キングコブラを素手で、死んだ魚みたいに口をパクパク…伝説のヤラセ番組「川口浩探検隊」の危険な撮影

対談・鼎談

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ヤラセと情熱 水曜スペシャル「川口浩探検隊」の真実

『ヤラセと情熱 水曜スペシャル「川口浩探検隊」の真実』

著者
プチ鹿島 [著]
出版社
双葉社
ジャンル
芸術・生活/諸芸・娯楽
ISBN
9784575317602
発売日
2022/12/22
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

川口浩探検隊のタクシー代が月200万! 昭和のテレビマンが業界に残した功罪とは?(後編)

[文] 双葉社

『恐怖! 双頭の巨大怪蛇ゴーグ! 南部タイ秘境に蛇島カウングの魔神は実在した!!』

『謎の原始猿人バーゴンは実在した! パラワン島奥地絶壁洞穴に黒い野人を追え!』

 こうした大仰極まりないタイトルと、映像に漂う“ヤラセ感”から、今もネタ的に言及されることが多い、水曜スペシャル「川口浩探検隊」シリーズ。70年代後半~80年代半ばに放送され、お茶の間の子供たちを熱狂させたこの伝説の番組の真相に迫ったのが、本書『ヤラセと情熱 水曜スペシャル「川口浩探検隊」の真実』だ。

 同じく子供の頃に番組に熱中していた著者のプチ鹿島氏が、関係者への取材から見出した真実とは一体何なのか──。5月18日(木)に代官山 蔦屋書店で行われたトークイベントのレポートを通じて本書の魅力と読みどころをご紹介する。

登壇者は、プチ鹿島、元探検隊員の小山均、進行として朝日新聞『withnews』創刊編集長の奥山晶二郎の各氏。

***

■ヤラセだからこそ生まれた危険な撮影

現在の基準からすると、明確に「ヤラセ」と呼べる撮影を数多く行っていた川口浩探検隊。ただし隊員たちは、「ラクして良い絵を撮るため・視聴率を稼ぐため」にヤラセをしていたわけではなかった──。トークイベントでは、『双頭の巨大怪蛇ゴーグ』の回で、「不必要に危険な撮影」が行われていたエピソードも披露された。


プチ鹿島氏(写真中央)、小山均氏(左)、奥山晶二郎氏(右)

プチ鹿島(以下=鹿島):これは本にも書いたことですが川口浩探検隊には、ある意味で「ヤラセがあるからこそ生まれた危険な撮影」もあるんですよ。僕が唸ったのが、『双頭の巨大怪蛇ゴーグ』の回で、寺院の階段に仁王立ちするキングコブラと対峙したシーン。そこではカメラの真正面にキングコブラがいて、蛇使いの人も真正面からキングコブラを捕まえるんですけど、あれは凄く危険なんですよね。

小山均(以下=小山):本当に危険だと思う。蛇は毒を抜いてあると思うけど、生きている本物だし、もちろん牙もある。それを真正面から素手でビュッと捕まえるわけですからね。失敗すると指がまた1本減っちゃうわけです(※登場した蛇使いはもともと指が1本少ない人だった)。

鹿島:キングコブラって後ろから捕まえるのが普通で、正面は本当に危ないんですよね。それを「テレビの絵的にカッコいいから」という理由で真正面から撮っちゃってる。本来やらなくていい撮り方なんですよ。後ろにいるカメラマンも危ないし。

小山:コブラって牙が注射器みたいになっていて毒を吐きますからね。

鹿島:ヤラセがあるせいで、カメラマンも本当の探検では不必要な真剣勝負を行っていたという、非常にねじれた構造になっていたんですよ。仕込んでいた大量のヘビが出てくる場面の前に、ADが野生のヘビを駆除していた──って話もいいなと思いましたし、「その駆除のほうが本当の冒険ですよね!?」って思っちゃって(笑)。あと川口浩探検隊では、「リアルすぎるから」という理由で本編では流さなかった映像も沢山あったんですよね。

小山:あるある。たとえばガラパゴスで日射病になった体験とかね。炎天下で標高200メートルの場所まで登るときに日射病になったスタッフがいて、死んだ魚みたいに口をパクパクさせてたんだよ。そいつを日陰で休ませつつ、その様子も一応撮影した。編集段階でもその映像は入ってたんだけど、最終的にプロデューサーが「これはちょっとヤラセっぽいよな……」って外したんだよ。

鹿島:話を伺っていると、何が本当で何がウソだか分からなくなってくるんですよ(笑)。

■ヤバすぎる「川口さん複雑骨折事件」

小山:大変な話はまだまだあるよ。「川口さん、親指の骨の複雑骨折事件」とかね。

鹿島:有名なピラニアに噛まれた話とはまた別ですか?

