大矢博子の推し活読書クラブ
2024/05/22

高橋海人主演「95 キュウゴー」ドラマの映像✕小説の描写で解像度が一気に上がる! 90年代の青春を小説で味わう

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は高橋海人くんが90年代を駆け抜けるこのドラマだ!

■高橋海人・主演!「95 キュウゴー」(テレビ東京・2024)

 37歳の広重秋久は、高校の後輩という女の子から取材の依頼を受ける。1995年をテーマにした卒業制作のため、当時高校生だったOBに連絡をとっているのだという。彼女は当時、秋久が渋谷の“スーパー高校生”のひとりとして掲載された雑誌を持っていた。それは秋久にとって必死に駆け抜けた青春の日々だった──。

 という導入部から1995年の回想に入っていくのが、早見和真の原作小説『95 キュウゴー』(角川文庫)だ。1995年3月20日、地下鉄サリン事件発生。高校生だった秋久、通称Qは、1月の阪神淡路大震災に続いて起きたこの大事件に大きな衝撃を受ける。そんなとき、大物政治家を親に持つ同級生の鈴木翔太郎から自分たちのチームに入らないかと声をかけられた。ヤクザの息子のレオ、ケンカの強いドヨン、ムードメーカーのマルコという派手で個性的な面々の中に、どうして何の取り柄もない僕が……? だがQは彼らとともに過ごすうちに、少しずつ変わり始める。

 95年の渋谷を舞台に、高校生たちが路上でタバコを吸い、ビールを飲み、殴り合いのケンカをする。自分たちの決めたルールには頑固で、仲間を大切にして、やられたらやりかえす。何かでかいことをしたい、高校2年の夏を、冬を、特別なものにしたい、でも何をすればいいのかわからない──そんな若者たちの足掻きと暴走を描いた青春小説だ。キュウゴーとは「Q、GO!」のことでもある。それが20年後に大人になったQの回想として語られる。

 Qを演じるのは高橋海人。翔太郎をはじめとするチームの面々は、中川大志、犬飼貴丈、関口メンディー、細田佳央太が固める。原作の「現在」は20年後なのに対しドラマでは29年後であること、現在の秋久に取材を申し込んだのが後輩の高校生ではなく音楽ライターになっていたこと、地下鉄サリン事件の日にQが花を持って現場に赴いたのはドラマオリジナルで原作にはないこと、ドラマではQが持っていた『ノストラダムスの大予言』は原作ではセイラ(松本穂香)の持ち物だったこと、ドヨンのアイデンティティの問題、Qとセイラのアレがナニな場面は原作では実は成し遂げられずに終わっている(わかるね?)ことなど細かい違いはあるが、95年パートは概ね原作通りだ。

 違うのは現在のパート。今のところドラマでは安田顕さん演じる大人になったQと桜井ユキさん演じる音楽ライター新村の会話のみだが、原作ではこの間に数日が経過し、Qが昔を思い出して髪を金髪に染めたりするのだ。金髪の安田さんが見られるかと思ったのだがやらないのかな? そして原作ではさらに、大人になったチームのメンバーが勢揃いするのである。いやこれ、見たいなあ。それぞれ誰が演じるのか想像するだけでも楽しい。というか、原作では現在のQたちは37歳という設定なので、ドヨン役の関口メンディーさん(33歳)はむしろ現在の方に近かったりするんだが。


イラスト・タテノカズヒロ

■小説とドラマ、この違いに注目!

 ということで大人パートが(今のところ)カットされているので、そこはぜひ原作で脳内補完していただきたい。でもきっとこの先、大人パートもやると思うんだよね。そうじゃないと話が閉じないので。この物語はリアルタイムの95年を描くのではなく、それを20年後に思い返し、あの時代は何だったのかと彼らが自分なりに総括し、当時の積み残しのケリをつけるという物語なので、きっと最終回あたりに大人が勢揃いするはずなのだ。してほしい。

