで奉還金をはたいて鰻屋を開業します。さて、この金という男、腕はいいのですが、酒癖が悪いというキャラです。それでも、その武士に厄介になったという恩義から、一所懸命に働くと誓います。ところが、開店したその日、勧められた酒に酔って暴れ、主人に追い出されます。その翌日、反省の色を見せて帰ってきた金は、許されて店に出ますが、この日も酒を勧められて飲んだ挙句に、暴れてしまいます。

武士はまたまた金を店から追い出すのですが、職人のいない店は立ちゆかなくなります。しびれを切らした武士が、「金が来ないのなら、わしがやる!」と慣れない手つきで鰻を捕まえ、調理しようとするのですが、うまくいきません。

やっとの思いで鰻を捕まえようとするのですが、つかんだ手から先へ抜けていくため、武士はそのまんま表へ飛び出していきます。ぬるぬるした鰻を手にしたまんま、通りすがりの人に「どこに行くんだい?」と聞かれて、「いや、わからん、前に回ってうなぎに聞いてくれ」。(22〜23ページより)

少し飛躍はするものの、この「行き先は鰻に聞いてくれ」というオチは、「責任は俺にはない」という意味ではまさに「資本主義の行く末」にも聞こえるのではないだろうかと著者は記しています。

この落語に対する買いかぶりかもしれませんが、資本主義は放っておくと、環境まで破壊すると予見したのがマルクスなのですから、カネばかり稼ごうとしている資本家にその行き先を尋ねても、「前に回ってこの投資した分のカネに聞いてくれ」と言いそうな気がしてなりません。

誰もが「その先」を想定できない、不確実性の高いシステムが資本主義社会なのですから。(28ページより)

たしかにそう考えて接してみると、落語と「資本論」との接点を見つけ出すことができそうです。ちなみに「素人鰻」は鰻を扱うパントマイムこそがすべてというネタで、桂文楽師匠の十八番だったそう。動画を確認してみれば、さらに楽しめそうではあります。(25ページより)

この国の経済状況はいま、150年以上も前に書かれた『資本論』の描く通りになっていると著者はいいます。だからこそ、マルクスの主張を探るために、落語の演目や談志のことばを通して談慶流の『資本論』を披露したいのだとも。的場氏の理論的なツッコミも魅力になっている本書は、落語とマルクスを無理なく結びつけてくれることでしょう。

Source: 日本実業出版社

メディアジーン lifehacker
2023年8月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

メディアジーン

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク