病名が付けられない「病み」からどう立ち上がっていくか。 青山美智子『リカバリー・カバヒコ』刊行記念インタビュー

インタビュー

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リカバリー・カバヒコ

『リカバリー・カバヒコ』

著者
青山美智子 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334100520
発売日
2023/09/21
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『リカバリー・カバヒコ』刊行記念 青山美智子ロングインタビュー

[文] 光文社


青山美智子さん

病名が付けられない「病み」からどう立ち上がっていくか

三年連続で本屋大賞にランクインするなど注目を集める青山美智子さんの最新作『リカバリー・カバヒコ』は、章ごとに異なる主人公=視点人物たちとカバヒコの交歓を軸に据えた連作短編集だ。新築分譲マンションのアドヴァンス・ヒルのすぐ近く、日の出公園に設置された古びたカバの遊具(アニマルライド)は、住人たちからカバヒコの愛称で親しまれている。カバヒコには、自分の体の治したいところと同じ部分を触ると回復する、という伝説があって──。過去作と共鳴する部分もありながら、まばゆいばかりの特別な輝きを放つ本作には、書き手自身のリカバリー(回復、修復)の経験と記憶が込められていた。

青山版「とげぬき地蔵」は公園にいるオレンジ色のカバ

――老若男女さまざまな登場人物たちが抱える人生の問題をリアリティたっぷりに綴り、そこからの鮮やかな回復を描き出していく全五話、堪能しました。『ただいま神様当番』(二〇二〇年)をはじめとする青山作品に馴染みがある人であれば、カバヒコが動き出して喋り出すぞ、と想像するのではないかと思うんです。ただ、違いますよね。リアルとファンタジーのバランスを今回、どのように意識されたのでしょうか。

 これはファンタジーではない、と最初から決めていました。私の今までの作品は、『猫のお告げは樹の下で』(二〇一八年)のミクジや『ただいま神様当番』の神様、『お探し物は図書室まで』(二〇二〇年)の小町(こまち)さんといったキーパーソンを一人置いて、その人の言動をきっかけに他の登場人物たちの人生が動き出していく、そこでファンタジー的なことが起こったり起こらなかったりしていたんですが、カバヒコは喋らないし動かない。今までで一番何もしないキーパーソン……アニマルです(笑)。でも、なぜか周りはカバヒコが何かしてくれたかのように感じている。ご利益は本当にあるんですよ。みんなの思いが込められていった結果、そういった特別な存在に育っていったんだと思うんです。その意味で、ファンタジーではないんだけれども、都市伝説っぽいお話ですね。

――こういう存在、こういうスポットってあるよなぁという感覚もしたんです。着想のきっかけはありましたか?

 巣鴨(すがも)にある、とげぬき地蔵です。カバヒコと同じで、具合の悪い所を触ると「とげ」が抜けて治る、というご利益があるお地蔵さんですね。とげぬき地蔵みたいなお話を書きたいなぁとずっとアイデアをストックしていたんですが、お地蔵さんに当たる存在を何にするかは決まっていませんでした。最初の打ち合わせで編集者の方々といろいろ話していたら、何の変哲もない公園の古いカバっていうところに落ち着いたんです。

――今、話が急に飛躍した気がします(笑)。

公園が先だったのかな。たくさんの人がふらっと訪れる場所としての公園が先にあって、そこから導かれるようにして、カバに(笑)。ただ、カバの遊具のアニマルライドを画像検索してみたら、怖い見た目のものばっかりだったんです。ぐわーっと口を開けていたりとか、ちょっと引いちゃうようなデザインが多かった。そんな中で唯一、愛知県の公園にいるらしいんですが、オレンジ色で口も閉じているかわいいカバを見つけた瞬間に「これだ!」と。カバヒコ、という名前もすぐ浮かんできました。

――では、「リカバリー」という要素は後からついてきた?

