マンション6階から逃げたネコ 『210日ぶりに帰ってきた奇跡のネコ―ペット探偵の奮闘記―』試し読み

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予想もしない急展開

その2週間後、携帯にメッセージが入りました。あの柳田さんです。

「うちのマロンちゃんが無事に帰ってきました。よかった!帰ってきてよかったです!」

ええっ! どういうこと? わけの分からないまま、私はすぐに電話を入れました。これまでに聞いたことがないような明るい声の彼女が出ました。

「さっき帰宅したら、ドアの下にメモが差し込まれていたんです。ベランダ伝いにマロンが遊びに行っていた隣の方からだったんですが、『マロンちゃんをいま駐車場で見ましたよ』って。それで慌てて降りていきました。

そして名前を呼んだら、車のかげからマロンが現れたんです。そして寄ってきてくれて、一緒に帰ってきたんです」

ああ良かった、本当に良かった――!!

と同時に、こんなことがあるのかという感激でいっぱいになりました。学習塾の前で亡くなったネコは、本当にたまたま、似たような日本猫だったのでしょう。

外の世界を知らないマロンが、1カ月も生き抜いて戻ってくるなんて。きっと身の危険を感じるような過酷な体験もしてきたに違いありません。

マロンは少し痩せていますが、元気そうでケガもないとのこと。もしかしたら、本当にご主人を探しに出て行ったのかもしれません。そしてもしかしたら、亡くなったご主人もマロンが無事に家に帰れるようにと見守っていてくれたような気もします。

ネコをはじめとして、ペットは飼い主の顔色をつねに読んでいるものです。驚くほど愛情深い一面もありますから、マロンなりにご主人を探したあとは、奥さんのことを心配して何とか戻ってきたのかもしれません。

とはいえ実際のところは、あそこにいたのかもしれないという思いもよぎります。マンション周辺の場所はすべて確認しましたが、一カ所だけ怪しいなというところが残っていたのです。近隣にある大きな個人宅でした。

訪ねたところ「ネコはいないよー」と言われて、中を見せてはもらえなかったのですが、もしかしたらあの広大な庭に潜んでいたのかもしれません。またもしかすると倉庫などに閉じ込められていたかもしれません。特に台風や雪の前には、いつも開けている倉庫や駐車場が閉められてしまい、そのままネコなどが出られなくなることがあるのです。

とはいえマロンが戻ってきて本当によかった。もちろん柳田さんの再会の喜びには及びませんが、私もその晩は喜びに浸って過ごすことができました。

「迷子捜しマニュアルブック」の発表

「うちの子を探しています、何かアドバイスはありませんか」

「イヌを捜索して1年、できることはすべてやりましたが見つかりません」

講演が終わると、参加者が次々に席を立って私に語りかけてきました。皆さんそれぞれに事情も心配事もあるようです。どの声にも必死さがこもっていました。

2019年10月、私は「株式会社ほぼ日」のオフィス会場にいました。糸井重里さんが運営する犬猫SNSアプリ「ドコノコ」が、待望の迷子捜しマニュアルブックを発表することになり、監修をお引き受けしたのです。

講演会ではドコノコチームの田中政行さんと対談する形で、この「迷子猫捜しマニュアル」「迷子犬捜しマニュアル」に込めた思いをお話ししました。

大事なペットがいなくなったら、どうするか。ネット検索すると様々なことが書いてありますが、ペットの種類や性格、環境によって探し方は大きく違ってきます。また慌ててはいけませんが、捜索はすぐに始めることが大切です。その際にはどこから、どんなことから始めればよいのか。自宅や敷地内のどこを確認すべきか。誰かに協力を頼むときはどうしたらいいか。本書でお話ししてきたこととも重なっていますが、「マニュアル」はより短時間に、捜索方法をつかんで頂けるはずです。

その数日後に、電話が入ってきました。

「講演会でお話しした大宮と申します。世田谷区の自宅からいなくなったうちのネコの捜索を、藤原さんにお願いしたいと思って」

すぐ女性の顔が浮かびました。

「うちのロックは黒猫で、保護主さんから譲り受けて一緒に暮らし始めました。身体は大きく、しっぽは長い雄です。病院に連れていくため、首輪とハーネスをつけて外出しようとしたところ、何か物音に驚いて逃げてしまったのです。

夜な夜な探しましたが、姿がありません。また協力して下さる方がいて捜索もしっかりやったのですが、見つからないままなのです」

首輪とハーネスがついたままなら、目撃情報があがりやすいでしょう。でもすでに行方不明になって1カ月、有力な情報がないということは、すでに外れてしまったのでしょうか。

秋が深まり始めていました。私は大宮さんのお宅へ行き、これまで行ってきた捜索状況を整理したうえで、改めて計画を練ります。

お宅の周囲は住宅地が広がっていました。特徴的なのは近くに、「環八」で知られる環状八号線、そして国道246号線があることです。どちらも片側3~4車線になる大きな通りで、その交通量は日本有数です。夜間にも決して車の途切れない大通りを、ネコが渡る可能性は低いはずです。

まだ捜していない地域を洗い出し、潜伏場所のリストアップや聞き込み、チラシ投函などを行います。また数件あがったという目撃情報の場所を確認しに行ってその日の作業を終えました。

その数日後、大宮さんへ電話が入ったのです。


畑に現れた黒猫

「ハーネスをつけた黒猫を、1週間前に畑で見ましたよ」

ハーネスがついているならロックに間違いないと、大宮さんと一緒に駆けつけました。行ってみると、近くの住宅地の中にぽつんとある小さな畑です。ロックの姿はなかったので、捕獲器を設置させてもらい、大宮さんに見回りと管理をお願いしました。

すると翌日、黒猫が入ったのです。

「捕獲器のなかで暴れた形跡はありましたが、私が見に行くと静かにしていました。口のにおいが生臭くて、ロックとは違うのかなと一瞬思いましたが、声をかけながら運ぶと、畑から自宅までとてもいい子にしていました。ロックが無事に戻ってきて、本当に嬉しいです」

大宮さんの帰宅に少し遅れて、私もお邪魔して対面することになりました。

大きな組み立て式ケージに移されたロックは、とても野性的な雰囲気を放っています。鼻筋がはっきり通った顔立ち、大柄な身体、長いしっぽ。黒猫の雄には珍しくない見た目なのですが、写真で確認した通りです。ただし目撃情報にもあった首輪とハーネスは取れてしまったのか、まるで見つかりませんでした。

「ありがとうございました!」と喜ぶ大宮さんの声を聞いて、これで一件落着とお宅を後にします。

もちろん、「その後」があるなんて思いもしません。ですが本章の前半でお話ししたマロンのケースのように、この捜索にも驚愕の展開が待っていたのです。

藤原博史
1969(昭和44)年兵庫県生まれ。迷子になったペットを探す動物専門の探偵。1997年にペットレスキュー(神奈川県藤沢市)設立、受けた依頼は三〇〇〇件以上。ドキュメンタリードラマ「猫探偵の事件簿」(NHK BS)のモデルに。著書に『ペット探偵は見た!』がある。

2022年2月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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