「衰退」の歴史が知っている、世界で主導権を握る条件

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「すべての道はローマに通ず」という言葉があるほど、古代の中心に鎮座していたローマ。コロッセウムや神殿などの高度な建築技術でも知られ、道路や水道などのインフラまで整備されていた。(写真:photoAC)

 昨年は米中覇権争いが激化の一途でしたが、今年に入り新型肺炎蔓延の余波が大きく、“一時休戦”の様相を呈しています。アメリカの地位は相対的には低下していますが、それでも覇権国家としての役割は担い続けています。また、EUから離脱したイギリスも、かつての覇権国家としての存在感がいたるところで見られます。覇権をめぐる目まぐるしい争いの狭間で、日本がとるべき道は何でしょうか? ここでは『覇権の歴史を見れば、世界がわかる』(ウェッジ刊)より、歴史家である著者の島崎晋氏が、世界の趨勢を読み解くうえで、興亡を繰り返した覇権国家の歴史に学ぶ必要性を語ります。

征服欲と生存欲を満たす人類の覇権争い

 人類が他の類人猿と別の道を歩むようになったきっかけは、食料が豊富な森林での覇権争いに敗れ、そこから追われたことにあります。つまり、人類の歴史は覇権争いにおける「敗北」に始まるわけですが、それが必ずしも滅亡や衰退、不幸に直結しなかったことは、その後の人類の歴史が証明しています。

 森林から追い出された人類の祖先たちですが、その後も争いは絶えませんでした。住まいになる洞窟を奪い合うこともあれば、動物が集まる水場周辺を巡る縄張り争い、女性を巡る争いなどが起こり、定住農耕生活の開始後は、より肥沃(ひよく)な土地や水源を巡る争いが起こりました。

 現代でもまだ見られますが、川の上流の集落だけが水を独占したのでは、川下の集落が怒るのは当然です。このような水争いは生きる糧(かて)に直結する問題だけに、時代を遡るほど争いの要因になりやすかったと言えます。つまり、覇権争いは生き残りと食べ物の確保のために始まったのです。

 鉄の時代に入ってからは鉄鉱石の産地が争奪戦となり、遠隔地との交易が盛んになってからは交易拠点や経路が争奪戦となりますが、農耕牧畜に多くを期待できない地域では特にその傾向が強くなりました。

 一般論で言えば、飛び抜けた強国が出現すると、周辺諸国にとって大きな脅威になります。共通の敵がいれば同盟軍の盟主として仰ぐにやぶさかではありませんが、そうでない場合はいつ征服・併合されるか不安になります。生き残りのために小国同士で同盟を組むか、相手を怯(おび)えさせるくらいに軍備を充実させることになりましたが、それがかえって強国を刺激した例も珍しくありません。

 人間界の覇権争いはボスの座や女性の独占、縄張りを巡るものに限らず、欲望や自尊心など果てなき感情による場合が多いとも言えます。大国同士の覇権争いはその最たるもので、戦略的要衝の確保を掲げながら、現実には欲望の充足に促されているだけの場合があります。

 何にもまして厄介なのは選民意識や義務感による覇権争いで、その表看板として宗教やイデオロギーが掲げられました。また、正義や大義、聖戦などの名のもとに行なわれる侵略は、熱狂をともないやすいことが知られています。恩恵の名のもとに従来とは違う価値観を押し付けられるのは、ときに有益に働くこともあったでしょうが、その逆のほうが多く、社会の分断を招くことさえありました。

 ボスの座を巡る争いに限りなく近いのですが、権力が世襲される場合、不適格者がトップになるときにも争いが起こりました。このまま不適格者に任せておいたのでは全体の存亡にかかわるので、これを打倒しようとする者と、あくまで守ろうとする者、あるいは取って代わろうとする者たちで覇権争いが起こるのはよく見られる現象でした。

 総じていうと、覇権争いの根っこにあるのは「欲望」であり、征服欲と生存欲の二つに尽きるのです。

軍事力・経済力だけでは覇権国家になれない

 覇権国家になる条件は一つではありません。軍事力と経済力を兼ね備えていなければならないと考えがちですが、それは強国がいくつもひしめいている場合です。紀元前のアッシリアは軍事力のみで、近世のオランダは経済力のみで覇権国家となっています。強力なライバルがいなければ、どちらか一方の力が飛びぬけているだけで十分だったのです。