 後付けですね。「カバだけにリカバリー」は、自分の中にいるおじさんが発動して生まれたダジャレでした。その辺りのイメージが固まってからは、早かったです。小学生からおじさんまで五人ぐらいの登場人物がメインで出てきて、それぞれどんなことに困っていて、カバヒコのどこを触るのか。私、映像型なんですよ。各話の予告編みたいな映像が頭の中に浮かんでいて、それを転写するタイプの書き手なんです。実は、小説誌で連載するのは今回が初めてだったんですが、最初に見えていた景色がたくさんあったおかげで、それほど迷うことなく書き始めることができました。完成までには予定より時間がかかってしまったんですけど。

――当初は三ヶ月に一度ぐらいのペースでの連載でしたが、第4話(「小説宝石」二〇二二年一一月号)、そして最終第5話(同誌二〇二三年五・六月合併号)はインターバルが空きました。

 実は、去年の四月に体調を崩して、第4話は締め切りを少しずらしてもらったんです。そこで一度は治ったと思ったんですが、一一月に入院をしてしまい、最終話は無期限でお待たせするかたちになってしまいました。今でもよく覚えているんですが、編集者さんと初めて『リカバリー・カバヒコ』の打ち合わせをしたのは二〇二〇年の五月で、どこのお店に行ってもコロナ対策のアクリル板がある時だったんです。その時の自分は元気いっぱいの状態だったので、カフェでアクリル板越しにカバの話をしながら、「世界のリカバリーの願いを込めて書きます!」という気持ちだったんですよね。それが、だんだん世の中が落ち着いてくるのとスライドして具合が悪くなってきて、私自身がリカバリーしなければいけない状態になってしまった。休んでいる間、体の回復ということについてすごく考える時間があったんです。最初にプロットを立てた時、心も体もすごく元気な状態でこのお話を考えていた時にはまだ、自分の中にはなかった感情がたくさん生まれてきました。その経験が、『リカバリー・カバヒコ』を完成させるためには必要だったのかなと思っています。


青山美智子さん

カバヒコみたいな存在がいると自分との対話がしやすい

――各話について伺っていきたいと思います。「第1話 奏斗の頭」の主人公は、高校一年生の奏斗(かなと)です。公立中学時代は自他共に認める優等生だったものの、引っ越しを機にエリアが変わり、成績優秀者ばかりが集まる高校に入ったところ、初めての中間テストで惨憺(さんたん)たる成績を取ってしまう。〈おかしい、僕がこんなにバカのわけがない〉。個人的に、高校一年の時の自分のことをまざまざと思い出しました(苦笑)。

 私は、大学一年の時の自分のことを思い出しながら書きました。高校三年生の冬って、受験生たちはみんな苦しいじゃないですか。私は早々に推薦が決まっていたので、ちょっと甘えてしまったというかのんびり過ごしてしまった。大学に入った時、受験戦争に勝ち抜いてきた周りの人たちとの空気感の違いを感じたんです。それが奏斗くんみたいに、成績の差として如実に表れてしまうような状況だったらしんどかっただろうな、と。自分に対して、いろいろな言い訳をいっぱい考えた気がするんですよね。そこでワーッとなってしまうところも含めて、高校生ってすごく魅力的な存在だと思うんですよね。中学生とも大学生とも違う、特別な時間を生きている。私、この世で一番かわいいのはおじさん、一番面白いのは高校生だと思っているんですよ(笑)。その思いが溢(あふ)れ出ている一編ですね。

――奏斗は、同級生の少女・雫田(しずくだ)さんからこのエリアに伝わるカバヒコの噂(うわさ)を教えてもらい、公園へと足を運んで頭をなでてみる。すると……と物語は進んでいきます。

 これは奏斗くんの話を一番初めに持ってきた理由でもあるんですが、『リカバリー・カバヒコ』は具体的な名前が付いた病気だったり、怪我だったりをメインに扱っているものではないんですよね。のちのち病名なども出てくるんですが、基本的には病院に行っても解決しないし病名が付けられない、人からは分かりにくい自分だけのしんどさやつらさを書くつもりでした。本当に病気が治るような話ではないんです、と第1話の段階で読者さんにお知らせしておきたかったんです。

