一穂ミチロングインタビュー「コロナ禍は私たちにとって『箱庭の洪水』だった」

インタビュー

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ツミデミック

『ツミデミック』

著者
一穂ミチ [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334101398
発売日
2023/11/22
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

コロナ禍は私たちにとって「箱庭の洪水」だった 

[文] 光文社


世の中は、流行り病で変わってしまった――その渦中で市井の人々が起こした「犯罪」を描いた短編集を、人気作家・一穂ミチさんが刊行した。『スモールワールズ』『光のとこにいてね』で直木賞にノミネートされた作家が今回描いたのは、コロナ禍に翻弄される人々の物語。ぞわりと背筋が凍るような小説もありつつ、一方で光が差し込むようなラストに救われるような小説もあり、犯罪というコンセプトのもと多様な人間関係が描かれている。「現実に引っ張られながら書いた」と語る一穂さんの、コロナ禍と小説の関係について伺った。

コロナ禍を描いた『ツミデミック』

――今回の『ツミデミック』は犯罪小説というコンセプトが、一穂さんのこれまでのイメージを刷新する印象がありました。犯罪小説集になった経緯を教えてください。

一穂 実は、元々「犯罪小説」という統一感を持たせるつもりはなかったんです。というのも、どの短編も『小説宝石』の月々の特集にあわせてお題をいただいて書いたものだったんですよ。「違う羽の鳥」は“繁華街”、「ロマンス☆」が“出会い”、「憐光」が“帰郷”、「特別縁故者」が“お金”、「祝福の歌」が“隣人”というお題で。「さざなみドライブ」だけお題のない状態でしたが。なので結果的に、気づけば犯罪小説集になっていた、というのが正直なところなんです。ただ三話目の「憐光」くらいから「このシリーズはすべてコロナ禍の話に統一しよう」とは考えていて、すると自分自身ニュースに触れているなかでやっぱりコロナ絡みの犯罪を目にすることが多くて。そういう状況が小説を書く根っこにあったとは思います。

――小説を書いていた時期、ちょうどコロナ禍の渦中だったということですね。

一穂 そうなんです、一作目が発表されたのが2021年秋。そこから少しコロナが収束したかなと思ったらまたまん延防止等重点措置が適用されたりして、コロナ禍がどうなっていくか分からない時期に書いたという感覚が強いです。私自身、会社の勤務形態に影響があったり、身内にコロナ感染者が出たりしてばたばたしていましたし、『小説宝石』編集部の方ともずっと会わずにZoomで打ち合わせしていました。

――コロナ禍の状況もいろいろ変わっていましたが、小説への影響はありましたか?

一穂 やっぱり小説を書く時のテンションは現実に引っ張られていました。たとえばコロナ禍の渦中って、収束しかけてもまた変異株の話題が出てきたりして、「ああまたか」とすごく気持ちが落ちることが多かったんです。だから三話目の「憐光」あたりまではすごく憂鬱になっていた時のことが反映されている気がします。でも四話目の「特別縁故者」くらいから、現実とリンクして徐々に物語も明るく終わるようになってきました。そのくらいの時期から、私自身なんとなく希望が持てるようになってきて。

――たしかに「祝福の歌」を読んだ時、明るく救われるような話だなあと感じました。現実に小説が引っ張られるというのは、ほかの小説を書かれた時もよくあることなのでしょうか?

一穂 いや、今まではあまりなかったです。今回は自分もコロナ禍に振り回されながら、コロナ禍のことを書くという試みだったので、現実を反映せざるを得なかった。やっぱりこれを書いていた時期って「コロナの状況が変わらないまま十年、二十年って過ぎるんじゃないか」と思ったこともありましたし。小説にそういう緊迫感を保存したような気がします。

――たしかに、ほんの一、二年前は本当にコロナがどうなるかわからないと思ってましたね。

一穂 私の中ではコロナって、普通の人々が住んでいる小さな箱庭に、突然洪水が来たようなイメージなんです。洪水に巻き込まれていない人はいない。極端なことをいえば、コロナが与えた影響で苦しんでいない人って、ひとりもいないのではないかと。だからこそみんないろいろあるなかで、私は大きな犯罪をやらかした人ではなく、もっと取るに足らない人たち、つまりニュースにならないような人生の一部を切り取りたいな、と思っていました。

――今回コロナ禍という主題を選ばれたのは、これまでも市井の人々を描かれてきた、一穂さんの作家性と呼応するものがあったのでしょうか。

一穂 うーん、私は全然自分の中にあるテーマなんて興味がないのです。自分以外の人のほうに興味がある。だから作家性だなんて感覚はないのですが……でもひとつ言うとすれば、コロナ禍って世界中の人が当事者なんですよね。例えば災害を描こうとしたら、当事者性の部分は非常に厳しく見られがちになります。極端な言い方をすると、「あなた被災してないのに、震災の話書くんだ」と思われかねないかなと。でもコロナ禍は、感染したかどうかは関係なく、みんな世界中が当事者だったよね、という感覚が私の中にあるんです。だから書いてもいいんじゃないのかなとちょっと思えた部分はありました。

――当事者性みたいな話は、例えば一穂さんのキャリアのなかでBL小説からスタートされた影響はあるのでしょうか。

一穂 逆にBLではない分野を書くようになって意識するようになりました。BLに関しては、私はどう頑張っても男性にはなれないんです。で、読者も女性が多くて、ある種の性的なものを含むファンタジーとして読んでほしいところがあった。でもそうじゃない、一般文芸のお話はやっぱりいつも当事者性について不安があって……。たとえば子供を産んだことのない自分が、子持ちの女性を書くだけでも、ちょっと不安になることはあったりしますね。とんでもなく的外れことを書いてるんじゃないのかなと。街で見かけた親子連れを見て想像したりしているだけなので。

人の弱さを描くということ


――街の親子から小説を連想することもあるんですね。『ツミデミック』のそれぞれの小説のアイデアはどこから生まれたのでしょうか?

