猫のボブが教えてくれた、お金では買えないもの 『ボブが遺してくれた最高のギフト』試し読み

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人生のどん底にいた青年ジェームズが出会った野良猫・ボブ。孤独なひとりと一匹のかけがえの無い友情を描いたノンフィクション『ボブという名のストリート・キャット』は2012年にイギリスで発売されるや世界的なベストセラーとなり、映画化もされるなど大きな反響を呼びました。

『ボブが遺してくれた最高のギフト』は、ふたりが出会ってから3回目の冬、クリスマスまでの数日間を描いた物語。ボブと出会って以来、ホームレスの自立を支援する雑誌〈ビッグイシュー〉の販売員として働くようになり薬物依存症も克服、ボブの力で人生を立て直しはじめたジェームズですが、その年は記録的な寒さと脚の痛みで動くこともままならない状況になってしまいます。

ふたりであたたかなクリスマスを迎えるための奮闘、その中で気づいた人とのつながりと思いやりを描いた心温まる物語です。

2022年2月25日(金)には本書を原作とした映画『ボブという名の猫2 幸せのギフト』がついに公開。
【映画の詳細はこちらから】

今回は映画の公開を記念して、『ボブが遺してくれた最高のギフト』からクリスマスのエピソードを公開します。

 ***

 クリスマスの飾りで窓が照らされている家の列を眺めながら、ぼくは自分の運のよさを思った。たしかにこれまでの人生には困難も挫折も多く、自ら招いたものも少なくなかった。でもずっと一貫していたことが、ひとつだけある。いつも、思いやりのあふれる人たちがいてくれたのだ。ケアワーカーに薬物依存症更生プログラムのカウンセラ—、アウトリーチ・ワーカー、それに路上で働いているときに話しかけてくれるふつうの人たちも。ロンドンの評判はよくないが、善良な人たちがいっぱいいる。いま乗っているバスの運転手もそうだ。いい人たちは、とても多い。一人ひとりの思いやりのある行動は、ささやかなものかもしれない。でもそれが積み重なって、たぶんぼくの命を救ってくれた。

 今日エンジェル駅の外で起こったことは、その最高の例だ。ぼくたちのところに来て、カードやお金を渡してくれた人たちの顔を、ぼくは思いうかべた。誰ひとりとして、そんなことをしなくてはならない羲理はない。みんな自分の良心に従い、クリスマスの精神に則ってしてくれたことだ。例の謎めいた、魔法のような、ぼくを当惑させてきたクリスマスの精神に。ぼくは感謝の気持ちでいっぱいだった。

 そのことで、別の思いが出てきた。感謝の気持ちをきちんと示していなかったことに、罪悪感を覚えたのだ。それも、今日だけのことではない。もっと若いときだったら、それもある程度許されていたかもしれない。怒っているか、ハィになっているかのどちらかで、ぼくはきちんとお礼を言える状態にないことが多かった。でもそれはもう過去のこと、ほぼ別人だったときのことだ。いまのぼくは、ちがう人問になっている。ありがとうと言えない理由は何もない。しかもいまは、感謝を伝えるのに一年のなかで最適な時期だ。バスの座席で、ぼくはある決意をした。ぼくには機会があるのだから、それを活かそう。小さな啓示のようだった。

 アパートメントに帰る途巾、ぼくはコンビニエンスストアに寄り、電気とガス、両方に課金した。四十ポンドずつ、計八十ポンドだ。これでクリスマスのあいだ、それにその先も当面安心だ。こんな変化が自分の身に起こったことが信じられない思いだった。数年前のぼくだったら、こんなにまともな判断をすることなど、とうていできなかった。稼いだ金をドラッグに使ってしまっていた。でもいまは、人生に対して当時とはちがう考え方をするようになった。さ

