『風に立つ』柚月裕子著

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風に立つ

『風に立つ』

著者
柚月裕子 [著]
出版社
中央公論新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784120057281
発売日
2024/01/10
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『風に立つ』柚月裕子著

[レビュアー] 長田育恵(劇作家・脚本家)

「型」押し通す父 子の葛藤

 冷たい鋳型に流し込まれる高温の熔鉄(ようてつ)が火花を散らすように、親の思惑という「鋳型」に押し込められた子供の感情が滾(たぎ)っている。

 岩手県盛岡市。小さな南部鉄器工房。職人気質な親方である孝雄が非行少年を預かる「補導委託」を引き受けると言い出す。息子の悟は反発する。これまで自分の子供の世話もろくにしなかったくせに今さら他人の子を助けるのか。悟は孝雄を身勝手な人間だと思ってきた。

 この本を手に取ったのは私の祖父も盛岡出身だったから。一時同居していたが祖父と親しく話した記憶が殆(ほとん)どない。悟が憤りを覚えてきた孝雄の頑(かたく)なさは、私にも、書斎にお茶を運ぶ時の、祖父の巌のような後ろ姿を思い出させた。

 行動の描写を積み重ねていく、さりげない筆致が好きだ。その行間からよく視(み)える。本心を言い淀(よど)み、別の話に切り替える悟の表情。過去を晒(さら)せず背を向けた孝雄の後ろ姿。沈黙がわだかまりを意識させ、誤解を深め合ってしまう。

 春斗をきっかけに、父と息子の関係は変わり始める。だが作者は急がない。周りに工房の仲間、盛岡の市井に生きる優しい人々を配することで、じっと本音が零(こぼ)される時を待つ。春斗もまたこの地で過ごすからこそ、「鋳型」を押しつけてくる父親に対峙(たいじ)する勇気を得ていく。

 岩手は自然豊かだが津波や豪雪、冷害に襲われてきた地だ。北東から吹き下ろす山背と呼ばれる風が大飢饉(ききん)を起こす。孝雄らの世代は戦後の厳しい貧しさの中で幼少期を過ごしてきた。親たちもまたかつての子供であり、自分の境遇や痛みを次世代に踏襲させまいともがいてきたのだ。やがて物語は、劇中のもう一人の父親、春斗の父達也がなぜ息子に「鋳型」を押しつけていたのか、その素顔にも光を当てていく。

 人は変わり続ける。関係性も変えていける。作者の眼差(まなざ)しは温かい。殊に第5章が珠玉で、眩(まぶ)しい景色と少年の素直な笑顔に涙が滲(にじ)んだ。

 チャグチャグ馬コ、私もきっと見に行きます。(中央公論新社、1980円)

読売新聞
2024年3月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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