女優・杏が振り返る、天国へ旅立った愛犬「ヤマト」との日々 

エッセイ

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「ヤマト記」 杏


ヤマトと杏さん

 女優として活躍しながら、近年はお料理動画や弾き語りなどプライベートの発信をするYouTubeチャンネルでも話題の杏さん。そんなYouTube動画にも度々登場していた柴犬の愛犬・ヤマトが2022年3月末、天国へ旅立った。

「食いしん坊」ヤマトの異変に気付いたあの日から、一緒に過ごした最後の夜のこと、そしてかけがえのない大切な家族への痛切な想いを、杏さん自身が以下のように綴った。

 * * *

 2月半ば、家族で葉山に遊びに行った。知人の家で味噌を作ったり、畑で野菜を採らせてもらったりして、最後に皆で海を見た。「楽しいことしかしなかった」と子供たちはその日を振り返り、帰りの車、運転する私以外はコテンと寝た。中でも子供たちの足元にいた彼はやけに静かだったが、きっと久しぶりの遠出で疲れたんだろうと思っていた。

 ヤマト、オスの柴犬。10歳。ペットショップで大きくなり過ぎた体を持て余してデンと座っていた。4ヶ月、子犬の時期を過ぎ、明らかに売れ残っていた。この後どうなってしまうんだろうと思ったら頭から離れなくなり、店と家を2往復するくらい悩んでから、この犬と暮らそうと決めた。体が大きくて入る箱が無く、タオルでぐるぐる巻きにして抱えて連れて帰った。ヤマト以上に大きな柴犬は見たことがない。数年前の腫瘍の手術でできた、鼻のマズルにナナメに走る手術痕がトレードマーク。それが喧嘩によるものだと間違われるくらい元気いっぱい。もう一匹の大人しく気弱な保護犬の次郎とは真逆の性格だ。柴犬にしてはだいぶ人懐っこくて、とにかく愛されキャラ。友人たちの子供は口をそろえて、我が家のことを「ヤマトの家」と呼んでいる。

 ヤマトが怒られる理由は9割が食べ物。誰が見ても、ヤマトの印象はまず、「食いしん坊」だろう。テーブルの端に食べ物を置いておくと、あっという間に取られてしまう。手に持っていても、よそ見でもしようものなら、それもさっと獲りに来る。三きょうだいと二匹の犬。我が家の食事風景はまるで生存競争の縮図だ。
「ヤーマート!」の私の怒号は一日に何度もこだまする。
 料理中はキッチンにいすわり、ひたすらにおこぼれやつまみ食いのチャンスを待つ。2階で寝ていても、冷蔵庫を開ける音、ガスのつまみを捻る音、箸と皿が触れる音が聞こえるとすぐにすっ飛んできた。夜、子供たちが寝た後はベタベタに甘えてくる。雷の時は子供を押しのけて膝に乗ってくる。
 葉山に行ってから数日後、私が珍しく朝早くから仕事で、前日から友人に来てもらい、子供と犬たちの朝ごはんを用意し、食べさせる前に家を出た。
「ヤマトが元気ない。自分のご飯も食べないし、子供たちが食事していても獲りに来ようとせず、息が荒く横になっている」
 そう連絡があり、その日散歩を頼んでいたドッグシッター・オオサワさんにも伝えた。
「寂しい病かなあ」
 以前にも、構ってもらえないと拗ねるというようなことはあったので、もしかしたら今回もそうかなあなんて予想していた。
「一応、動物病院に連れていってください」
 とお願いした。

