マンション6階から逃げたネコ 『210日ぶりに帰ってきた奇跡のネコ―ペット探偵の奮闘記―』試し読み

試し読み

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「こんな情報が来たんです」

2カ月ほどたった頃、大宮さんから電話が入りました。ロックはもうすっかり落ち着いて暮らしているはずなのに、何かあったのだろうか。

「藤原さん、こんな電話があったんです。西田さんという女性の方からで、しばらく前から庭にロックらしきネコがご飯を食べに来ていると。そのお宅に通っているヘルパーの男性がポスターを見て気づいたそうです。先日の保護の後、ロックのポスターはすべて剥がしてしまっていましたから、ちょっと驚きました。

ポスターの写真によく似ているというその黒猫は痩せていますが、庭に用意してもらったご飯を食べて、回復しているそうです。夜になると、用意してもらった段ボール箱で寝ている、とも」

まさかという思いです。

「それで、お宅にいる黒猫の様子はどうなんですか?」

「ずいぶん経ちましたがまったく心を開いてくれなくて、ハウスから出てきません。私にも馴れません。でもまさか、別のネコかもしれないとは、私も電話があるまで思わなかったのですが……。

ですからすぐ、西田さんのお宅に行ったんです。とても親切なご夫婦で、庭には確かに非常によくロックに似たネコがいました。近づくと逃げてしまうのでじっくり確認はできませんが、いつも遊んでいるおもちゃを持って行って見せたら目の色が変わったんです。

ロックを譲り受けたときから一緒だった、ボロボロの虫のおもちゃです。その子は近づいてきて、私の手からネコパンチで取ろうとしました。その時ツメを出さなかったので、この子がロックだと確信したんです」

そこまで聞くと、思わず声が出ました。

「それがロックですね。保護しましょう。現場へ行きますよ」


「このネコがロック」の決め手になったおもちゃ

大通りを2本渡った、1キロ先のお宅に

西田さんの家の場所を、地図で確認してみて驚きました。自宅から「環八」も国道246号も渡った方角で、1キロ先の住宅地なのです。

行って見ると、静かな住宅地です。西田さんの奥さんにご挨拶をすると、快くリビングに通して下さいました。窓越しには植木のある庭が見えています。そして確かに、ロックによく似た黒猫がやってきていました。なぜだかぴんと来ました。あれがロックなのです。

この庭にも奥さんにも馴れている様子なので、リビングに誘いこんで保護することもできるかもしれません。ただ事情があって、室内にネコを入れるのは避けてほしいということでした。するとやはり、捕獲器の出番ということになります。

まだお昼前でしたが、ちょうどこの日はクリスマスイブでした。

じっと見ていると、このまま行けそうだなという感触を抱きました。ただし捕獲器の設置は、私よりも大宮さんにお願いするのが良さそうです。ロックは大宮さんが庭に出ても逃げないというのです。

リビングの窓に面して置いてあるウッドベンチの端に大宮さんが捕獲器を置く間、ロックはじっとその様子を見ていました。

窓のカーテンに隠れながら見ていると、すぐにロックが近づいてきます。捕獲器のにおいを嗅ぎました。最初は入り口を、そして後ろ側に回って嗅ぎ、また入り口に回ってからすっと中に入りました。

カシャーン!

今度こそロックを保護した瞬間でした。

すぐ後ろを振り返り、「入りましたよ」と大宮さんと奥さんに伝えます。ふたりとも驚いて目を見開いています。ここまでの道中、大宮さんには「作戦を練ったり、仕掛けを工夫するために、保護まで何日か掛かるかもしれない」とお話ししていたので、なおさらだったかもしれません。

とはいえ、できるだけ早く保護するのがいいのですから、私もスペシャルな餌を捕獲器に仕掛けていました。数粒入りの小分けになっているカリカリに、大人気の「チャオ ちゅ~る」をかけ、さらにまたたびの粉をまぶしたもの。いわば“三種盛り”で、ネコにはものすごく良い香りがするのでしょう、ここ最近はこれで一発で入ってくれるのです。

