『百年と一日』
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百年と一日 柴崎友香著
[レビュアー] 佐野史郎(俳優)
◆静かに時空を超える感覚
柴崎さんの小説には、よく写真にまつわる物語が出てくる。けれど、この短編集で“写真”が印象に残るのは、終戦時に戦争を逃れようと海を渡って島に泳ぎつき洞窟に住み着いた男の物語くらいだ。
今回、意識的にモチーフとして写真やカメラを避けていたのかどうかはわからないけれど、例えば『その街の今は』では、一枚の写真を媒体として大阪の街の時空を越え、“今”という瞬間が古代であり未来でもあるという身体感覚を目覚めさせてくれる。
この感覚を観念的にではなく、日常の時間の中で、ごく当たり前に感じることができる喜びと無常感を現すために“写真”が度々登場するのではないかと思うのだ。
この短編集でも、洞窟に住み着いた男の物語では、男と親しくなった少年が島を離れて三十年後に再訪し、通りすがりの、かつて一度だけ島を訪れたことがあるという観光客に頼まれて写真を撮り、レンズ越しに古(いにしえ)の時を蘇(よみがえ)らせる。
そんな直球のタイムマシンとしての“写真”を物語に登場させもするが、『百年と一日』は、収められた文字の一つ一つが光の粒子となって、それ自体が写真機の機能を果たしているように見える。
小説、口伝……方法はどうであれ、古より手法や道具は違えども、時空を超える身体感覚を得ることなしには成すことのできない表現の世界に、真っ向から、けれど決してその想(おも)いを大上段に振りかざすことなく、日常の時間を用いて取り組んでいる姿勢に、読者は知らず知らずのうちに惹(ひ)き込まれ、救いの想いを抱くのではないだろうか?
短編集の一つ一つの作品のタイトルは長い。それはまるで、ネガフィルムのベタ焼きのように、小さなサイズではあっても本編分の情報量と空気が詰まっている。百年の時を一日で過ごすように。
タイトルはテオ・アンゲロプロス監督の映画『永遠と一日』を思い出さずにはおれない。確かに、あの詩人が「言葉で君をここに連れ戻す」と言ったように、柴崎さんは詩人の言葉を受け、時を超える。だからあの詩人と同じように、泳ぎ渡った島にだけ写真機が登場するのかもしれない。
(筑摩書房・1540円)
1973年生まれ。作家。2000年、『きょうのできごと』で単行本デビュー。
◆もう1冊
柴崎友香著『その街の今は』(新潮文庫)。芸術選奨文部科学大臣新人賞など3賞を受賞。