『半減期を祝って』
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独裁政権の下、セシウムの半減期を祝うニホン 幻の向こうを見据えた遺作
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
津島佑子の遺作を書評していることが信じられない。享年六十八はあまりに若い。
三篇収録の本書中では、だれもが、幻の自分、あるいは幻のだれかを信じ、幻の生活や世界を信じている。しかし、同時にそれは嘘であると気づいてもいるのだ。
たとえば、外資金融勤務で、ニューヨーク通を気取りつつ、日本から一歩も出たことのないシングルマザーのトヨ子。美術評論家のふりをして、オートバイを乗り回していた妻子持ちで勤め人の中年男。でも、その幻をあえて生かしていたのは、彼と付き合う女の方だった。
そして……セシウム137の半減期が来たことを祝い、つい五年前もまた原発事故を起こしながら現実に目を瞑り、すこやかな世界に生きているかのように振る舞う「三十年後のニホン」。涼しい顔でオリンピックを行い、その愛国熱に浮かされて恐るべき独裁政権が生まれた。国防軍予備軍の愛国少年(少女)団(ASD)がアイドルグループのように幅を利かせ、子どもたちはこぞってASD入団を目指す。かつてのドイツを思わせる選民思想や人種差別が横行し、トウホク人が迫害され「シャワー室」送りになる。「婚姻届を出そうとしないカップル」「必要以上に外国語に堪能」な者なども「病院」送りになるとか。語り手のトウホク人の老女は超高層の避難民住宅に、いまもひとりで暮らす。空中楼閣のような部屋に住むこの老女はなにも気づくまい、感じまいとしているようだ。
どの篇にも、見えないものに追い立てられる焦燥と、それでいて、そこはかとない諦観が漂っている。それらが危ういバランスでつりあい、一見、淡々とした語りの水面下から、退くも進むもできない緊張が伝わってくる。作者は、なにに対してこんなに張りつめていたのだろう。それを思うと苦しい。美しく輝くトウキョウ湾を見つめ静かに涙する老女の寡黙に、わたしもただ言葉を失う。