伊坂幸太郎史上、最高の読後感! 小学生達が「思い込み」や「決めつけ」を鮮やかに翻す! 伊坂幸太郎『逆ソクラテス』試し読み

試し読み

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「敵は、先入観だよ」学力も運動もそこそこの小学6年生の僕は、転校生の安斎から、突然ある作戦を持ちかけられる。カンニングから始まったその計画は、クラスメイトや担任の先生を巻き込んで、予想外の結末を迎える。はたして逆転劇なるか!? 表題作ほか、「スロウではない」「非オプティマス」など、世界をひっくり返す無上の全5編を収録。

第33回柴田錬三郎賞受賞作。伊坂幸太郎史上最高の読後感を約束する『逆ソクラテス』より、表題作の冒頭部分を公開します。

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逆ソクラテス

 

 リビングのソファに腰を下ろし、ダイニングテーブルから持ってきたリモコンを操作する。買ったばかりの大画面テレビはまだ他の家具とは馴染んでおらず、態度の大きな転校生、しかも都心から田舎町にやってきた生徒のような、違和感を滲ませていた。先ほど消したばかりではないか、とテレビが苦笑するのが聞こえるようでもある。

 実況するアナウンサーの声が聞こえた。明瞭な声で、さほど目新しくもないコメントをすらすらと述べる。

 プロ野球のペナントレースも終盤だった。夏の終わりまで首位の在京球団が独走態勢にあったのが、二位の球団が驚くほどの追い上げを見せ、すでに二ゲーム差まで詰め寄っている。観客の注目も集まっているのだろう、テレビの画面越しとはいえ、熱気が伝わってくる。

 在京球団の投手がワインドアップポジションからボールを投げる。打者が見逃す。審判がストライクを告げた。

 映ったスコアボードには、ゼロが並んでいる。八回の表のマウンドに立つ、現役最高額の年俸を誇るエースは、ずいぶん堂々としていた。

 右打席に立つのは三番打者だ。恵まれた体格の割に童顔で、今シーズンは打点、本塁打の二冠が確実と言われている。女性ファンも多い。打者は耳を触り、バットを構えた。

 二球目が投げられる。ほぼ同時に、打者の体が美しく回転し、音が鳴る。打ちました、と実況のアナウンサーが甲高い声を上げる。

 打球の飛距離はかなり長い。カメラがボールを追う。投手が苦しい表情で振り返る。

 センターの一番深いスタンドに向かい、ボールは落下していく。大きな放物線を描くその動きに、観客の誰もが見入っていた。

 背中を見せ、走っているのは守備要員で入ったばかりの選手だった。体は大きくないものの、粘り強さと選球眼で打率は良く、今シーズンのチームの原動力となっていた。ただし、独断専行が過ぎる監督に反発したが故に、スタメンから外されることが多くなっており、そのことはたびたびスポーツ紙やファンから嘆かれてもいた。私怨で、監督がチームの足を引っ張って、どうするつもりなのか、と。その中堅手は俊足を飛ばしている。日ごろの監督との対立で溜まっていた鬱憤を晴らすかのような快足だ。

 捕まってなるものか、とばかりにボールが速度を上げた。

 中堅手がセンターフェンスに向かい、跳躍する。ぐんと飛び上がる。宙で体を反り返らせ、着地した。ボールは? 注視していた観客たちが無言ながら、一斉にそう思う。ボールはどこだ?

 観客全員が息を呑む、短い時間があり、その後で中堅手が挙げた左のグローブに白いボールが見えた。観客席から場内の空気をひっくり返す、大きな声が湧き上がった。

 中堅手はその場で、右の肘を曲げると、空中に浮かぶ透明の宝を、全身の力で握り締めるかのような仕草をした。小さなガッツポーズとも見える。それから、両手で顔をこする。ばしゃばしゃと洗う仕草で、その後で指を二つ突き出した。

 持っていたリモコンの電源ボタンを押す。大型テレビは仄(ほの)かに息を洩らすような音を立て、画面が暗くなる。

伊坂幸太郎
1971年千葉県生まれ。東北大学法学部卒業。2000年『オーデュボンの祈り』で第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞しデビュー。04年『アヒルと鴨のコインロッカー』で第25回吉川英治文学新人賞、「死神の精度」で第57回日本推理作家協会賞(短編部門)、08年『ゴールデンスランバー』で第5回本屋大賞・第21回山本周五郎賞、20年『逆ソクラテス』で第33回柴田錬三郎賞を受賞。他の著書に『終末のフール』『仙台ぐらし』『残り全部バケーション』『ペッパーズ・ゴースト』など。

集英社
2023年7月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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