『じい散歩 妻の反乱』
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脳梗塞と認知症を患った妻の介護を一手に引きうける90歳超えの夫。子どもを当てにせず、困難を笑い飛ばして生きる。ヒット作『じい散歩』待望の続編『じい散歩 妻の反乱』藤野千夜インタビュー
[文] 双葉社
2020年に単行本で刊行された、芥川賞作家・藤野千夜さんの『じい散歩』。新聞やラジオなど15以上のメディアで紹介され、大きな反響を呼びました。そして2023年8月に文庫化されると、発売2ヶ月で累計10万部を突破。ますます勢いに乗るこの『じい散歩』の続編が遂に刊行! その名も『じい散歩 妻の反乱』。続編の刊行を記念し、執筆の背景や続編に込めた想いなどを著者に伺いました。
取材=編集部
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■実在する2つの家族をミックスさせたのが「明石家」です
──前作『じい散歩』の文庫が2023年8月に発売され、発売2ヶ月で累計10万部を超えました。まさに快進撃ですね。
藤野千夜(以下=藤野):ありがとうございます。これまでそういった派手な売れ方をしたことがないので本当に驚いていますが、一人でも多くの方に手に取っていただけるのは、もちろん嬉しいことです。特に今回は、かなり年輩の方にもお読みいただいていると聞いて、なお嬉しく思っています。
──『じい散歩』を執筆したきっかけを教えて下さい。
藤野:以前、文芸誌「群像」に発表した短編「散骨と密葬」に「明石家」の原形が登場します。新平・英子の夫婦と、結婚しない三兄弟です。細かな設定が違うので、完全な続編ではないのですが、さらに年を重ねた「明石家」がどうなっているのか、10年近く経ってから気になって書いたのが、2018年に「文學界」に発表した短編「じい散歩」です。そしてこの短編をアレンジしたものが、長編『じい散歩』の第1話になっています。「文學界」に短編を発表したあと、つづきを書きたいと思いながら、機会がなくてしばらくそのままになっていたところに、「小説推理」の方からお話をいただいて、一から連載させてもらった作品です。
──『じい散歩』というタイトル、これは言うまでもなく、あのテレビ番組のタイトルからですよね?
藤野:はい、平日の午前中に放送していた地井武男さんの番組『ちい散歩』(テレビ朝日系)のもじりです。今は高田純次さんの『じゅん散歩』を放送していますね。そういった街歩きの番組を見るのは好きなほうです。
ただ、「文學界」に載せる短編を書き上げた時点では、もっと大人しいタイトルにしようと考えていました。「思い出の散歩道」とか、そういう感じの。とはいえ、絶対にこれ!というものが浮かばす、友達に相談したら、「じい散歩」という案が出たのでいただきました。もじりだけあって、さすがに耳によくなじんだ、親しみやすいタイトルだなと。
──主人公の新平をはじめ、妻の英子や三兄弟にモデルはいるのでしょうか?
藤野:はい。高齢のご夫妻は、その「じい散歩」というタイトルをつけてくれた友人のご両親がモデルです。将来、お墓の面倒を誰がみるか、家族の間で問題になっていると友人から聞いたのが2000年代の終わり頃で、それが最初に「明石家」を書いたきっかけでした。ご夫妻とも八十いくつになられてもお元気なので、最初は感心しつつモデルにさせてもらったのですが、そこからさらに10年以上のお付き合いになりました。『じい散歩』の単行本が出たあと、お父さんをモデルに書いた本の評判がとてもいいんですよと伝えましたら、ご本人もとても喜んでくださって、今はMacで自伝を執筆しているそうです。
その友人宅は娘二人なんですが、さすがに家族構成まで同じでは申し訳ないので、結婚しない子供世代は私自身の兄弟がモデルになっています。
つまり実在する2つの家族をミックスしたのが「明石家」です。
──認知症ぎみの妻、長年ひきこもっている長男、自分を長女だという次男、借金を抱える三男など、新平は一家の主としていろいろ気にかけていますが、それらをおおらかな気持ちで受け止めているように見えます。
藤野:ちょっとふざけていて、あまり深刻にならないのが新平の性格だと思います。どこか覚悟を決めているのかもしれません。
──若き新平と英子が故郷の町で出会い、恋に落ち、駆け落ちして上京したことや、新平が社長を務める明石建設の羽振りの良さとその後の破綻など、ある老夫婦の半生記としても読み応えがありました。
藤野:そのあたりは、事前にいろいろお話を聞かせてもらいました。友人にも同席してもらったんですが、五十いくつになってはじめて知るような話が多かったようで喜んでいました。案外、自分の家のことって聞きませんよね。何度かお話を聞かせていただくうちに、内容が微妙にずれていくのもなんだか楽しくて、記憶の曖昧さをあえてそのまま残したところもあります。
──作中にたくさんの実在する飲食店や菓子店、建物などが登場し、街歩き小説としても楽しめます。実際に取材されたのですか?
藤野:連載中はずっと食べ歩きをしていました。よく知っているつもりの場所でも、書くために取材すると、全然知らなかったとあらためて気づくことが多いですね。私が普段ぼ~っとしているので特にそう思うのかもしれませんが。
新平がよく食べるのは本当です。モデルのお父さんは今97歳で、200グラムのサーロインステーキと付け合わせのポテト、ライス、サラダ、果物まで、ぺろりと平らげています。先日ご一緒して、あらためてびっくりしました。
──前作のラストが衝撃的でした。まさか、こう来るか……と。ネタバレになるので詳しくは触れられませんが、藤野さんの小説としては初の試みですよね?
