大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一、その孫が感じた人生の意味とは

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2021年のNHK大河ドラマの主人公は、新一万円札にも起用される渋沢栄一です。この「日本資本主義の父」とも評される渋沢を祖父に持つのが、現在98歳となるエッセイストの鮫島純子さん。渋沢家で生まれ、戦中・戦後を経て、たどりついたのは「すべてのことに感謝する」という生き方。もちろん、その中には祖父の教えも息づいています。著書『なにがあっても、ありがとう』より、鮫島さんの人生観をご紹介します。


鮫島純子氏

幼少時、そして戦中・戦後

貧富、生まれた土地、身分など、私たちが生まれ持つ環境、育つ環境はさまざまです。

その中で私たちは、人間関係に悩み、人と比べ劣等感を感じ、つらく、苦しい出来事を経験しながら、生きてゆきます。

そのような経験をしながら、私たちが生きていく意味とは、人生とは、人間とは何なのか?

九十年余り生きて、どうやらその答えが見つかったように思えます。

私の場合は、渋沢の家に生まれて、身分制度の雰囲気がいまだに漂っていた大正時代、使用人たちに持ち上げられ、当時存命の祖父・渋沢栄一の七光ゆえに、社会にも大事にされ、町の子どもさんと同じ学校に通わず、あたかも優位に立つ特別な人間かのように錯覚しながら育ちました。

母が旧藩主の家柄という影響もあり、御近所のお子さんたちと遊びたくても、使用人たちに「町の子とお遊びになってはいけません」と屋敷内に促されるような環境でした。

我が家の門前に広がる広場で楽しそうに遊ぶ町のお子さんたちを、門柱の陰からうらやましく見つめていた幼い頃のことを思い出します。

成人してからの私は、太平洋戦争をきっかけに、家柄や身分などの考え方を払拭する日々となりました。

敗戦国の日本は、米国GHQの統治下に置かれ、そこで微に入り細にわたり、徹底的な制度改革が行われ、「人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」という平等の精神を柱とした民主国家が誕生。我が家でも、経済的な理由もあって、新しい教育制度のもとに、子どもたちが町の学校に通学することになりました。

そのおかげでPTAの交流など、地域の方々のさまざまな暮らしにふれて、今までとは違う世界が見えてきました。

また、鮫島家に嫁いでからは、質素倹約の日々を過ごしてきました。

戦中戦後は、夫の頂く給与も遅配続き。その頃のごく一般的な家庭と同様に倹約を心がけ、家事、子育てなど、よい家庭を築く努力を精一杯こなしてきました。

そして、自分の育った頃とは、まったく状況が変わった中で子育てをしているうちに、何事にも一喜一憂したり、人と比較したりしてしまい、母親失格を感じ始めたのです。

敗戦から立ち上がって皆懸命に生きているうちに、戦前とは違った貧富の差が目立って、「平等とは?」「人間とは?」という疑問もわいてきました。

「人生」とは何か?

何とか聖者の教えを乞いたいと、近所のキリスト教会に通いながら、その答えを探し求めました。

そこで学んだ日々、多くの方々との出会いもまた、自分を育てる貴重な経験ではありましたが、十年ほど通っても、聖書の御言葉は崇高すぎて、「汝の敵を愛せよ」と言われても、「形は真似できても心の底からそう思うのは難しい」とか、「神をすがる対象として祈っているばかりだけれど、本当の祈りとはそういうものなのかしら」などと思ってしまい、疑問は解けないまま。

キリスト教会だけでなく、時には仏教のお説教を伺ったり、インドの聖者の書も読みましたが、なかなか納得のいく答えに辿りつけずにいました。

その折、たまたま見舞いに行った主人の従姉の家で、一冊の本に出会いました。

この本との出会いをきっかけに、「肉体は期間限定、魂は何度も違う環境に生まれ変わり、学びながら成長していく」という、人生の真理ともいえる考え方に出会ったのは三十九歳のこと。

