【本棚を探索】家康、江戸を建てる 門井 慶喜 著

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【本棚を探索】家康、江戸を建てる 門井 慶喜 著

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

現・東京を築いたプロの技

 大河ドラマ『どうする家康』が佳境だ。太閤秀吉が亡くなり、老齢の家康がいよいよ天下取りに乗り出すところまで来た。その少し前、10月1日放送の第37回に興味深い場面があった。

 天正20年(1592年)、北条攻めの後、家康は江戸への国替えを命じられる。馴染んだ故郷の三河・遠江から引き剥がし、湿地だらけの田舎へ追いやるという秀吉の策略だ。町をゼロから作らねばならず、金や労力を使わせることで徳川の力を削ぐ狙いもあった。

 興味を惹かれたのは、松本潤さん演じる家康が江戸に入り、城の普請を始めたらしき場面だ。

 江戸の地勢の模型を前に何やら話している武士がいる。演じるのはなだぎ武さん。その武士曰く、

 「江戸に人を多く集めるには土地が足りません。そこで神田山を削り、その土で日比谷入江を埋め立てるのです」。

 彼の名は伊奈忠次。江戸黎明期の普請奉行である。

 伊奈忠次は江戸の町づくりの第一歩として、検地や新田開発などを行った。最も大きな仕事は利根川東遷・荒川西遷。つまり川の流れを変えるという大工事である。これにより江戸は治水・水運の便が上がったとともに、人が暮らす広大な平地を手に入れたのだ。

 この伊奈忠次の河川付け替えを描いたのが、門井慶喜『家康、江戸を建てる』の第一話である。

 伊奈は合戦で手柄を上げるような、武勇に優れた武士ではなかった。事務方の仕事を得意としていたが、合戦上等の家臣団にあっては臆病者と侮られていた。しかしそんな伊奈を、家康は江戸の第一歩を記す普請奉行に任命する。平和な時代に必要なのは武勇ではなく、伊奈のような実務に秀でた男なのだと。つまりは適材適所である。

 本書では、このように家康が江戸を造り上げるに当たってさまざまなジャンルのプロフェッショナルを起用したこと、そしてそのプロたちがどんな苦労をして、どんな業績を上げたかを綴っている。これが実に優れたテクノクラート小説になっているのだ。

 第二話では太閤秀吉の天正小判に対抗して橋本庄三郎が江戸で新通貨の小判を鋳造、通貨戦争の様子を描く。第三話は神田上水の建設に尽力した大久保藤五郎と内田六次郎の物語。川の立体交差という大工事だ。第四話では江戸城の石垣建造に当たり、石を切り出す人、積む人、それぞれの職人仕事が描かれる。

 そして第五話でいよいよ江戸城建築だ。それまで麗々しい黒い天守ばかりだったところ、家康は純白の天守建造を命じた。その真意はどこにあるのか。秀忠の視点で綴られる。

 江戸建造の情報小説として読むもよし、難題に挑戦するプロの手技を味わうもよし。だが本書の最大の面白さは、当時の江戸のさまざまな工事がそのまま現在の東京につながっているという実感にある。

 橋本庄三郎が小判を鋳造した場所は現在の日銀だ。江戸の人々の飲水を引いた広大な泉は今の井の頭だ。400年も前のプロフェッショナルたちが作り上げた江戸が今も脈々と東京に息づいていることが分かる。

 そしてこれらを可能にしたのが、家康の「人を見る目」だった。適した者たちを見出し、抜擢したことこそ、彼が天下人たる所以なのかもしれない。

(門井慶喜著、祥伝社文庫刊、税込946円)

選者:書評家 大矢 博子

労働新聞
令和5年10月30日第3422号7面 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

労働新聞社

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