らに、自分以外にも面倒を見る対象がいる。

 ボブはおとなしくぼくの肩に乗っているが、寒くて疲れているのはわかる。早く部屋を暖めて、ボブが暖房器の前でくつろげるようにしてあげたい。

 ぼくはミルクとボブ用のおやつを、カウンターに置いた。

「以上でよろしいですか?」レジの男性が訊いてきた。

「あ、ちょっと待って」ぼくはバスのなかで決意したことを思いだした。

 店の文房具を置いているところに向かう。クリスマスカ—ドの品ぞろえは、豊富ではなかった。ほとんどの人は、何週間もまえにカードを買い終えているのだろう。それでもぼくは、シンプルな季節の挨拶が印字された箱入りのカードを見つけた。ひと箱に十二枚カードが入っていて、それが六箱積んであった。ぼくは二箱、手にとった。

「ずいぶんお友だちが多いんですね」精算をしながら、レジの男性が言った。

 何気ない感想で、彼は客に愛想よく声をかけようとしただけだろう。でもぼくは、考えた。

「たしかに、君の言うとおりだ」ぼくは微笑んだ。

 そして走っていって、残りのクリスマスカード四箱をぜんぶつかんだ。

「これももらうよ」

 極寒の気候が、またニュースになっていた。翌朝テレビをつけると、一世紀ぶり、一九一〇年以来の寒さだという。番組では、過去二十四時間に起こったさまざまなトラブルを映しだしていた。巨大な雪だまりで動けなくなった自動車やトラック、運休になったフライト、閉めざるを得なかったショッピングセンターや閉鎖された高速道路。ヒースロー空港では、ロンドンに足止めされ、場合によってはクリスマスを越さなければならないと知った旅行者たちが取り乱し、殴りあいの喧嘩まで勃発したと報道している。誰かが“最悪のクリスマス”という表現を使っていた。数日前なら、ぼくにもその気持ちがわかった。だが昨日、ぼくは心配事から解放された。

 とはいえ、完全に危機を脱したわけではない。ベルとボブにそれなりのプレゼントを用意したいし、休暇中に何かあった場合に備えて余分に現金を持っておきたい。携帯電話のバッテリーを充電して、クリスマスに父に電話もしたい。でも出かけようと思ったいちばんの理由は、今日なんとしてでもエンジェル駅に行きたかったからだ。ぼくには、やらなければならないことがある。

 ボブに朝食を用意して。自分には温かいシリアルをつくった。

「子ども用のセントラルヒーティング、って広告で謳ってるよな。三十一歳のお子さまにも効き目があるか試してみるか。なあ、ボブ」と言い、ぼくはシリアルを平らげた。

 テレビでは、まだ天気のニュースをやっていた。気象予報士のひとりが、周の後半にはさらにひどい天気が予想され、マイナス十度以下になることが多くなりそうだというのを聞いて、もう充分だと思った。

「さあ行こう、ボブ。早く向こうに着けば、それだけ早く帰れるからね」

 外の景色は昨日と同じで雪で白かったが、少なくともロンドンの街は動いていた。道路はかなり除雪されていたので、前日とくらべたらバスの道のりは百万倍快適だった。

 エンジェル駅に着くと、ぼくはいつもどおり持ち場で準備をはじめたが、ひとつだけいつもとちがうことがあった。四箱のクリスマスカードを持っていたのだ。昨晩、その半分くらいにメッセージを書きこんだ。ベッドに横になったときには腕と腰が痛かった。残りの半分にはまだ何も書いていなかった。

