フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』から30年――自由と民主主義への最終回答 『リベラリズムへの不満』試し読み

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冷戦の終わりを予見し、世界に衝撃を与えた『歴史の終わり』から30年。リベラルな民主主義国が現在直面している危機的状況に、フランシス・フクヤマは何を思うのか。

フクヤマによると、近年最も激しく攻撃されているのは、民主主義ではなく、リベラリズムである。そして、その原因は間違った方向に発展したリベラリズム自体にあるという。リベラリズムはどこで間違ってしまったのか。どうすれば本来の形を取り戻せるのか。フクヤマが多様な政治的立場を包含する「大きな傘」としてのリベラリズムの真の価値を原点に遡って解き明かし、再生への道を提示する。

ここでは本書の冒頭部分を一部編集の上、公開する。

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この本は、古典的リベラリズムの擁護を目的としている。「古典的リベラリズム」という言葉には歴史的にさまざまな意味があるが、ここでは経済学者ディアドラ・マクロスキーが「人道的自由主義」と呼んでいるものを指す。こんにち、リベラリズムは世界中で深刻な脅威にさらされている。かつてリベラリズムは当然なものとみなされていた。だがその長所を明確に示し、あらためて賞揚する必要があると思う。

ここでいう「リベラリズム」は、17世紀後半にはじめて登場した思想だ。法律や究極的には憲法によって政府の権力を制限し、政府の管轄下にある個人の権利を守る制度をつくることを主張している。このリベラリズムは、こんにちの米国で中道左派政治に対するレッテルとして使われているものとはちがう。後述するように、中道左派政治の思想は古典的リベラリズムとは肝心な点で異なるものだ。また、米国でリバタリアニズム(自由至上主義)と呼ばれているものを指しているわけでもない。リバタリアニズムは、政府への敵意に基づく特異な思想だ。また、欧州で使われるような意味でのリベラルでもない。欧州では社会主義に懐疑的な中道右派の政党を指す。古典的リベラリズムは、多様な政治的見解を包含する大きな傘である。とはいえ、その政治的見解は、平等な個人の権利、法、自由が基本的に重要であると考えることでは一致していなければならない。

リベラルな制度を攻撃する政治指導者たち

近年、リベラリズムが後退しているのは明らかだ。米人権団体フリーダムハウスによると、世界中の政治的権利と市民的自由は、1974年から2000年代初頭までの30数年間に改善したが、2021年までの15年間は一貫して悪化しており、民主主義の後退とか不況とさえ呼ばれている。

既存のリベラルな民主主義国では、リベラルな制度が直接的な攻撃にさらされている。ハンガリーのビクトル・オルバン、ポーランドのヤロスワフ・カチンスキー、ブラジルのジャイル・ボルソナロ、トルコのレジェップ・タイップ・エルドアン、そしてアメリカのドナルド・トランプといった政治指導者たちは、いずれも合法的に選出されており、選挙で信任を得たことを口実にして、手はじめにリベラルな制度を攻撃している。攻撃される制度には、裁判所などの司法制度、中立的な官僚組織、独立したメディア、その他の「チェック・アンド・バランス(抑制均衡)」の制度の下で行政権を制限する諸組織が含まれる。オルバンは、裁判所に自分の支持者を判事として送り込み、ハンガリーのメディアの大半を自分の味方の支配下に置くことに成功した。それに比べるとあまりうまくいかなかったが、トランプによる司法省、情報機関、裁判所、主流メディアなどの組織を弱体化させる試みも狙いは同じである。

進歩的な左派からの攻撃

近年、リベラリズムは、右派のポピュリストからだけでなく、新たに出てきた進歩的な左派からも挑戦を受けている。左派からの批判は、リベラルな社会が、すべての集団を平等に扱うという自らの理想に応えていないとする、それ自体としては正しい主張から展開されている。この批判はやがて、リベラリズムの根本的な原理そのものを攻撃するような広がりを見せた。根本的な原理とは、集団ではなく個人に対し権利を認めることである。また人間はすべて平等であるという前提である。これらは憲法や自由主義的権利の依って立つ根拠となっている。さらには、真実を理解するための方法として重視されてきた言論の自由や科学的合理主義である。こうした原理を攻撃した結果、新しい進歩主義の正統から外れた意見には不寛容となり、その正統を実現するためにさまざまな形態の社会的・政治的権力が用いられるようになった。反対する意見を持つ者は影響力のある地位から追われ、書籍も事実上発禁のような状態になる。それは政府によってではなく、大衆への意見の拡散をコントロールする[SNSのような]強力な組織によって行なわれることが多い。