 強国が近隣に3つ以上ある場合は、人心収攬(しゅうらん)も必須条件となります。民を鞭(むち)打つばかりの政権では住民の逃亡や反乱が相次ぎ、軍の士気も低下します。敵への内通や寝返りが起こる可能性も高く、それを抑止するには飴と鞭を巧みに併用するよう心掛けねばなりません。税負担や徭役(ようえき)を重くするにも、民の納得が得られるよう、きちんとした説明が求められたのです。

 また覇権国家の地位を長続きさせたいのであれば、民にも被保護国にも畏敬(いけい)の念を抱かせる必要があり、恐怖による支配では長くは続かず、悪名ばかりを残すようでは、覇権国家と言っても悪夢の張本人として語り継がれるのが落ちでした。

 広大な領土といくつもの保護国を有し、それが少なくとも50年以上に及ばないことには覇権ではなく、単なる占領になります。領土もただ広いだけでなく、多くの人口を抱えることに加え、いくつもの異なる民族、言語、宗教を包み込みながら、安定統治をすることが求められたのです。これまで分断統治や同化政策が、一定の成果を収めた例はありますが、それが現在にまで続く紛争の種になっている現実を見れば、肯定的に捉えるわけにはいきません。

 仮に、覇権国家と呼ぶに値するのは、持続的な平和と安定を維持できる勢力のみと断言すれば、征服した国家や人民に最低限の義務を課すのみで、伝統文化や宗教、言語などには一切干渉も変更も強いなければ、理不尽な理由で地方統治者を交代させることもなく、双方に益があるソフトな統治こそが長続きの要諦(ようたい)と言えるでしょう。

覇権国家が衰退を避けられない訳

 19世紀から現在まで、一貫して覇権国家の地位にある国は存在しません。イギリスはすでにその座から陥落し、アメリカは19世紀段階ではまだその地位になく、ロシアには断絶期間があり、フランスとドイツは浮き沈みが激しく、19世紀末から20世紀前半の中国に至っては列強の半植民地状態にありました。

 長らく覇権国家の地位にあったオーストリア、オスマン帝国、大清帝国も近代の到来直前に下降線を描き、大航海時代を席巻したスペイン、ポルトガル、オランダにしても同様でした。

 一代で崩壊したアレクサンドロス大王のマケドニアは別として、アケメネス朝やローマ帝国、モンゴル帝国など広大な版図を築いた超大国も衰退と滅亡を免れませんでした。栄枯盛衰は仏教の観念ですが、現実を直視すれば、世界共通の定理なのかもしれません。

 覇権国家が必ず衰退する要因として、一番に挙げるべきは慢心です。驕り、過信、自身への過大評価と言い換えることもできます。自分たちは神に選ばれた優秀な存在で、他から学ぶべきものは何もないという声が多数を占めるようになればもう黄色信号と言えます。

 覇権を築くまでには、例外なく無理に無理を重ねてきているので、時と場合に則したイノベーションを重ね続けないことには、現状維持さえままならなくなります。時代を経てもイノベーションが打ち出せない、停滞したままで良いと感じ始めたときには、もう衰退は避けられません。自省や内省を自虐と批判し、それらを唱える者を非国民呼ばわりしたのでは、その国はもう終わっていると言えます。

 問題提起から、具体的な取り組みに着手するまで、いかに速やかに運べるかが、覇権国家のままでいられるかどうかの大きな別れ道となります。現実問題として、大きな痛みと苦労をともなうイノベーションには、既得権益層の抵抗が強く、実行に移すのは難しいでしょうが、子々孫々のことより、現実の自分たちを優先させるエゴを克服できない限り、覇権国家の衰退は避けられません。

 さらに、これからは覇権争いの舞台が拡大され、海洋や北極や南極といった極地から、宇宙へ拡大するのは避けられそうにありません。すでに鍔迫(つばぜ)り合いも始まっており、宇宙では月や火星の領有権だけではなく、制空権ならぬ「制宙権」争いが熾烈になると考えられます。

 そうなると人工衛星の質と数で勝る国が、情報戦争で圧倒的な優位を占めるでしょう。他国の人工衛星を破壊しないまでも、通信の遮断や情報操作を思いのままとすることで、AI搭載の武器を使用できなくすることができます。一滴の血も流すことなく勝敗を決する新たな覇権争いが訪れる日は、もう目前に迫っているのかもしれません。

――島崎氏は中国やイギリスでの滞在経験がある、古今東西の歴史・宗教・地理に精通した歴史家。世界の趨勢を知るうえで、日本人が「覇権」という視座をもつことを強調し、最新刊の中でもそれに言及しています。2020年以降を読み解くうえで、参考にしてみてはいかがでしょうか。

島崎晋(歴史作家)

ウェッジ
2020年2月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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