 昨日と同じように、多くの人たちがぼくたちの姿を見て、長らく行方不明だった親戚に再会したかのような反応をしてくれた。

「戻ってきてくれてうれしい。元気が出た」バーナデットが言った。駅から比較的近いオフィスで働いている若い女性だ。

 彼女がひざまずいてボブをなではじめると、ぼくはボックスから白紙のカードを一枚出してこう書いた。

バーナデットへ 素敵なクリスマスを。 ジェームズとボブより

 そしてぼくの名前の下にハート、ボブの下にはニコニコ顔にひげと尖った耳を書きくわえた。カードを渡すと、彼女は心から感激したようだ。

「すごくかわいい」彼女は両手で顔を覆い、泣きだしそうに見えた。

「あなたたちに会うの、すごく楽しみなのよ。それだけで、今日はいい日だって思えるの。とくに、あそこで働いてクタクタのときだと」そう言って、オフィスのほうを指した。

「ぼくたちのほうこそ、楽しみだよ」ぼくは言った。「いいクリスマスを」

「あなたたちもね」

 彼女の後ろ姿を見送りながら、ぼくは膝をついてボブをやさしくなでた。

「喜んでくれてよかった」ぼくは言った。「今日一日で、あとどのくらいの人を笑顔にできるかな」

 今日は〈ビッグイシュー〉を買ってくれた人には、全員にカードをあげようと決めていた。いつも買ってくれる名前を知っている人たちには、その場でメッセージを書けるように、白紙のものを二箱用意していた。もう二箱のカードにはそれ以外の人たちにすぐに渡せるようにサインをしておいた。

 なかにはビッグイシューのベンダーからクリスマスカードを渡されることに、少しとまどったような人もいた。雑誌を買ってくれたある若い男性などは、まるで解雇通知のレターを受けたような顔をしていた。最初に見かけたゴミ箱に捨ててしまったのではないだろうか。でも気にならなかった。ぼくにとって大切なのは、自分から感謝の気持ちを示すことなのだから。

 昨日ぼくを見かけて、あらためてカードを持ってきてくれた人もいた。

「昨晩見かけたんだけど、これを持ってきていなくて」と常連客のひとり、メアリーは言って“ジェームズとボビーへ”と書かれた大きな青い封筒をさしだした。ボブの呼び名を変えているのも、気にならなかった。

「ありがとう、メアリー」ぼくは言った。「ちょっとボブ、あ、いやボビーと話してて。渡したいものがあるんだ」

 渡したカードに、彼女個人に宛てたメッセージが書かれているのを見て、メアリーの顔がぱっと輝いた。

「今年のクリスマスは、これをマントルピースの目立つところに飾るわね」

 もうひとり、よく立ちどまってボブに声をかけてくれるおとなしいタイプの女性が、カードだけではなく、小さなプレゼントまで持ってきてくれた。

「これ、ボブに。キャットニップの詰まったネズミなの」

「どうもありがとう!ボブ、絶対に喜ぶよ」

 彼女はいつもより饒舌で、少しおしゃべりをしていった。

「クリスマスは、どう過ごすの?」彼女は訊いてきた。

「特別なことはしないけど、ボブといっしょにテレビの前にすわっておいしいものを食べられればいいかな、と思って」

「素敵」

「ほかの人たちみたいに盛大にお祝いしたりはしないけどね」

「でも、きっとそういう人たちよりも、充実した時間よね。だって幸せな気分にしてくれて、言い争いもしない相手といるんですもの。ほかの人たちの家庭よりも、愛に満ちていると思う」

 それを聞いて、ぼくははっとした。これまで、そういうふうには考えたことがなかった。日々、ぼくたちの前を急ぎ足で通りすぎていく人たちを見ながら、この人たちはどんな生活を送っているんだろう、どんな家に帰っていくんだろうと思っていた。表情からすると、空虚で不幸そうな人も多い。疲れきっているように見える人もいる。たぶん、彼女の言うとおりだ。

 彼らの家は、ぼくの家より広くてモノも多いかもしれない。うちにはほとんど何もないから、たいていの人がそうだろう。でもボブと出会ってから、うちは例の四人組が歌っていた貴重な“お金では買えないもの”で満ちている。そう、愛だ。その発想は魅力的で、その日はずっとそのことが頭を離れなかった。

 ぼくは五十枚くらいカードを持ってきていた。そのうち、このままいくと足りなくなる、と焦ってきた。それでもぼくの幸せな気分は変わらなかった。突然、いくら稼ぐかはたいした問題ではない、と思えてきた。

(続きは書籍でお楽しみください。)

辰巳出版
2022年2月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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