 だが実はそれ以上に大きな違いがある。ドラマと小説の違いは──いいですか、ものすごく当たり前のことを言いますよ──ドラマには映像がある、ということ。

 何を当然のことを、と思ったでしょ思ったよね? いや、当たり前なんだけども、この物語に限っては特に映像の力がすごい。原作でもポケベルとかルーズソックスとか95年の風景や流行がたくさん描写されるけど、ドラマでは当時の映像をインサートしてくるわけよ。この説得力たるや。コギャルだのチーマーだのが闊歩する繁華街の様子、そして地下鉄サリン事件が起きた時のリアルな報道映像。当時のテレビは今と画角サイズが違っていて、もちろんデジタルでもハイビジョンでもなくて、狭い画角にやや荒目の画質があいまって、え、これテレ東のドラマだよね、NHKの「映像の世紀」じゃないよね?と思ってしまうほど。

 また、原作ではQが登校途中に「自作した小沢健二ベスト」を「ウォークマンで聞いている」という場面がある他、当時のヒット曲がいろいろ出てくるんだが、ドラマでは実際に曲が流れるのもいい。その一方で、原作に出てくるのにドラマでは触れられないものもある。当時のヒットドラマだ(他局だもんね)。特に1995年の秋に始まったいしだ壱成・桜井幸子主演の「未成年」(TBS)は原作小説では大事な意味を持つので要チェック。

 もちろん原作小説を読むだけでも著者の描写力で当時の風景がぐああああっと浮かんでくるのだけれど、それは私が95年を知っているから。当時を知らない若い世代が文字だけでは想像の及ばない部分がこうして映像で見られるというのはすごいことだなあ。文字だけで無限に世界が広がるのが小説の醍醐味ではあるけれど、映像や音声ならではの効果というものもあって、それらを見聞きしたあとでもう一度小説に戻ると解像度が一気に上がるぞ。
  

■90年代の青春を小説で味わう

 この小説を読みながら思い出したのは、石田衣良の人気シリーズ「IWGP」こと『池袋ウエストゲートパーク』(文春文庫)だ。長瀬智也主演のドラマをご記憶の方も多いだろう。テーマも構造も違うのだが、特定の繁華街を根城にしている若者たちのチームのエネルギッシュな日々というのが共通している。「IWGP」の第1話が雑誌に掲載されたのは1997年で、その時点で主人公のマコトが「去年地元の工業高校を卒業した」とあるので、本書のQと同い年あたりだろう。ちなみにマコトはPHSを持っている。

「IWGP」のノリで読み始めたもんだから、私の中では鈴木翔太郎のビジュアルイメージは窪塚洋介(「IWGP」でキング役だった)だった。だがドラマを見て、なるほど、中川大志か、と膝を打ったね。ワルぶってるんだけど育ちが良くて基本的なところで優しいの、ぴったりじゃん! 中川大志に「このクソムシが!」って言われてみたい。

 渋谷・池袋と来ると新宿が気になるが、この時代の新宿だと馳星周『不夜城』(角川文庫)になってしまって一気にノワール度が増し、バイオレンスも桁違い。ヤクザの息子のレオがそっち方面に行かないことを祈るのみである。渋谷にいてね。

 近年の90年代小説なら、川上未映子『黄色い家』(中央公論新社)がいい。1995年に15歳の35歳のふたりの女性が出会ってからの5年を描いている。これもまた、2020年に大人になった主人公が20年前を思い出すという、『95 キュウゴー』と同じ構造の小説である。しかし登場する若者の設定はまったく異なる。『95 キュウゴー』が普通の、あるいは普通より上流で不自由なく暮らす高校生たちの暴走であったのに対し、『黄色い家』は少女たちが生きていくためにカード犯罪に手を染めるというクライムノベルだ。ルーズソックスやプリクラやたまごっちだけではない90年代後半が見えてくる。

 他にも東野圭吾『幻夜』(集英社文庫)は阪神淡路大震災を隠れ蓑にした殺人から物語が始まるし、1995年に雑誌連載が始まった宮部みゆき『模倣犯』(新潮文庫)はこの時代に増え始めた承認欲求型の犯罪を描いている。阪神淡路大震災をテーマにした村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)では、著者が解題で地下鉄サリン事件にも触れている。『95 キュウゴー』を読んで/観て、どんな時代だったのか興味を持った方は、ぜひこれらにも手を伸ばしていただきたい。

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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