一穂 今回は新聞やニュースから小説の種みたいなものを拾うこともありました。たとえば「持続化給付金をめぐる詐欺で若い人が不正受給をした」という記事から「憐光」を思いついたり。「祝福の歌」はタイの代理母が赤ん坊を一時的に育てる施設で、コロナ禍のため通常より長い期間育てているうちに情が移ってみんな渡したくないと言い始めた、という記事を読んで思いつきました。新聞は興味のない情報にも触れさせてくれるところが好きです。最初は「ふーん」と流していた話に、ふっと興味がわいてくる瞬間がある。SNSやネットニュースだとどうしても自分が選んでしまうので、興味のない情報にも触れさせてくれるという点で、新聞は大切なメディアだなと思ってます。

――新聞やテレビのニュースから、日々アイデアをためておくんですね。

一穂 小説の断片をためておいて、いざ「じゃあ次こういうテーマでお願いします」と言われた時に冷蔵庫のありものを探るような感じです。あ、今思い出したんですけど、「ロマンス☆」はニュースではなく実体験が元になって生まれました。私がたまたますれ違ったUberEatsの配達員の方が、めちゃめちゃイケメンだったんです。颯爽と通り過ぎていかれたんですが、思わず振り返ってしまうほどで……そこから「そういえばウーバーの配達って指名できないんだっけ」「コロナきっかけでデリバリーをたくさん使うようになったなあ」と連想して、こんな話になりました。

――そんなところから「ロマンス☆」に至るのがさすがすぎます……! 他の作品にしても、『ツミデミック』には、「悪い人じゃないんだけど、ちょっと沼にはまって悪い方向に向かってしまう一般市民」の物語という印象が強いのですが、もともとこういう人々への興味があるのでしょうか?

一穂 うーん、というか私は、たとえば自分がこの先一生逮捕されずに生きていけるのか、あまり自信がないんです。自分もいつか何かのぬかるみの中にはまってしまう瞬間があるのかもなと常に思ってしまう。だからこそ悪い人を見ても、最初から「よっしゃ俺悪いことするぜ」というわけじゃなかったんだろうなと。生まれながらの悪人なんてそうそういなくて、その人が持ってる弱さみたいなものが前面に出てしまった結果、悪い作用をしてしまったんだろうな、といつも思っています。

――人の弱さにフォーカスが向かうのは、小説家としての興味ということでしょうか?

一穂 強さより弱さの方が魅力的だなと思いますね。たとえ好感の持てる形でなかったとしても、そっちの方が人間らしいなと。といってもこの感覚も最近の話です。例えば私は独身なのですが、年末年始に家族で過ごす相手がいなくて寂しいみたいな感覚、昔は全然わかんなかったんですよ。1人で好きなとこ行って、好きなことできるじゃん、と。でもやっぱり最近になってクリスマスとか年末年始とか、メディアがファミリーやカップルといった「理想の過ごし方」を推してくる時期に、ふっとわびしさを覚える時があるようになってきたんです。その時「あー、なんか人間年齢を重ねると弱くなっちゃうんだな」と。やっぱり色々心細くなってきちゃう。

 だから他人に対しても「弱くなっちゃう時もあるよね」と思うようになりました。書く以上、突き放すようなことを書いてはいけない。自分も完璧からはほど遠いことなんて、自分自身でよく分かるから……「人間そういう時もあるよね」と、弱さに対して一種の連帯を持って書いているのかもしれません。

――『ツミデミック』で自分に近しいと感じるキャラクターはいますか?

一穂 憎めないのは「特別縁故者」の恭一(きよういち)ですね。やることがたくさんあるのに、スマホをだらだら見てしまったり。世の中の流れについていけなかったり。自分がつけられた傷のことを、ずっと気にして踏み出せなかったり。分かってはいるんだけどできない、という臆病さも含めてなんだか愛着があります。

――臆病さ、ってすごく一穂さんの小説の主題のひとつのように感じます。

一穂 そうですねえ。やっぱり臆病さも弱さのひとつですし、裏を返せば優しくなれるということでもあると思うんです。人間はみんないい面とわるい面が表裏一体。優しさは甘やかしだったりすることもあるし。それがくるくる変わっていく様が好きなんだとは思います。別にそれは劇的な人生を歩んでいなくとも、日常の暮らしの中で起こりうることですよね。

――逆に強いキャラクターといえば、「祝福の歌」の菜花(なのか)ちゃんがすごく好きでした。

一穂 彼女は「最近の陽キャってこんな感じなのかな」と自分なりに考えて作られました。最近の子って、私から見るとみんな賢くてそつがないんです。会社で一緒に働いてても、私が20代半ばの頃はもっととんでもなく常識なかったなと反省するくらい。だから彼女に関しては、今時の賢さと明るさを込めようと思いました。あとは私自身身近にこういう子がいたら楽しいだろうなという夢みたいなものもあったのかな。彼女が背負う若い世代の妊娠や出産に関しては、むしろ彼女たちの世代が子を持つことについての不安やネガティブなイメージを吹き飛ばす時代になってほしい、という願いも込めて書きました。

聞き手:三宅香帆

光文社 小説宝石
2024年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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