作家・北村薫が忘れられない「きつねの裁判」…“あつてはならぬのですけれど”の強烈さを語る

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

あつてはならぬのですけれど

[レビュアー] 北村薫(作家)


『狐の裁判』内田百閒[著](六興出版)

 書評子4人がテーマに沿った名著を紹介

 今回のテーマは「裁判」です

 ***

 小学校の図書館に『きつねの裁判』(小山書店)という本がありました。日本図書館協会選定図書の中の一冊でしたから、あって不思議はない。しかし、読み進むと、主人公ライネケ狐は、嘘をつき、悪の限りをつくします。あまりのことに、いわゆる決闘裁判にかけられます。正義は勝つ―という思想によるシステムですが、卑怯な狐はこれに勝ち、栄誉の限りを受けます。

 神も仏もないものか―という話ですが、ゲーテの『きつねのライネケ』により、これを書いた内田百閒は「おくがき」で、悪の勝利は「あつてはならぬのですけれど、人間の世界にも、どうかするとそんなことがないとは限りません」と語ります。

 この印象は強烈でした。谷中安規の絵も忘れ難い。

 小学六年の頃、角川文庫の水谷謙三訳『狐物語』を見つけました。こちらの狐はルナール。原作はフランス中世古典。ドイツではライネケになるのですね。

 水谷版は実に面白く、結びも、死んだ主人公の声が―俺の墓には「『狐』と呼んだ賤しい奴の名前」が刻んである、と語る、味のある名調子でした。今、読めないのがもったいない。レオポルド・ショヴォーの再話によるもののようです。ショヴォーは、児童版も書いていて、そちらは福音館書店から『きつねのルナール』(山脇百合子訳)という題で出ていました。これに裁判は出てこない。

 内田百閒の『きつねの裁判』は『狐の裁判』という題でも刊行されています。

新潮社 週刊新潮
2023年10月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク