「他人と比べすぎる」自己肯定感が低い人のつらい共通点――「比べる」ことは悪いことじゃない

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photo by TicTac/photoAC

現役看護師であり僧侶でもある玉置妙憂さんは、日々亡くなっていく人々やその人を看取る家族に寄り添う活動をしています。最近では元気な方からも悩み相談を受けるようになり、その多くの悩みに共通しているのは「人と比べてしまうこと」だと言います。今回は「つい比べて落ち込んでしまったときの対処法」についてお聞きしました。

※本稿は『心のザワザワがなくなる 比べない習慣』(玉置妙憂)の一部を再編集しています。

自分が「人並み」かどうか気になって仕方ない

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30代後半女性の悩み

「私、自信がないんです」

子どもの頃、そそっかしくて忘れ物が多く、運動も勉強も苦手でした。親にも教師にも、あきれられ、いつもお姉ちゃんと比べられて叱られてばかりいました。一生懸命努力して、人並みの大学を出ていい職場に就職したけれど、心の中には叱られてばかりだった過去の自分がいて、いつまでも自信が持てません。

「いまでも、まわりの人と比べて自分はちゃんとできているか、ちゃんと人並みかどうかが気になってしまうんです」
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ご本人によると仕事はいたって順調、見た目も可愛らしく、十分自信を持っていいような方でした。

比べられた経験がいつまでも心の中にトゲのように残っていて、何かを決めるとき、まわりの人と比べて及第点かどうかが気になる。誰かに比べていいか悪いかでジャッジしてしまう。そんな方は、実はとても多いようです。

次に、40代の女性のお話をうかがっていたときのこと。病で余命いくばくもない方でした。

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40代女性の悩み

「私は、ろくな生き方をしてこなかった」

一度も結婚したことがなく、子どももいないから、自分は「ろくな生き方」をしてこなかった。普通の幸せでいいから、せめて人並みの幸せを手に入れたかった。

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その方は「普通」「人並み」という言葉を何度も口に出していました。具体的な比較対象があるわけではないけれど、世間一般のイメージと、自分の人生を比べられていたのでしょう。そうして、自分が選ばなかった人生をなげいていたのです。

どちらの方も、誰かや何かと比べて優劣を判断し、劣等感にさいなまれています。

子どものころ「比べられて悲しかった」のに、大人になったいま、結局他人と比べることで自分の価値を判断してしまう。「結婚して子どもを育てるのが女性の普通の幸せだ」「それなのに、私はそれができなかった」と人と比べて落ち込み、「結婚して子どもを持たなかった自分」を死の間際まで悔やんでしまう。

私は看護師として、僧侶として、死にゆく方の心に寄りそう活動をしています。最近では元気に生きている方が、よりよく生きるための人生相談、悩み相談などを受ける機会も増えてきました。

その中で、死にゆく方もいまを生きる方も、悩み事には共通点があると感じるようになりました。それが「比べる」ということ。

人生を窮屈にさせる「普通」や「人並み」という幻想

いろいろな方の相談を聞いていると、人間の悩みの根本には、「比べる」気持ちがあると感じます。比べて悩むとは、世の中の常識や当たり前など「与えられた価値観に従う」ということでもあります。

子どものときは、親や先生が言ったことを守るとほめられます。そのまま大人になり、会社では上司の言うことに従い、友だちづきあいでは声の大きい人に従い、母親同士のつきあいの中でも右にならう。

そういう生き方はラクである一方、誰かに与えられた価値観に従って生きているだけでは、自分の頭で考えて判断することができなくなります。

「こう言われたから、こうしなければいけない」「世の中の普通にあわせなければならない」ことばかりが気になってしまうのです。

自分はそうしたくないけど、あの人に言われたからしなければならない。自分は真面目に従っているのに、報われない。自分の行動や評価の基準を他人や世間のほうに置き、つねに「人と比べて自分はどうか」と人目を気にしては、何かあるたびに「どう行動したらいいのか」と悩んでしまう。

誰が決めたかわからない「普通」や「世間」、「人並み」などという幻想の檻にしばられて、自分で自分の人生を窮屈にしています。

そうではなく、他人や世間と比べず自分自身で心を満たせることができれば、人生はもっと生きやすいものになるのではないかと感じさせられます。

比べる・比べられるなかで「自分の軸」を持つ

もちろん、私たちは他人の視線や評価から完全に逃れることはできません。つねに誰かと優劣を比べられながら生きています。

ただ、どうしても比べざるを得ないとしても、「みんなはできていることが、私にはできなかった」と、ネガティブな比べ方をして生きてきた人は、最期までネガティブな比べ方をしてしまう傾向があると感じます。

そうではなく、「私はこの生き方を選んだのだから、これでよかったのだ」と自分の軸を持ち、自分なりの生き方をしてきた人は、心おだやかに最期の時を迎えていらっしゃることが多いものです。

人の死に、いい死に方も悪い死に方もありません。けれど、私たちは心おだやかに亡くなっていく人たちの生き方から学べることもあるはずです。

それは、自分の軸を持ち、それぞれの人生を存分に生きるということ。

まったく人と比べないことは不可能だとしても、妬みや嫉みに振り回される経験を、少しずつ減らしていくことはできます。その練習の一つを紹介します。

比べるをなくす練習:心をリセットする儀式を決める

「私はまた、あの人と比べてしまっているな」とか「自分は苦しんでいるな」と気づいた時点で本当は8割解決しているのですが、もしもそこで「でも、やっぱり……」とネガティブな思考のループから抜け出せなくなったら、気持ちをリセットするための儀式を行なってみてください。

ラグビー日本代表だった五郎丸歩選手が、キックの前に祈るようなポーズをしていたのを覚えている方も多いことでしょう。あれは、自分の意識を集中して、もっとも効果的にパフォーマンスを発揮できる「ゾーン」に入るための儀式(ルーティン)です。どんなピンチのときでも、それをやれば自分の「ゾーン」に入ることができるように、五郎丸選手は訓練を重ねてきたはずです。

私たちもその練習をすることで、自分の感情をコントロールしやすくなります。

たとえば、コーヒーを飲むとか、深呼吸をするなど、何かしらの行動を「感情をリセットするための儀式」として、つねに意識しながら行ないます。ただ漫然とコーヒーを飲むのではなく、「このコーヒーを飲んだら、私は平常心に戻る」と思いながら飲んでみてください。

それを続けることによって、コーヒーを飲めば気持ちが落ち着き、ほかの人と比べたり、妬んだりでしまう気持ちを流し、本来の自分にリセットできるようになってきます。

「たまたまコーヒーを飲んだら落ち着いた。コーヒーってすごい」という話ではなく、「私はたとえマイナス感情にとらわれたとしても、コーヒーを飲めば断ち切れる」と、意識的に訓練をして、そういう自分をつくり上げるのです。

アロマやヨガ、ストレッチなどもいいですね。ペットや子どもの写真を見る、象徴的なものに触れる……など、自分の生活に取り入れやすい儀式であればなんでもいいのです。それをしっかり自分自身に意識づけることが大切です。

日本実業出版社
2020年10月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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