「間もなく不惑の年を迎えるというのに、いまだ私は戸惑い、不動心になっていない」と自らを反省していた頃でした。

私は、長い輪廻の時を経て、今回の生涯では、こういう場所に生まれたのだと気づき、家柄や身分などは、その時期、その立場で必要な学習をするために自らが選んだ環境・境遇なのだと理解できるようになったのです。

そして人生の折々に起きる問題も、愛や思いやりの心を磨き、自分の魂を向上させようと自らが選んだことである――。

心からそう思えると、どんなことがあっても逃げることなく、「何に対しても感謝」を心がけ、自分を磨く習慣が身につきました。

なにがあっても、ありがとう

ただ、それはまことに「言うは易し、行うは難し」であって、努力の末にやっと身につけた、後天的なポジティブ思考・習慣のように思います。

我が家のトイレには「ありがとうございます」というシールが貼られています。

なぜ「ありがとうございます」なのかをご説明しましょう。

体の働きは、まさに人智の及ばない、神の手によって設計されたものとしか思えない精巧なしくみによって保たれています。

排泄のしくみも然りです。

体に必要な栄養分が血液を介して各組織にいきわたり、余分な水分は腎臓にたまって尿管から排泄されるらしいですが、なんと、塩分や糖分、水分が腎臓でろ過された後、もう一度、体に必要な成分を再吸収するために、尿細管でさらにろ過されるのだそうです。

一切を無駄にしないリサイクルのしくみです。

そう知ると、ただただ感謝するしかありません。排泄ということだけを考えても、私たちは神の無償の愛を受けて生かされていることを思い知らされ、感謝の念がこみ上げてきます。

当たり前のように感じがちですが、この生命を保つための働きを無条件に神様が与えてくださっていることを思えば、なんとありがたいことなのでしょうと、一層感謝が深まっていきます。

「自分の体は自分が勝手に使っていい」という考えは大きな誤解だった、今は心の底からそう思えます。

そんな自戒の心を込めた、トイレの「ありがとうございます」なのです。

また現代では、各家々はいうに及ばず、公園、駅などの公衆トイレに至るまで、水洗、ウォッシュレット、保温便座を完備しているところが増えてきました。

戦中戦後にトイレ用の紙さえなかった時代に子育てを経験している私は、そんなことへの感謝の気持ちをスイッチオンするためにも「ありがとうございます」のシールを貼っている次第です。

私がこのような境地を完全に習慣化するまでに五十年もかかりました。

けれども、誰もが若いうちからこのような習慣を身につけていたら、もっと早く、穏やかで幸せな日々を送れるようになれましょう。

皆様も、何があっても「ありがとう」とすべてを感謝に変えて、たとえ、さまざまな試練にあわれましても、それを乗り越える力を、日々養っていただけましたら嬉しい限りです。

鮫島純子(さめじますみこ)
エッセイスト。大正11年(1922年)、東京都飛鳥山(現・北区西ヶ原)で生まれる。祖父は日本資本主義の礎を築いた渋沢栄一。父は栄一の三男で実業家の渋沢正雄。女子学習院を卒業後、20歳で(1942年)岩倉具視の曽孫にあたる員重(かずしげ)氏と結婚。男児3人をもうける。渋沢栄一の精神を受け継ぎ、少女時代の質素倹約の暮らし方を結婚後も実践。洋裁を習い、夫の私服や子供達や自分の着る物をほとんど手作りしたり、物を大事に長く使う工夫など、生き方や生活全般にいつも知恵が溢れている。夫の勤務地・名古屋で大空襲を経験。夫の退職後は夫婦で朝の散歩など日常生活の中でできる健康法と心の持ち方をポジティブに保つ心がけを実践。99年、夫を自宅で介護し見送る。病気知らずのその若々しい美しさも注目されている。著書に『祖父・渋沢栄一に学んだこと』『忘れないで季節のしきたり日本の心』『あのころ、今、これから…』『毎日が、いきいき、すこやか』など。講演会や雑誌への寄稿も多数。

鮫島純子

あさ出版
2021年2月25日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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