藤野:一人称だとか、三人称だとか、視点人物だとか、小説を書く上での作法というか、決まりごとが一応あって、それを守ったり、わざと守らなかったりするのも一つのテクニックなんですが、二十何年小説家をやっていて、ああいう終わり方をしたのははじめてでした。
二度目はない「飛び道具」だと思うので、この作品の最後に使う、と決めてから、ちょっとわくわくして楽しかったです。
■困難を笑い飛ばすことで、家族を守ろうとしていたのかもしれません
──もともと、続編の構想はあったのでしょうか?
藤野:前作『じい散歩』のラスト、エピローグという形で、執筆している時期とほぼ重ねる終わり方をしたので、あらためて続編を書くという意識はありませんでした。ただ、実際に時間が流れると、やはり一家がどうなっているのか、書ける要素は増えていきますよね。そこで前作のエピローグの前まで一旦時間を戻して、あらためてそこからの日々を書いてみることにしました。やはりこの家族に愛着があったのだと思います。
──前作で英子は自宅で倒れ、その後は自宅介護の生活となります。続編では、同居している息子たちがあてにならないため、新平が英子の世話を一手に引き受ける姿が描かれています。それを「新しいルーティーン」と呼ぶ新平です。
藤野:新平のモデルのお父さんが、決めたことをきっちりやるタイプの方で、足腰を鍛える器具を購入し、自宅で使いはじめたのが本当に90歳くらいからでした。朝のオリジナル体操も、健康食もずっとつづいています。奧さんの介護についても、決めたことはやる、という姿勢を貫かれていたようで、ちらっと傍から見ただけですが、いつも感心していました。
──新平が「借金王」と呼ぶ三男の言動には呆れるばかりです。でも、新平には甘やかして育ててきた自覚もあって……。
藤野:新平のところは、なかなか子供ができなかったので、つい甘やかしたんでしょうね。しかも雄三は末っ子ですし。ただお金のことは、きちんとしないといけませんね。雄三に近い兄弟を持つ身としては、心から思います。じつは現実のほうが、この小説よりずっとひどいことになっていますが(苦笑)。最終的には本人の人生、としか言いようがないですね。
──前作にも増して新平は、「みんなが好きに生きたらいい」「本人が幸せならいい」と、今の家族のありようを肯定しているように感じます。なかなかこのような境地に至るのは難しいと思うのですが。
藤野:家族といっても、ひとりひとり別人格というのが、はっきりしているんじゃないですかね。新平と世代の近い、私の父にもそういうところがありました。いい悪いでなく、その考えの根っこになにがあるのか、よく想像しながら書いていました。
──神社を訪れるシーンが多く登場します。英子の健康祈願をする新平がさりげなく描かれているところが、藤野さんの小説らしいなと感じました。
藤野:ひとつ決めると、誰に告げるわけでもなく、無言でつづけるのが新平かなと思って書きました。続編の扉ページに使われた菅幸子さんのイラストに、手を合わせる新平の姿が描かれていて、とても嬉しくなりました。
──前作では会津、続編では日光へ、日頃の散歩エリアを越えて新平は旅に出ます。非日常に身を置いた新平の姿が、物語の中でとてもよいアクセントになっています。
藤野:作中、ちょっと気晴らしをさせてあげたいと思ったところはありますね。旅行でなくてもいいのですが、ときどきは非日常を楽しんで、あとは地道に暮らすというのは、気力や体力を長く維持する秘訣かもしれません。あと、今作の日光旅行へは、モデルのお父さんも一緒に行きました。取材旅行です。
──続編のサブタイトル「妻の反乱」にはドキッとしました。「反乱」の中身は本書を読んでのお楽しみですが、連載当初からどんな「反乱」にするか決まっていたのでしょうか。
藤野:はい、反乱の内容を知ってからの執筆なので、それを書こうと決めていました。私はわりと見聞きしたものをすぐに取り入れて書くタイプなので、そのまんまだね、と知り合いからはよく言われます。
──前作と続編を読み終えてみると、問題は山積みの明石家ですが、なぜか楽しそうで幸せな一家のように感じられます。2作書き終えてみて、藤野さんにとっての明石家とは?
藤野:問題が多いせいで、結びつきを強くしている家族なのかもしれませんね。新平は困難を笑い飛ばすことで、家族を守ろうとしていたのかもしれません。それが成功だったか失敗だったかはわかりませんが、明石家というのは、昭和から平成を生き抜いた、愛すべきひとつの家族のかたちだったかとは個人的に思います。
──最後に、読者の方々へのメッセージをお願いします。
藤野:昭和を生きた方もそうでない方も、今も東京のどこかにいる「明石家」の暮らしを覗き見て、楽しんでいただければ幸いです。ときどき親切で、だいたい自分勝手な新平のことは、「くそじじい」と呆れながら読むと、やはり一番楽しいかなと子供世代の作者としては思っています。
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藤野千夜(ふじの・ちや)プロフィール
1962年福岡県生まれ。千葉大学教育学部卒。95年『午後の時間割』で第14回海燕新人文学賞、98年『おしゃべり怪談』で第20回野間文芸新人賞、2000年『夏の約束』で第122回芥川賞を受賞。その他の著書に、『ルート225』『君のいた日々』『編集ども集まれ!』『団地のふたり』などがある。