小山:このときは手じゃなく足ですね。中国でのロケの2日目ぐらいに、「明日からロケが始まるから、今日は思う存分飲もう!」と言って、みんながベロンベロンに酔っ払った日があったんですよ。

鹿島:もうこの時点で探検の話じゃないですからね(笑)。「ロケ」って言っちゃってますし。

小山:それで酔っ払った音声さんを部屋まで運んでベッドにドン! と下ろしたら、その人が物凄く体がデカかったから、ベッドの底が抜けた。それで落ちてきた板が川口さんの足に当たって骨折したんです。でも川口さんは「中国で手術は嫌だから、日本に帰るまで手術はしない」と言い張った。一方で「絶対みんなに迷惑かけられない」とも言っていたので、簡単な処置だけして撮影をすることになった。でも洞窟のロケで川口さんは歩けないから、かわりにカメラの方が動いて背景を動かしたんだよ。

鹿島:川口さんの複雑骨折という大ケガが、洞窟の探検中じゃなくて「飲んでいるとき」だったというのがイイですよねぇ。

小山:川口さんはそれで20日間ぐらい我慢して撮影を終えた。偉いですよね。

奥山晶二郎(以下=奥山):ある意味「ヤラセと情熱」ですね(笑)。

■ヤラセの「ネタバレ回」を放送する予定があった!

奥山:ヤラセについては、小山さんが本の中で重要な発言をされていますよね。

鹿島:あれも名言でした。

奥山:本当に感銘を受けたので、ちょっと紹介します。小山さんは本のなかで「ヤラセと呼ばれている演出は、視聴率狙いなどではなかった。ただ純粋に理想とする絵を撮るために無茶な演出をしていただけ。ヘビに足を付けているときに数字のことなんか考えていなかった」といった証言をされていて、これがまさにタイトルの「ヤラセと情熱」につながってくるのだと感じました。

鹿島:この話の背景を説明すると、ジャングルとかの現場で「ヘビトカゲは実在するのか否か?」というテーマで映像を撮ってるとき、探検隊ではヘビの体にトカゲの足を思い切りくっつけていたわけですよね。そういうときに「視聴率を上げるため」なんて考えていなかったという話です。

小山:現場では生きているヘビに足を付けたヘビトカゲと、生きているトカゲにヘビの胴体を付けたトカゲヘビの2種類を作って、場面に応じて使い分けていましたね。でもそんな川口隊ってそもそも川口さんが亡くなる直前に生まれ変わるはずだったんですよ。それまでドキュメンタリーのフリをして放送していたんだけど、プロデューサーの加藤さんが「もうそういう時代じゃないから」と言いはじめて。

鹿島:さんざん自分でやってきて、すごい話ですよね(笑)。

小山:それで裏側を全部ばらす回を作ろうとしていたんだよ。川口さんがジャングルで真剣な顔して「みんな気を付けろ!」とか言っている場面からカメラが徐々に引いて行って、「実はホテルの庭で撮っていました」とバラす、みたいなね(笑)。それを正月特番でやることになっていた。

鹿島:それ、放送されたら衝撃ですよ!


プチ鹿島氏

■探検隊なのに月のタクシー代が200万円!

水曜スペシャル「川口浩探検隊」シリーズは、いま振り返ってもムチャクチャな番組であり、『ヤラセと情熱』はそのムチャクチャさを笑って楽しめる内容にもなっている。また、その番組を制作するテレビマンたちもムチャクチャな豪傑揃いだった。このトークイベントでは、本書にも登場した昭和のテレビマンたちの豪快なエピソードも語られた。

鹿島:加藤さんは、そういう嗅覚というか、時代を読む先見性はあった方なんですよね。

小山:「川口浩探検隊はドラマをやっていくんだ」と考えていた人ですからね。まあ、悪いことも沢山していると思うよ(笑)。

鹿島:昭和の悪いテレビマンですよ。日本にいるときは昼間は麻雀ばかりしてて、会社に顔を出すのは夜遅くだったそうですし。で、探検隊のスタッフはひたすら待たされる。

小山:そう。「俺たち今日は何もないから帰っていいですか?」って言っても、「加藤さんが来るまで待ってろ!」って言われるんだよ。それで夜の10時とか11時とかに、下手するともっと遅い時間から戻ってきて、「おう、じゃあみんな行くぞ!」とテレ朝の目の前にある飲み屋に連れて行かれて、「みんな好きなだけ飲め!」と言われる。そういうのが毎晩毎晩続いてたんだよね。それでみんなが毎晩のようにタクシーで帰るから、うちの班はタクシー代だけで月200万円くらい使ってたらしい。

鹿島:探検隊なのにタクシー使ってて、それが200万って凄い話ですよ! それが通っていた時代も凄いですけど、それだけ数字も取っていたし、すごい時代にゴールデンタイムのテレビ番組をつくられていたんですよね。

小山:水スペ終わるときは、累積赤字がすごいことになっていたみたいだけどね。

■「俺がテレビだ」と語る昭和のテレビマンが読者に投げかけるものとは──

本書の最終章『第14章「俺がテレビだ」伝説のテレビマンは実在した!』では、川口浩探検隊でも放送作家をつとめた鵜沢茂郎さんのインタビューが独白形式で掲載。この最終章の狙いについてもトークイベントでは話題となった。

鹿島:小山さんは、あの最後の章を読んでどう思われました? 鵜沢さん、本当に言いたいことを言っているでしょう?

