青山美智子『リカバリー・カバヒコ』の舞台を訪ねて 小説宝石編集長・カバヒコに会いに行く

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リカバリー・カバヒコ

『リカバリー・カバヒコ』

著者
青山美智子 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334100520
発売日
2023/09/21
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

カバヒコに会いに行く

[レビュアー] 光文社


とある公園の古いカバの遊具(アニマルライド)には、自分の治したいところと同じ部分を触ると回復するという都市伝説がある。人呼んで「リカバリー・カバヒコ」。そんなカバヒコに導かれた人々のドラマを描いた青山美智子氏の話題作『リカバリー・カバヒコ』。

青山氏がインスピレーションを得たカバの遊具は、実在する。

そのカバヒコに本誌編集長が会いに行った。

イラスト 合田里美

 ***

合田里美氏によるカバヒコ

カバヒコのスケッチあれこれ

かつてカバヒコがいた場所

カバヒコの発見

 始まりはカバでした。

 カバといっても、公園にある「アニマルライド」。動物に似せたコンクリート製の遊具のこと。遊具といっても、自分が子供の頃や我が子が小さい頃には世話になるけど大人になればただの風景の一部となる、ただ座るだけの、あれのこと。

 人々がコロナに支配されていた二〇二一年五月。担当者Mと二人で新作打ち合わせのため青山美智子(あおやまみちこ)さんに会いました。

 巣鴨(すがも)のとげぬき地蔵のような、さすると痛みや辛さがなくなるといわれる物を軸に人々の喜怒哀楽を描きたい、という青山さんの方針が決まり、アクリル板越しにアイデアを出し合っていたところ、突然青山さんが「カバのアニマルライドを軸にしたい!」とおっしゃいました。

 よっしゃそれではと、ヒント探しにスマホでネット検索をしたところ、ところどころペンキが剥げかけ、潤んだような目で見上げるカバのアニマルライドの画像がディスプレイにひょっこりと現れました。

 そいつは、一目で伝わる愛嬌と、眺め続けるほどに湧き出てくる愛嬌ふたつを兼ね備えていました。

 触った場所の不調が治るという、地域限定の都市伝説がある古びたカバの遊具、名前はカバヒコ。彼を触りにきた人たちの、心の回復=リカバリーを物語にする。

 タイトルは『リカバリー・カバヒコ』(……カバだけに)。

 一枚のカバのアニマルライド写真から青山さんのアイデアが駄洒落付きで溢(あふ)れ出しました。

『リカバリー・カバヒコ』の誕生です。

 そしてカバヒコは合田里美(ごうださとみ)さんの筆により、「小説宝石」掲載時の挿絵と単行本カバーのイラストで見事に二次元化されました。

カバヒコを特定


 リアル・カバヒコに会いたい。

 第一話「奏斗の頭」の時から青山さんの御原稿が届くたびに、私は編集部内でぎゃあぎゃあわめいていました。

 恥ずかしがらずに人前で騒いでみるものです。へきえきとした担当者Mが悪魔のリサーチ力をもって、カバヒコがたまたま映り込んだ一枚のネット画像を探し出し、推理を重ね合わせ、なんと居場所を「特定」しました。