 やけに長引いた検査の結果は「健康な白血球が一つもありません」。
 いわゆる「白血病」だというのだ。それも急性。人間のとは違い、犬や猫の急性白血病は治るより、1週間から数ヶ月で死に至るのがほとんどだと言われた。
 犬の10歳は人間だと還暦くらい。あと数年は今まで通りの「ヤーマート!」な生活だと信じて疑わなかった。年一の健康診断もしている。前回は昨年の6月。その時は血液検査もして「異常無し 健康そのもの」だったのだ。もう少ししたら、今年も健康診断を受けようかなんて考えていた。
 子供たちも成長し、食べ方も上手くなってきた。ヤマトの「活躍」もだいぶ減ってきたというのに、なかなか痩せないなあと思っていた。それは白血病の影響で内臓が腫れ、腹部が膨張していたからだった。
 主治医を、家からすぐ近くの病院に変えた。身体の負担を減らすためだ。幸い大きな病院が近所にできたばかりで、良い先生に出会うこともできた。
 抗がん剤やステロイドなど、数種類の薬を飲むことになったが、薬は内臓に負担が生じる。症状が良くなればなるべく減らしたいところではあるが、とにかく薬のおかげで楽にはなったようで、再び今までのように食べ始めた。薬も、肉や缶詰に混ぜればなんなく服用できていた。
 少し経ち、ヤマトの数値は「慢性」のカテゴリーに分類しても良いくらいになった。慢性であれば余命は1~2年延びる。ただ、「1~2年」というのはあくまで発症してからで、発覚してからではない。だいぶ進んだ状態であるのは間違いないようだ。それでも「もしかしたらもう少し一緒にいられるかもしれない」という希望は持てるようになった。
 とはいえ、血液が足りておらず、常に貧血で、動けばすぐに息が上がってしまうため、なるべく安静に、という指示が出た。今まで毎日2キロ半歩いていた散歩は、気晴らしや用を足す程度のものになった。幸い庭でも用を足せるので、全く外に出ない日も多くなった。
 ヤマトの生きがいは、私が言うのもなんだが、「私」と「子供たち」だ。家族を守ることが使命で、喜びなのだ。
 寝ている時は、私たちには背中を向け、鼻先は来るかもしれない敵に備えて、常に外を向いていた。
 病が発覚したのが「私が不在」だった時というのも、納得がいく。私がいる時は、無理をしてでもいつも通りの生活をしようとして、ギリギリまでわからないようにしていたのだろうか。
 前脚をテーブルにかけては「ヤーマート!」とたしなめられるいつものコントは病気になってからも続いたが、それは「獲物を狙う」のではなく、「こうすれば皆がいつものヤマトだと安心してくれるかな」という彼なりのパフォーマンスに変わったようだった。
 子供たちがワイワイと起きていれば頭を上げるけど、夜間、子供たちが寝てからは、ぺっちゃんこになって休んでいる。しかし、ヤマトはそうしていたいのだ。リビングのど真ん中で、またがれようが近くで声を上げられようが、とにかく皆に囲まれていたいのだ。
 気晴らしに「これくらいならいいか」と、たまに子供たちの見送りやお迎えに出かけた。子供たちのいない片道は抱っこをせがむが、いざ子供がリードを持つと、跳ねるようにお尻を振って歩く。本当に本当に家族が大好きなのだ。
 次第に、それも難しくなって、寝ている時間が多くなった。階段を降りることはできても、登ることができなくなった。2階の寝室に行こうと、階段の一段目に前脚をかけて、ちょっと困ったように私を見上げた。ヤマトが望めば、その都度抱っこして連れて行った。

 ヤマトヤマトヤマト。

 できることならベッドで抱きしめながら寝たかった。しかし、内臓の腫れが熱を持って熱いのか、ベッドからは降りて涼しい場所を探して寝るようになった。お腹に圧がかかるので抱っこして撫でようとしても「気持ちは嬉しいけど……」とやんわりと拒否するようになった。2階に行きたがることもなくなり、リビング窓側に敷かれた石のタイルや、玄関のコンクリートなど、冷たい床で寝るようになった。
 ヤマトの病状は確実に進んでいて、それは決して戻ることのない一方通行なのだ。
 病がわかって、それまで毎日つけていた日記が書けなくなった。ほんとうは、書き残した方が良いに決まってる。かけがえの無い、もう戻らないこの日々を。
 それでも「できることはだんだん少なくなってきている」と獣医さんに言われるまでは、なんだか信じられていなかった。騙し騙し、まだこの日々が続くのではと期待していた。
 投薬も続けつつ、日中酸素室に入ると夜は少し楽そうなので、日中は病院の酸素室で過ごすのが1週間くらい続いた。当然、私が毎日行ける訳では無いので、ドッグシッターや友人たちの手を借りながら。
 私は、ヤマトが寝ているリビング窓際の石のタイルの横に、布団を敷いて寝ることにした。ヤマトと私の時間。タイルで身体を冷やしつつ、私の布団に頭だけ乗せて気持ち良さそうに目を閉じていた。部屋の暖房は入れずに、私は電気毛布と湯たんぽ、タートルネックのパジャマの上に暖かいフカフカのパーカー。子供たちを寝かしつけてからヤマトと寝て、明け方に子供たちのベッドに戻り1時間ほど寝て、子供たちもお母さんと寝ていたかのようにする、という日々が続いた。
 私が朝から晩まで撮影が入ってしまう日が2日続いた。友人夫婦が子供を連れて家に泊まって、オオサワさんといつでも連絡が取れる、あるいは病院に連れて行けるような体制を取ってくれた。
 オオサワさん、友人クロちゃんがそれぞれ自分の愛犬を「供血犬」として連れてきてくれて、血を分けてくれた。輸血の副作用の為、一匹からは一度しか血がもらえないので、貴重な機会だ。輸血の後は数値も良くなった。それでも腹水は増え続け、体重13キロのところに1・5リットルもの腹水が溜まっていた。枯れていくのではなく膨らんで苦しそうにしているのを見るのはつらかった。基本的にずっと横になっていたヤマトだが、夜、友人が「杏ちゃん、もうすぐ帰ってくるかな」と話していたら顔を上げたそうだ。帰宅後の顔つきはまるで違うと、皆口を揃えて言っていた。
 撮影現場は山を越え、翌日はオフ。注文していたレンタルの酸素発生器も自宅に届き、日中病院に行かなくても呼吸が楽になるような環境が整った。
「もうできる処置は少なくなっているので、急変しない限りは家で寝かせていて良いです」、そう獣医さんに言われ、「夜、寝られていますか?」と聞かれた。もし苦しくて寝ることも叶わず、ずっと息が上がっているようであれば、「楽にしてあげる」選択肢も考えた方が良い、と。
 夜間のヤマトは息を荒らげることも、痛みで唸ることもなく、静かに寝息を立てていた。今はまだすぐに決断しなくても良い。しかし、近い将来そんな「選択」を迫られるようになるかもしれない。いつそうなってもおかしくないのだ。
 その診察の後、私は車の中で涙が止まらなかった。しかし、ヤマトを不安にさせては元も子もない。とにかく撫でながら、家に帰った。ヤマトの体内の腹水は増えつづけ、4本の脚先まで触ると不自然にブヨッとしていた。腹水を抜いてあげたいが、抜いたところですぐに溜まるし、成分としては血液や栄養素も含まれているので、抜かずに緩やかに体内を循環させた方がまだマシということで、抜くことはできなかった。ほとんど歩けず、支えていても数秒立てるかというような状態になったヤマトは、用を足すときは庭で立たせてあげていたけれど、これからは漏らしてしまうことも増えるだろう。

 三寒四温の「寒」が数日続き、日中にみぞれも降ったこともあり、庭のウッドチップは水を含み、これ以上無いくらいひんやりとしていた。用を足したヤマトは数歩歩いて腹這いになり、気持ち良さそうに目を閉じた。そのまま20分くらい寝ていた。気がすむまでそうさせてあげたかったが、冷やしすぎると体力が奪われ、血液の循環も悪くなる。抱きかかえていつものタイルの上に寝かせて、全身をマッサージした。普段なら足先を揉んだら唸ったりするはずだが、大人しく揉まれていた。レンタルした機械から運ばれてくる酸素も、ヤマトが体勢を変えるごとにチューブの位置を調整し、鼻先に落ちるようにした。
 ご飯は液状のものにしようが、普段は食べるのが許されない人間のオヤツなんかを鼻先に持って行こうが、決して口にすることは無かった。水だけはボウルを使って自ら飲んでいた。
 薬ももちろん飲めなかった。無理やり喉の奥に入れることもできなくはないし、前日はそのように投薬した。が、劇的な回復が望めない状況下での薬はサプリ程度のものも多く、もはや今のヤマトにとっては「死ねない薬」でもあるのかもしれない、と思い、今夜はやめておくことにした。
 なんせかつては爪を切るだけでも大袈裟にとんでもない叫び声をあげていたヤマトのことだ。不自然が嫌いな犬だった。鼻に管を入れたりして無理やり栄養を摂らせるのも、苦痛でしか無いだろう。

 子供たちが寝て、私とヤマトの時間。シンと冷えた静かな静かな時間。テーブルで仕事をしていたが、23時を過ぎて頭がぐわんぐわんするくらいの眠気に襲われた。いつもならまだ起きて何かしらしているが、ここ数日の疲れが溜まっているのかも、と早めに寝ることにした。ヤマトを抱っこし、庭に出して用を足させ、地面で5分ほど身体を冷やし、マッサージをして寝る、というのを、寝る前の0時と、目が覚めた2時に繰り返した。「大好きだよ。ずっと一緒だよ」何度も何度も伝えて頭を撫でた。ヤマトは目を閉じて眠りについた。薄ぼんやりと空が白み始めた4時頃、ヤマトはガサガサと動いて体勢を変えていた。私に背を、鼻先を庭に向けて、いつもの「警備」スタイルだ。こちらを向いたお尻、いつものくるっとした尻尾。腹水で膨れていたはずのお腹も落ち着いて見えて、「あ、今なんだか楽そうだな」とぼんやりと思い、私は瞼を閉じた。

 6時、私が目を覚ますと、ヤマトは旅立っていた。
 病がわかってから1ヶ月と10日。静かな静かな死だった。まだ身体は温かかった。
 私はこの日と翌日は、日中数時間のナレーションの仕事だったから、カメラに大写しになったり、別の人物になりきったりして自らの感情に齟齬が生じることも無かった。そんな私の都合まで考えてくれたようなタイミングだった。
 子供たちは幼稚園を休み、花屋に行ってお花を買ったりした。ただ、私もだが、あまりに「ただ寝ているだけ」に見えるヤマトがそこにいると、あまりピンと来ないのが正直な気持ちだった。
 夕方、葬儀会社から届いた段ボールの棺の中にヤマトを寝かせた。最後一緒に寝た時の、私の匂いのついたフカフカのパーカーを下に敷き、袖でヤマトの胴をくるみ、私が抱っこしているようにした。いつもお客さんが来たら「俺は強いぞ!」とアピールするために振り回していたお気に入りのクマのぬいぐるみも入れた。紙でつくった急拵えの六文銭も入れた。そして顔以外のスペースは多くの人から貰った花で溢れた。
 子供たちはヤマト、私や自分、次郎の絵、お星様や太陽の絵を何枚も描き、蓋の内側に貼った。娘たちは黄色で、長男は青でヤマトの顔を描いた。
 ヤマトの顔を見に20人ほどが訪れた。私の悲しみに寄り添ってくれたと言うよりも、皆それぞれが「その人自身とヤマト」という関係性を一対一で持ち、本当に愛情を持って、悲しんでいる。多くの人の心の中に、ヤマトは割としっかりとスペースを取って存在しているのだ。君はなんて犬なんだ、ヤマト!
 私から最後に、手紙と、私に抱かれたヤマトの写真と、ブルーチーズ、サラミ、そして一本のガーベラを入れた。
耳は柔らかく、毛もふさふさで、本当にいつものヤマトだった。わしわしと撫でたら「なんだよ」と起きそうな気がずっとしていた。
 翌朝、昨日まで寒く曇っていた空は、眩いばかりの光をもってヤマトを包んでいた。「願わくは 花の下にて 春死なん」西行法師の歌にあるように、気持ちの良い春の日に、自宅で、家族と共に、寝ながら逝く。人間でさえ憧れるようなシチュエーションだ。
 悲しみの涙は波のように寄せては返すが、同時にホッとしている自分もいる。いつ逝ってしまうだろう、という不安も、ヤマトの苦痛も去った。
「ヤマトにはまた会える?」と子供が私に聞いてきた。
 きっと魂になって、ヤマトはずっと私たちと一緒にいる。もしかしたら、姿を変えてまた戻ってくるかもしれない。でも子供が今言う「ヤマト」は、あの動かなくなった身体を指しているのだと思うと、ぐっと込み上げるものがあった。そのヤマトがもう戻らないのは、確かなひとつの現実だからだ。
 夕方、ヤマトは骨になって帰ってきた。
 もうこれで、世界中どこにでも一緒に行ける。今頃は、塩分が、油分が、なんておかまいなしにサラミを一本丸ごと咥えて走っているだろう。先に肉体を脱した先輩犬や猫たちとも遊んでいることだろう。

 ヤマトヤマトヤマト。

 ずっとずっと私といてくれてありがとう。
 あなたのいない人生は考えられなかった。


1986年東京生まれ。2001年モデルとしてデビューし、2007年からは女優としても活躍。著書に『杏のふむふむ』『杏の気分ほろほろ』『BOOK BAR お好みの本あります』(大倉眞一郎氏との共著)などがある。2022年7月より、坂口健太郎氏とのW主演ドラマ「競争の番人」が放送予定。

新潮社 波
2022年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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