小山:「鵜沢さんそのもの」みたいな文章だったね。

鹿島:ラスボス感がありますよね(笑)。

小山:鵜沢さんはすごいヒットメーカーで、あの時代の「ザ・テレビ」って人なんだよね。ああいう人が沢山いたから、面白い番組ができて、テレビがわっと盛り上がったんだけど、その反動として川口隊みたいなものもできた。当時のテレビ界は一番イケイケの時代だったから、「本当に面白いものを作って人の心を惹きつけて、俺たちが英雄になるんだ」みたいな風潮があったと思うんだよね。それは「いい時代だった」とか言えるものじゃなくて、俺はそれでテレビがどんどん駄目になっていったと思っている。

鹿島:そういう積み重ねで空気は変わっていったんでしょうね。

小山:本書はテレビ論的な内容でもあり、「あの時代のテレビは一体どうだったのか?」と検証する内容にもなっているけど、その最後の何ページに「テレビ界そのもの」みたいな人がぶわぁ~っと喋ってる。正しかったのか、正しくなかったのかを結論づけるのではなく、「これが当時のテレビだったんだ」と伝えて、それを読者に投げかけて終わったのかなと、読んでいて思いましたね。

鹿島:ありがとうございます。構成に関しては、もともと「探検隊を探検隊」というセルフパロディー的な物語になっていて、現場の方にどんどん話を聞いていって、いずれ未知の怪物と遭遇するというゴールを目指していました。でも探検隊もそうですけど、なかなか見つからないじゃないですか(笑)。なので最後は水曜スペシャルのオマージュを込めて「いったい会えたのか、会えなかったのか」みたいな雰囲気で終わろうかとも思ってたんですけど、実際に鵜沢さんみたいな怪物に出会っちゃった。

 この本では川口浩探検隊だけでなく、本当の社会問題になった『アフタヌーンショー』のやらせリンチ事件も扱っていて、話が途中からどんどんメディア論になっていきました。そして取材を進めると、その事件で言ってみればパージされた人が「あれはヤラセじゃなかった」と言っていて、何が本当で何がウソか分からなくなった。そこを調べるのに3年かかったんですよ。でもそうした中で鵜沢さんに話を聞いたら、もう何が真実かみたいな話がばからしくなっちゃって。それを吹っ飛ばす力が鵜沢さんにあったんですよね。

小山:(番組プロデューサーの)加藤さんがしゃべったとしても、鵜沢さんのようなことを言いそうだなと思いますね。

鹿島:「俺がテレビなんだよ」と言いそうですよね。ただ鵜沢さんは傲岸不遜なキャラですけど、本当に良いことも言う方。「トカゲヘビだのバーゴンだの、いたところで誰か迷惑するんですか?」みたいなハッタリをかましておいて、「ヘビトカゲでもトカゲヘビでも、いてもいいけど“いすぎちゃダメ”」とか言うんですよね。その感覚が絶妙なんです。あと最後に、「最近見る夢はいつも現場の夢なんだ」みたいなことを言ったりして、ちょっとキュンとさせられました。

小山:まあ作家だから、最後はきれいに収めるんだよ(笑)。

ヤラセとは何か。演出とは何か。そして昭和のテレビ番組が行ってきたヤラセは「あの時代はヤバかった」と笑って片付けていいものなのか──。本書はそんな疑問を読者に対しても投げかけてくる。トークイベントでは小山氏が「ヤラセはなくならないと思う」とも話していたが、本書が川口浩探検隊を起点に掘り下げた問題は、いまの社会を生きるわれわれも向き合うべき問題なのだ。

 ***

プチ鹿島(プチ・カシマ)プロフィール
1970年、長野県生まれ。大阪芸術大学卒。時事芸人。新聞14紙を購読しての読み比べが趣味。「ニュース時事能力検定」1級。主な著作として、『お笑い公文書2022こんな日本に誰がした!』(文藝春秋)、『プロレス社会学のススメ コロナ時代を読み解くヒント』(ホーム社)、『芸人式新聞の読み方』(幻冬舎文庫)、『教養としてのプロレス』(双葉文庫)、等。

COLORFUL
2023年6月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

双葉社

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