『月の雫』中村稔著
[レビュアー] 東畑開人(臨床心理士)
97歳の詩人。帯に書かれた言葉それ自体が詩のようで、手に取った。老賢者が生と死をめぐる究極の真理を語っている本だと思ったからだが、それは詩を知らない若輩者の空想だった。
本を開いてみると、ふつうの人々の生活と人生が20編描かれている。その多くが年を重ねた人たちのお話。たとえば、老人会で知り合った男女のデートは印象的だ。息子から「いい年をしていやらしいよ」と言われ、娘からは「いまさら男が恋しいなんて、どうかしてるんじゃないの」と言われているのだけど、2人は公園でこっそりと会い、おずおずと手を重ねる。
何気ない日常のように思われるかもしれない。あなたの近所の公園でもそういう一幕があっても不思議じゃないだろう。だけど、97歳の詩人は、月の視点からこれを描いている。人々のありふれた営みを月の光で照らす。すると、その日常に人生の重みと人間の切ない優しさが宿っていることが見えてくる。
詩人は月から人間を見る。私のくたびれた毎日も月から見たら、瑞々(みずみず)しく見えるのかもしれない、と思わせてくれる1冊だ。(青土社、2200円)