――奏斗は「バカ」になる前の頭に戻してほしいと思っているんですが、本当の問題はそこにはないんですよね。本当の問題は何か、本当の解決は何かに気付くことこそが回復に繋がっていく。「第2話 紗羽の口」の主人公である、幼稚園児を娘に持つ専業主婦・紗羽(さわ)も同様です。言葉の行き違いで距離ができてしまったママ友仲間の元へ戻りたい、と思ってカバヒコの元を訪ねるんですが、本当に願っていることは他にある。それぞれが抱える悩みはバラバラですが、回復のプロセスには共通点があるように感じました。

 自分はどうなりたいのかがねじれちゃっていると、目的地には辿り着けないじゃないですか。そこを補正してくれるのがカバヒコなのかな、と思うんです。でも、カバヒコはさっき言ったみたいに何もしないので、補正する能力は登場人物たちそれぞれの力なんですよね。そういう回復力って、なかなか発揮できなくなってしまうことも多いと思うんですが、本来は誰しもに備わっているものなのかもしれません。

――自分の本当の気持ちを、絶対に誰にも聞かれたくないけれど、口に出して告白したい時ってある気がするんです。その相手役として、カバヒコはうってつけですよね。

 この登場人物たちって、誰にも相談していないんですよ。この悩みは人に言っても分かってもらえないだろうな、といった諦めのようなものをみんな持っている。かといって自分との対話がちゃんとできているかというと、それもできていません。自分と対話をするって、それもまた苦しかったりするんですよね。だけど、カバヒコには言える。カバヒコみたいな存在がいてくれると、自分との対話がしやすいのかもしれません。だからやっぱり、カバヒコは新品ではダメなんですよ。できたてピカピカで傷がないカバヒコよりも、年季の入った塗装もはげちゃっているカバヒコのほうが、会いに来る人たちは自分を投影しやすいんだと思うんです。

自分で気付くことが今の状態から抜け出す早道

――「第3話 ちはるの耳」は、ブライダル会社でウェディングプランナーとして働くちはるの物語です。耳の病気で休業している彼女が、本当に晴らしたい、向き合いたい思いとは何か。本書には魅力的な人物がたくさん登場していますが、この一編に出てくる、ちはるがかつて担当した結婚式の新郎・稲代(いなしろ)さんの存在が愛(いと)おしくてたまらなかったです。どうしてこんなに愛おしいのか、読み終えてから今までずっと考えています(笑)。

 実は、稲代さんもそうですが、各話にキーパーソンを一人ずつ仕込んでいるんです。カバヒコが喋らないから、主人公をサポートしてくれる人が出てくる。相棒を作る、というのが裏テーマなんです。そんな人が自分にもいてくれたらいいけど、現実ではなかなか出会えないじゃないですか。いたらいいなってファンタジーというか憧れを、カレーにチョコレートを入れるみたいな隠し味として入れてみたんですよね。

――気付きませんでした! ファンタジーではないけれどファンタジーっぽい、カバヒコが煙幕になっている気がします。もしもカバヒコなしで稲代さんだけが登場していたら、存在感が目立ってしまったかもしれません。

 ちはるちゃんが求めている言葉を与えてくれるというのもそうですし、現れるタイミングも完璧じゃないですか。そのまま出すと、ただのいい話になっちゃうんですよね。でも、ちはるちゃんもいっぱい悩んで、カバヒコといろいろ話していった先で稲代さんの想いを知ることになるから、読者さんには「カバヒコのご利益だ」とすんなり飲み込んでいただけるのかな、と。その辺り、できるだけ気付かれないよう意識して書いていったところなんですが、今喋っちゃいましたね(笑)。

――「第4話 勇哉の足」の主人公は、新築マンションのアドヴァンス・ヒルに家族で引っ越してきた、小学四年生の男の子です。一一月の駅伝大会に出たくないために、出場者を決めるくじ引きの日に、右足を捻挫(ねんざ)してしまったとウソをついてしまう。すると、本当に右足が痛くなってしまいます。

 罪悪感だったりもどかしさだったり、そういった心の揺れが体に表れてしまうんです。この薬を飲んでいれば治るとか、寝ていれば治るとか、そういうことじゃない。病名が付けられない傷とか痛み、広い意味での「病み」からどういうふうに立ち上がっていくか。そこを書くのが私の持ち場というか、自分の係なのかなという気がしています。