 さて、リアル・カバヒコは――

●某県某市の団地の公園(具体的場所は伏す)に在住

●一九六八年頃に誕生。つまり御年五五ぐらい

 ――らしい。

 私は五三歳。つまり、リアル・カバヒコは私より二歳ほど年上ですが、いわゆる「同世代」です。

 ちなみに青山さんとも、最終話「和彦の目」主人公・和彦(かずひこ)とも「同世代」。

 五十歳も過ぎると夜中にトイレにも行くようになるが「同世代」という言葉にもシンパシーを覚えるものです。

 お互いの悩みや不調が我がことのように感じ始めるお歳頃ですから。

 カバヒコに会いに行こう。

 同じくらいの長さの人生(カバ生)を歩んできたカバヒコに会えば、作品の登場人物たちみたいに私の中にも変化が起こるんじゃないか。

 優れた小説は、虚実の壁をあいまいにします。

 雲ひとつ無い秋晴れの某月某日、私は朝イチの電車で一路某県へと向かいました。

 行けば会えるさ。

カバヒコで漂流


『リカバリー・カバヒコ』

 午前中に現地到着。そして呆然(ぼうぜん)。

 その団地は、めっちゃ広かった。

「東京ドーム〇個ぶん」ではきかないくらいに、広い。あとで知りましたが約三千人が住めるらしい。

 エレベーターなし、五階建て程度(このあたりは昭和ですね)の居住棟の群れが前後左右三百六十度から私を無表情に見下ろしてきます。

 現地の案内図によると居住棟は約百棟。そこに道路が縦横無尽。ゲーム「パックマン」かよ。

 なによりビビったのは、公園がいくつも点在していること。カバヒコの公園は、どれ?

 居住棟が視界をブロックするので、見通しはきかない。この居住棟のウラの公園を見るには、この居住棟のウラに行かなければならぬ。

「行けば会えるさ」は、取り消し。

 事前調査を怠った己の無計画さを恨みながら捜索を開始したのですが、歩き出すとなぜか気持ちがいい。晴天ということもありますが、敷地内にゴミが落ちていないのです。

 そういえば敷地内のスーパーマーケットでも、客、店員にかかわらずお互いに挨拶を交わしていたな。

 誕生から半世紀を経た団地ですが、みなさん心地よく住んでいらっしゃるようです。

 心が温かくなり、さあ、見つけるかぁ、と気合いを入れ直し公園を巡るのですが――ここにもいない。あっちにもいない。カバヒコは、どこ?

 圧迫感のある居住棟の谷間をさまよううちに方向感覚を失い、いつの間にか同じ場所をぐるぐるし始める始末。

 なにより、共用部分にしか立ち入らないとはいえ、平日午前の団地を一人でうろうろする中年は絶対に怪しい。焦り始めました。二時間経過。

 手掛かりが必要だ。

 わらにもすがる思いで私は担当者Mが場所を特定したネット画像をスマホに映し出しました。

 その画像は、背景が居住棟、その前の公園にカバヒコが映り込んでいる構図です。

 最終話「和彦の目」の主人公・和彦(かずひこ)同様、私も老眼なので、その画像をものすごく拡大し、凝視しました。

 すると、背景の居住棟の外壁に「○号」と番号が振ってあるではないですか! ビンゴ!

 この号棟を目指せばいい。

 現地の案内図を指さし確認し再び歩き始め、ついにネット画像と完全一致! の公園を発見しました。

 カバヒコに会えるぜ! 2ショット写真を青山さんに送りつけたろか? マイ聖地巡礼大団円! と浮かれつつ公園に早足で近付くと――

 カバヒコは、いませんでした。

 更地になっていました。

 こんなエンディングってアリかよ。

 我、カバヒコをディスカバーできず……カバだけに(涙をこらえてでも駄洒落を言わねばならぬ時が、ある)。

 カバヒコがいつ撤去されたのかは分かりません。

 他の公園には、バネで揺れるタイプの新しめのアニマルライドはありました。

 カバヒコは古く剥げかけた、ただ座るだけのアニマルライド。子供の数も減っている。

「そういうこと」なのかもしれません。

 半世紀の間、何万回も何十万回も、ちびっ子のおケツに座られ続けて、消えていった、しゃべらぬカバヒコ。

 ペンキが剥がれた箇所を撫でてあげたかったなあ。

 秋晴れの静かな団地の午前、カバヒコがいた場所に『リカバリー・カバヒコ』を置き、写真を撮りました。

 帰りの電車で酒をかっくらいながら思ったのは、カバヒコは「リカバリー・カバヒコ」として青山さんに書いてもらえて(名前まで付けてもらって!)、そして合田さんに描いてもらえて良かったなあ、ということ。

 しょせん現世は諸行無常。人の記憶のなかで生き続けるというのも粋(いき)なんじゃないかな。

 もしかしたら、コロナ禍での打ち合わせの時、カバヒコは自分から青山さんに「降りてきた」のかも。

 無口なクセしてやるやんけカバヒコ。

 人生(カバ生)、図々しさも必要だ。

 カバヒコで遊んだかつての子どもが『リカバリー・カバヒコ』の読者になっていたら――

 想像するだけで胸がいっぱいになる。

光文社 小説宝石
2024年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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