『ぼくは縄文大工』
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ぼくは縄文大工 石斧(せきふ)でつくる丸木舟と小屋 雨宮(あめみや)国広著
[レビュアー] 譽田亜紀子(土偶女子で文筆家)
◆先史時代の暮らしを実践
じつは著者の雨宮国広さんにお会いしたことがある。頭にはタヌキ、上半身はシカ、下半身はクマの皮を纏(まと)った雨宮さんは、肉を食べたあとに皮を衣として加工し、余すところなく命を頂いているのだと話してくれた。
本書には石斧を使って石川・能登に縄文小屋を建てたことや、国立科学博物館の「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」で、試行錯誤しながら仲間と共に丸木舟を作り上げたことが、克明に書かれている。縄文人に心を寄せるわたしとしては、雨宮さんが目に見えぬ旧石器人、縄文人たちに近づいていくさまに憧憬(しょうけい)を覚えずにはいられない。
と言いつつ、特に印象に残ったのは黒曜石の話である。黒曜石は先史時代にナイフや鏃(やじり)として使われたガラス質の石材なのだが、彼はその黒曜石を使ってタヌキを一匹解体した。空豆ほどの小さな黒曜石でも、鋭い刃先がタヌキの体の上をスルスルと滑り、指先に何の抵抗を感じることなく解体できたという。その切れ味に「神の力を秘めた石だと感じた」というのだ。
そこでわたしは、はたと気がついた。もしかするとこの感覚こそが、先史時代の人々がこぞって黒曜石を求めた理由なのではないか、と。もちろんナイフとして優れていることもあるだろう。しかしそれ以上に、仕留めた動物を無闇(むやみ)に傷つけることなく解体できるその光り輝く黒い石に、雨宮さん同様、先史時代の人々も神の力を感じていたのかもしれない。
こうして実践の中から紡がれる言葉は、とにかく強い。縄文人を敬愛し、縄文人のようになろうと、トイレもない三畳ほどの小屋を建て、米も食べず、普段からできる限り縄文的な暮らしをしているという。とはいえ、室内で新聞紙を敷いてウンコをしているという話にはのけぞった。縄文人もそれはしていないと思うが、実証を伴う彼の探究心には、ほとほと頭が下がる。
生きることに不器用で、変人扱いされることもあるというが、わたしには生きることにまっすぐで魅力のある人に思えてならない。
(平凡社新書・946円)
1969年生まれ。縄文大工、建築家。丸太の皮むきのバイトを機に大工の道へ。
◆もう1冊
関根秀樹著『縄文人になる! 縄文式生活技術教本』(ヤマケイ文庫)