変容を遂げたリベラリズム

右派のポピュリストや左派の進歩派が現在のリベラリズムに不満を抱いているのは、その原理に根本的な弱点があるからではない。それよりも、この数十年の間のリベラリズムの発展の仕方に不満を抱いているのだと私は考える。1970年代後半に始まった経済的自由主義は、現在ではネオリベラリズム(新自由主義)と呼ばれているものへと発展した。この新自由主義は、経済格差を劇的なまでに拡大した。そして壊滅的な金融危機をもたらし、世界中の多くの国々で、富裕層ではなく一般の人々をひどく痛めつけることになった。この格差こそが、リベラリズムとそれに結びつく資本主義システムを批判する進歩派の主張の核心になっている。リベラリズムの制度化されたルールは、すべての人の権利を保護する。そこには富や権力を手放したくない既存のエリートの権利も含まれるため、排除された人々のために社会的正義を実現しようとする際に障害となっている。リベラリズムは市場経済のイデオロギー的基盤であり、それゆえに資本主義がもたらす格差に関係していると考える人が多い。アメリカやヨーロッパの若いZ世代の活動家の多くは、リベラリズムを時代遅れのベビーブーマー世代の考え方であり、自己改革ができない「体制」であると考え、いら立っている。
同時に「個人の自律性」についての理解がどんどん拡大し、それが伝統的な宗教や文化など、他のすべての「良き生き方」のビジョンに勝る価値観だとみなされるようになった。保守派の人たちは、自分たちの信念の根幹が脅かされていると感じ、社会の主流からしきりに差別されていると感じた。また、保守派は、エリートたちがメディア、大学、裁判所、行政などを支配しており、非民主的な手段を使って政策を推進していると感じていた。この時期、アメリカやヨーロッパでは、保守派が何度も選挙で勝利したが、文化的変化の潮流を抑えるには至らなかったようだ。

「穏健化」こそ必要

ここ数十年のリベラリズムの発展に対するこのような不満から、右派・左派を問わず、リベラリズムを根本から別の制度に置き換えるよう求める声が出るようになった。右派では、民主的な選択がどうであろうと、保守派による政権維持を確実にするため、米国の選挙制度を操作しようとする試みがなされた。また、保守派の中には彼らが見た脅威への反応として、暴力に訴えたり権威主義的政府をつくろうと考える者も出てきた。左派では、富と権力の大規模な再分配を要求するだけでなく、人種やジェンダーなどの変えようのない特徴に基づき、個人ではなく集団として承認を求め、集団間での「結果の平等」を図る政策までをも要求している。このようなことが、社会の幅広いコンセンサスに基づいて起こることはありえない。だから進歩主義者たちは、この課題を追求するために、すすんで裁判所や行政機関を利用し、さらには彼らの社会的・文化的な力も行使し続けている。

リベラリズムに対する左右からの脅威は、非対称である。右からの脅威はより直接的で政治的だ。左からの脅威は主に文化的なものであり、ゆっくりと作用してくる。どちらも、リベラリズムに対する不満が原動力となっている。それは、リベラリズムの思想的本質とは関係がない。むしろ、ある種の健全なリベラリズムの考え方が、解釈によって極端なものへと押しやられてしまったことによる不満である。このような不満に対する答えは、リベラリズムを放棄することではなく、それを穏健化することである。

続きは書籍でお楽しみください

フランシス・フクヤマ
1952年生まれ。アラン・ブルームやサミュエル・ハンティントンに師事。ランド研究所や米国務省などを経てスタンフォード大学シニア・フェロー兼特別招聘教授。ベルリンの壁崩壊直前に発表された論文「歴史の終わり?」で注目を浴びる。主著に『歴史の終わり』、『政治の起源』、『政治の衰退』など。

会田弘継
1951年生まれ。関西大学客員教授。共同通信社でジュネーブ支局長、ワシントン支局長、論説委員長などを歴任。著書に『追跡・アメリカの思想家たち〈増補改訂版〉』(中公文庫)、『破綻するアメリカ』(岩波現代全書)、『トランプ現象とアメリカ保守思想』(左右社)、『世界の知性が語る「特別な日本」』(新潮新書)などがあるほか、訳書にフランシス・フクヤマ『政治の起源(上・下)』『政治の衰退(上・下)』(ともに講談社)、ラッセル・カーク『保守主義の精神(上・下)』(中公選書)などがある。

フランシス・フクヤマ 会田弘継訳

新潮社
2023年6月 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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