『抹殺された日本軍恤兵部の正体――この組織は何をし、なぜ忘れ去られたのか?』
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【聞きたい。】押田信子さん 『抹殺された日本軍恤兵部の正体』
[レビュアー] 喜多由浩(産経新聞社 文化部編集委員)
■「ナゾの組織」実態に迫る
旧日本軍に「恤兵(じゅっぺい)部」という組織があった。国民から寄贈された金品で前線の兵士らを慰労する部署。現在ではその実態はおろか、読み方すらも知らない人がほとんどだが、「慰問袋」や歌手や芸人による「戦地慰問団」なら聞いたことがあるかもしれない。
「(先の大戦で)戦地へ派遣された慰問団について調べていると、『恤兵部』に行き当たる。資料もほとんど残っていない“ナゾの組織”でした。やっと、当時の慰問雑誌などを見つけ出し、その実態に迫ることができたのです」
陸軍省に初めて恤兵部が設けられたのは、日清戦争が始まった明治27(1894)年のことだ。キャッチフレーズは、“戦地と銃後を結ぶ絆”。次第に軍部へ新聞などのメディアが協力し、国民は金品を寄贈して貢献する「スキーム」が出来上がっていく。
「国民の方からどんどんと金品をもってきたので、当初はそれに対応するためのインスタントな組織でしたが、だんだんと常設化してゆきます。何しろ、兵士を“人質”に取られていますから、『(銃後の)みなさんのお金が兵士を…』といったセリフに国民は心を動かされてしまう。メディアはそれをあおり、うまく操ったのですよ」
本書によれば、高峰三枝子、長谷川一夫、水の江滝子…そうそうたる大スターたちが、戦地を慰問している。戦地へ送られる慰問袋には、梅干しやたばこなどに加えて、スターのブロマイド写真も入れられた。
こうしたアイドルの写真や記事を掲載した「陣中倶楽部」「戦線文庫」などの慰問雑誌も次々と創刊。これらの原資も、国民から寄せられた恤兵金である。
「ターキー(水の江)はとてもきれいで(兵士に)すごく人気だったようですね。でも、慰問団の中にも戦死者が出ていますし、命がけだったことは兵士らと変わりありません」(扶桑社新書・1080円+税)
喜多由浩
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【プロフィル】押田信子
おしだ・のぶこ 中央大学経済研究所客員研究員。専門は、メディア史など。昭和25年、東京都出身。横浜市大大学院都市社会文化研究科博士課程単位取得退学。主な著書に『兵士のアイドル』など。