西田さんの奥さんに深くお礼をお伝えして、自宅へ戻ります。

今度こそ本当のロック発見に至った立役者は、この西田さんの奥さんとヘルパーの男性でした。男性がもしポスターを見ていなかったら、もし電話をくれていなかったら、ロックはそのまま優しい西田さんの庭で生活していたでしょう。そして最初に保護した黒猫も「本当にロックかな」と時折思われつつも大宮さんと暮らしていったでしょう。

経験に学びながら

ただ捕獲器の中にいる本物のロックもロックで、おとなしくしているわけではありません。自宅に戻るまでの車中、金網にぶつかって擦り傷を負うほどでした。口から少し血を流しているので、大宮さんは帰宅するとすぐに布でできた小屋に移します。閉じ込められているのがよほど嫌なのでしょう。

するとボフッ、と小屋が持ち上がったのです。ロックが中で跳ねているので、小屋ごとジャンプしているのです。なかなかこんなことをやれるネコはいません。それを目の当たりにして思いました。ああ、こんなに身体能力のあるネコだったのか。それにしてもなぜ、普通なら避けるはずの大通りを2本も渡ったのだろうか。

じつは、西田さんの庭には三毛猫の姿が見え隠れしていました。ロックは雌を追いかけて、あの方角を目指したのかもしれません。

ロックのただならぬ雰囲気を警戒したのでしょう、間違って保護した黒猫は隠れてしまって出てきませんでした。

「こうやって比べてみるとようやく違いが分かりますが、よく似てますね」

「写真ではちょっと分かりませんね」

大宮さんと話しながらも、私は最初の「失敗」について考えていました。自分の手で捜索して戻したと思ったら「違っていた」のは、この20年間で過去に1度だけです。よくあることではありませんが、もちろん本物を家族にお返しするのが私の仕事です。

ペットは自分では「ただいま」とは言いません。ですから私と飼い主さんで「この子で間違いない」と判断することになります。ペットが戻ってきて、もし1週間ほど経っても様子が違っていたなら、別のネコやイヌの可能性があります。もしかすると思い当たるという読者の方もいらっしゃるかもしれません。

また先にもお話ししましたが、「この子で間違いない」という証拠になるのは、手術などの明らかな特徴のほかは、首輪やマイクロチップになるでしょう。家族再会を叶えるために、ぜひ検討してほしいと思います。

さてその後、ロックではないと分かった黒猫はどうなったでしょうか。しばらくした後、大宮さんはこう話してくれました。

「同じ区内で逃げた黒猫をお探しの方に、そのネコではないかどうかコンタクトをとっています。もし違っていたら、これもご縁なのでゆっくり気長に心を開いてくれるのを待ちながら、一緒に暮らしていこうと思っています」

経験から言って、黒猫は大柄で顔の彫りが深くて筋肉質であることが多いのです。また頭がよく、ふだんから思慮深いのも特徴です。ほかのネコならここまでというところを、もうちょっと考えて行動する一面があります。そんなに面白い黒猫2匹との生活なんて、とても羨ましいことです。

電話依頼を受けて出会うペットにも、飼い主さんにも、毎回本当に学ぶことがあります。今後も様々な出会いと再会を経験しながら、私はペット捜索をしていくのでしょう。だからこそ、この仕事に飽きるということは決してなさそうです。


ロック(右)と先に保護した黒猫。一緒に暮らすようになって3週間、まだ互いに慣れない部分もあるが、「2匹で餌を食べにくる姿はとてもかわいい。このままうちの子になってもらっても」(大宮さん)

藤原博史
1969(昭和44)年兵庫県生まれ。迷子になったペットを探す動物専門の探偵。1997年にペットレスキュー(神奈川県藤沢市)設立、受けた依頼は三〇〇〇件以上。ドキュメンタリードラマ「猫探偵の事件簿」(NHK BS)のモデルに。著書に『ペット探偵は見た!』がある。

2022年2月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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