――くじ引きの結果、運動神経の悪いスグル君が駅伝の選手に選ばれるんですが、スグル君は〈何があってもへろへろ笑っていて、髪の毛がいつもぼさぼさでちょっとだらしない感じで、何を考えているのかつかめない〉。ずっと苦手だと思っていたんですよね。でも、スグル君に対する思い込みや偏見のベールを脱ぎ捨てるんです。それをきっかけに、勇哉の回復が始まりますね。

 スグル君の素晴らしさに気付かない人が多いなかで、勇哉君は気付いた。気が付けたから、勇哉君は前に進んでいくことができたんですよね。「目の前にずっとあったのにどうして今まで素晴らしさに気付かなかったんだろう?」と、ある日突然見えてくることってよくあるじゃないですか。それって何も起きていないわけではなくて、そういう解釈ができるような自分になったということ、ちゃんと自分が成長したからこそ起こることだと思うんです。何か具体的な解決策を人から教えてもらったとしても、それはヒントにはなるんだけれども、自分で「あ、そうだ」って気付くことが一番、今の状態から抜け出すための早道なんですよね。

――日常生活の中で、誰しもいろいろなものと出会っているし受け取ってはいる。ただ、それを活かせていない。作中でも記されているように、せっかく持っている想像力を自己回復ではなく自滅の方向に働かせてしまう場合が多いのかもしれません。

 ちょっとした解釈次第、想像力次第で、解決できてしまう問題ってたくさんありますからね。ちなみに、『ただいま神様当番』の第二章に出てくる松坂千帆(まつざかちほ)ちゃんという小学生の女の子は、弟がイヤでしょうがないっていうキャラクターだったんですが、その弟がこのスグル君です。千帆ちゃんは、弟は出来が悪くて頭も悪くて、汚くてイヤだと思っているんだけど、最後はスグル君のすごさに気が付いて最高の弟だってなるんです。私自身もスグル君のことが大好きでまた会いたくなって、出版社をまたいで再登場させちゃいました(笑)。

立ち止まらざるを得なかった人が次に立ち上がった時のエネルギー


青山美智子さん

――最終話「第5話 和彦の目」は、月刊情報誌の編集長を務める五二歳の和彦(かずひこ)が主人公に選ばれています。不仲のまま数十年を過ごしてきた、お母さんの人生にも大きくフォーカスを合わせていますね。和彦が老眼を自覚するシーンから始まるなど、老いがテーマになっています。

 この話を書いていた当時は私も五二歳で、今五三歳になったんですけれども、老いというテーマは今までずっと避けていたものでした。『お探し物』では定年退職後の人生について悩む人を出しましたが、社会から年齢で区切られてしまうつらさを書いただけで、今思うと『お探し物』の正雄(まさお)さんは全然元気なんですよ。全然老いに苦しんでないんです。当時はまだ、私自身の人生の深みが足りなかったんですよね。でも、体調を崩した今はすごく感じるわけです。それが和彦にも、彼のお母さんにも反映されたのが最終話でした。作家として、ちょっと脱皮できたのかなと感じる部分でもありますね。

――青山流群像劇の魅力の一つは、最終話で意外な人間関係の繋がりが明かされる点ではないかと思うんですが、今回も驚かされました。

 最初にプロットを立てた段階では、主人公をどういう人にするかは決まっていたものの人間関係の設定はなかったし、今のオチもなかったんです。第5話を書く時になって、こことここが繋がっているんだよ、ここが全ての始まりだったんだよと物語に教えてもらった感じなんですよね。今までのように書き下ろしで、二カ月集中して書くやり方であれば出てこなかったアイデアだと思います。途中休止期間も挟みながらの連載で長い時間をかけたからこそ、この物語をこんなふうに終わらせることができたのかな、と。結果的に、大好きな最終回になりました。

――さきほど第4話の頃に体を壊してしまったというお話がありましたが、第4話と続く第5話ではモードが切り替わっている感触がありました。回復とは何か、リカバリーとは何かというテーマについての深掘りが始まりますよね。ある人物のこんなセリフが印象的でした。「人間の体はね、回復したあと、前とまったく同じ状態に戻るというわけじゃないんだ」「病気や怪我をしたっていう、その経験と記憶がつく。体にも心にも頭にもね。回復したあと、前とは違う自分になってるんだよ」と。ご自身の実感も込められていたのでしょうか?

