デビュー作は『桃尻娘』…日本文学の巨匠・橋本治の何がすごいのか? 人文社会学の研究者が紹介する論理的でかつ情熱的な評論

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はじめての橋本治論

『はじめての橋本治論』

著者
千木良 悠子 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784309031798
発売日
2024/03/27
価格
3,850円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

今、橋本治を読み直すことの意味

[レビュアー] 中村香住(ジェンダー・セクシュアリティ研究)

 こんなに論理的でかつ情熱的な評論を、私は初めて読んだように思う。著者は幼い頃から蓄積されてきた著者の中の膨大な「OSAMUデータベース」を活用して、橋本治の思想や実践の中での各作品(特に小説群)の位置づけを実に論理的に図式化してくれる。しかし一方で、橋本の熱心な「読者」であることを隠さない著者の筆致からは、その折々に、著者自身の橋本の作品に対する巨大感情がうかがえる。

 人文社会学の研究者としてあるまじきことかもしれないが、私は橋本治について不勉強であった。しかし本書を一読して、橋本が1980年代という早い時期から、こんなにも常に、「性」を権力に結びつけてきた歴史としての家父長制を前提とする異性愛の構造を意識していた書き手だったのかと蒙(もう)を啓(ひら)かされた。それは「近代」という巨大な既存の「秩序」への挑戦の一部でもあった。さらに私が非常に驚いたのは、近代を批判するのみならず、近代における自己や個人といった概念が瓦解した先でどうするかという現代的なテーマを取り上げている点である。特に、家父長制が崩壊した後の家族のあり方や親と子の関係については、複数の作品で何度も取り扱われているという。これはポストモダン・フェミニズムが一貫して扱ってきた主題でもある。

 他にも例えば、デビュー作『桃尻娘』における、フェミニスト(榊原玲奈)とポストフェミニスト的女性(醒井凉子)との間の友情と連帯。着ぐるみのように纏わされてきた“女”という思想を脱いだ先にある、新しい女性主体のあり方の模索。近代以後、成熟した男性のモデルが失われているという男性学的な問題。家父長制を前提とした異性愛制度のほころびを示す、男性間の同性愛とそれがホモソーシャル的な共依存関係に横滑りしてしまいかねないこと。これらはどれも、2020年代の今、第三波フェミニズムやクィア・スタディーズ、男性学が重要な論点としているトピックである。その意味で、橋本治を今の時代に「読み直す」ことで、こうした難解な問題の突破口を見つけられる可能性がある。

 ただし橋本は、こうした問題に「答え」を与えてくれるわけではない。処方箋の一つとして、彼は『失われた近代を求めて』の最終章で「近代のやり直し」を提案しているという。しかし、彼はそのために前近代と近代の見取り図を整理したり、我々にエネルギーを与えたりといった「準備」はしてくれているが、具体的にどのように「やり直」せばいいかは教えてくれていない。正反合の弁証法的なモデルや、代表者を複数にして権力を分散させる方向性など、いくつかのヒントが示唆されているのみだ。近代の瓦解によって、既存の秩序から解放されつつも、その代償として生きる上での大きな「指針」を失ってしまった現代人が、今後の世界をいかにして生きていくべきか。ポストモダン以降の生き方という問題に真摯に取り組むことが、橋本治の「鎮魂」になるのかもしれない。

河出書房新社 文藝
2024年夏季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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