まったく新しい貴種流離譚  宮城谷昌光『公孫龍 巻3』

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公孫龍 巻三 白龍篇

『公孫龍 巻三 白龍篇』

著者
宮城谷 昌光 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104004300
発売日
2023/08/18
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

まったく新しい貴種流離譚

[レビュアー] 澤田瞳子(作家)

澤田瞳子・評「まったく新しい貴種流離譚」

 辞書的な説明をすれば、公孫龍は紀元前三世紀頃に生きた古代中国・戦国時代の弁論家。趙国・平原君の食客となり、全三巻の著作『公孫龍子』の断片などによって「白馬非馬論」などの思想が今日に伝わる。

 宮城谷昌光は本作で、そんな公孫龍を周の王子稜として登場させる。王宮の陰謀によって命を狙われた彼は、自らは船が覆って死んだと偽り、商人・公孫龍として生まれ直す。彼を取り巻く多くの人々との出会いと別れ、身を寄せた趙国、そして燕国での争いは更に公孫龍を戦国の動乱に巻き込んでいく。

 宮城谷昌光が大作『楽毅』『孟嘗君』を筆頭に、中国の春秋戦国期を舞台とする作品をすでに多く刊行していることについては、今更語るまでもあるまい。それらの作品の主人公たちや逸話に他の側面から接することができるのも、本作の嬉しい読みどころ。おかげで過去に刊行された宮城谷作品までついつい引っ張り出さざるを得ぬ点は、ファンとしては楽しい悲鳴である。

 だが極めて個人的な感想が許されるのであれば、わたしは本作が公孫龍という元王子の貴種流離譚として描かれている点に注目したい。本巻「白龍篇」に先立つ「赤龍篇」において、公孫龍は稀代の軍略家として知られる楽毅を得るべく、奔走する。だがその一方で彼は決して戦や政争ばかりに明け暮れるわけではない。かつて斉国の兵士に妻子をさらわれた旭放の悲しみに触れた公孫龍は、邯鄲への途上、かつてある女性が身を投げたという井戸を通りかかり、それは旭放の妻ではと思いを馳せる。そして本作では自ら同様に貴種の血を引く少年を新たな世界へと導き、家族を失った旭放との絆を結ばせる。

 思えば趙の主父と様々な気性を持つ息子たち、永俊を中心とする家族三代など、激動の時代を描く本作には、多種多様な家族の親子のありかたが描かれる。そんな彼らの絆が、自らの国と家族を失い、今後も妻帯はせぬと誓う公孫龍によって結わえられてゆく点は、周囲に様々な奇跡を起こしながらも、自身はその苦悩から抜け出すことができぬ貴種流離譚の典型を想起させる。

 ただここで注目すべきは、公孫龍自身は自らの生きざまを苦難とは思っておらず、「生きている時間を人一倍大切にし、しかも死を恐れていない」との域に達していることだ。それだけに周囲が公孫龍を貴種と見破ったとしても、彼自身はもはやその立場に何の執着も示しはしない。むしろ仮にそうだとしてもと前置きしながら、人間の権威と幸福のありかたとは何かと反対に問い返す。そのかたわら、自らに仕える者たちの子どもたちにも眼を向け、新たなる世代へと思いを馳せる彼は、もはや流離する貴種を越えた新たなる貴種に達している。

 ネタバレになるため詳しく述べられないが、本巻では冒頭に述べた辞書的存在としての公孫龍について、そう来たか!とつい叫びたくなる仕掛けも巡らされている。しかもそれが爽やかな風が吹き通るに似たこれまでの公孫龍の行状とは裏腹に、ある人物の思わずくすりと笑いたくなる登場の仕方によって描かれる点は、実に心憎い。この人物が今後、どのように我らが公孫龍と関わるのか、早くも次の巻が楽しみでならない。

 それにしても近年は、若き始皇帝の世を描いた原泰久『キングダム』が大ブーム。わたしも周囲の勧めを受け、遅まきながらようやく一巻から読み始め、どっぷりとエイ政(後の秦の始皇帝)を取り巻く人々の活躍にハマってしまった。ただそれ以外にも荘子の孫を主人公とする『達人伝』(王欣太)、張良の視点から項羽・劉邦を描く『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』(川原正敏)など、コミック分野における古代中国人気は留まるところを知らない。日本古代史好きのわたしとしては、正直いささか悔しい限りだが、もはや今日の日本人にとって、中国古代史は本邦の古代史以上に親しみ深い時代と言っても過言ではなかろう。

 その根強いブームの立役者が誰かと言えば、これはもう宮城谷昌光以外にはありえまい。かつて司馬遼太郎は『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』、『最後の将軍』などの数々の作品によって、日本人に鮮烈な幕末イメージを植え付け、我々をその時代に親しませた。同じことが現在、宮城谷昌光によって行われ、我々はいま遠い古代中国へと心を馳せることができる。

「歴史が歴史であるためには、常に創造が必要である」とは宮城谷昌光のエッセイ集『他者が他者であること』(文春文庫)の一節である。我々は氏の歴史小説を通じて、かつて確かにあった過去を垣間見る。それこそが歴史小説の醍醐味であることは、もはや疑いようはない。

新潮社 波
2023年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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