 ものすごく入っていますし、これは後で思ったことなんですが、喉を痛めて休業するアーティストって結構多いですよね。いろいろな事情で一回立ち止まらざるを得なかった状況の人が、次に立ち上がった時の復活の輝きってものすごいエネルギーを感じるんです。私はまだまだ全快ではなくリカバリー中で、その輝きを得るところまでは到底辿り着けていないんだけども、しんどかった自分の経験と記憶が『リカバリー・カバヒコ』に生かせていたらいいなと思っています。

――青山さんは二〇一七年八月に『木曜日にはココアを』でデビューし、二〇二〇年以降は年二冊以上のペースで精力的に執筆を続けてこられましたね。

 私は四七歳の時にデビューしてこの八月で丸六年になるんですが、足の着かないプールでずっと泳いでいるような感覚があったんですよ。泳ぐのを止めたらいけない、どこかで休憩するのもダメだと自分で自分を追い込んでいた。今も足の着かないプールにはまだいるんですけれども、休憩するための島が見えたり、浮き輪を投げてくれる人の存在がたくさんいると理解できている。小説の中で〈変わりゆく状況を受け入れて適応していく、そういう形のリカバリーもある〉と書いたのは、今の自分の気持ちそのものです。

――作家になることが長年の夢だった、と伺ったことがあります。

 一四歳の時から、三三年間ずっと夢に見た仕事だったんですよ。ようやく夢を叶(かな)えることができて、しかもたくさんの読者さんに受け入れてもらえて、編集者のみなさんにも自分が書くものを求めていただけた。やりたいことはいっぱいあるのにどうして体が動かないのって、そこが一番つらかったです。でも、そういうしんどい思いが、いい悪いじゃなくて、「これは私だけに与えられた経験なんだ」というふうに受け止められるようになった。今までのペースで暴走していたら、もっと違う形で崩れたり壊れたりしてしまったかもしれない。これから長く小説を書き続けるための調節期間だったんだ、と思えるようになっていった過程で書いたのが、『リカバリー・カバヒコ』の最終回だったんです。

――青山さんにとって、特別な作品になったようですね。

 どの作品も私にとっては特別で、全部の作品で「私の分岐点です」みたいなことを言ってきたから重みがないかもしれないんですが(苦笑)、『リカバリー・カバヒコ』もまた、本当に特別なんです。アクリル板越しに人と人が話をしなければいけなかった時期が終わり、ちょうどこの世界がリカバリーしているタイミングで、この本を出せることにもどこか運命的なものを感じます。連載が初めてだったというチャレンジも含めて、自分の人生の中で大きなポイントになったんです。これからは自分にとって本当に大切なものは何なのかと考える時間をちゃんと確保しながら、ゆっくりじっくり、長く小説を書き続けていきたい。そう思えるようになったのも、『リカバリー・カバヒコ』のおかげなんですよ。「カバヒコ、本当にご利益がありますよ?」って、みなさんにお伝えしたいです。

 ***

青山美智子

(あおやま・みちこ)

1970年生まれ。愛知県出身、横浜市在住。大学卒業後、シドニーの日系新聞社で記者として勤務の後、出版社で雑誌編集者をしながら執筆活動に入る。2017年『木曜日にはココアを』で小説家デビュー。同作は第1回未来屋小説大賞入賞、第1回宮崎本大賞受賞。’21年『猫のお告げは樹の下で』で第13回天竜文学賞受賞。同年『お探し物は図書室まで』が本屋大賞第2位。’22年『赤と青とエスキース』が本屋大賞第2位。23年『月の立つ林で』が本屋大賞第5位。

青山美智子 聞き手:吉田大助

光文社 小説宝石
2023年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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