私だけが知る家康秘話……大河ドラマ主人公・家康を女性視点で描く 植松三十里『家康を愛した女たち』試し読み

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人質暮らしの幼い家康を養育した祖母・華陽院。父に離縁され、赤子の頃別れた母・於大の方。正室となり息子を生んだが、無残な最期を迎えた築山殿。関ヶ原の戦いまでの戦乱を共に生き抜き、盟友となった北政所。側室となり、豊臣方との交渉役を務めた阿茶局。徳川と天皇家を結ぶ役目を背負った孫の和子。世継ぎ決定の為、駿府に向かった家光の乳母・春日局――。

大河ドラマの主人公・家康の真(まこと)の姿を描く『家康を愛した女たち』(植松三十里著)より、第一章「華陽院」の冒頭部分を公開します。

 ***

第一章 華陽院(けよういん)

 永禄三(一五六〇)年五月十一日駿府・知源院にて

 これはこれは元康どの。出陣前の慌ただしいときに、まして雨の夜に、こんな尼寺まで、わざわざお出ましとは。

 あらまあ、こんなに濡れて。大事な時期に風邪でも引いたら、たいへん。この手ぬぐいを、お使いなされ。もう梅雨入りでしょう。

 さあ、もっと灯りの近くへ。せっかく来てくれたのだから、この祖母に、よく顔を見せてくださいな。

 いくつになられた? 十九? あの小さかった竹千代が、こんな立派になるとは。初めて駿府に来たときは、たしか八つでしたね。

 思えば、あれから元服するまでの六年間、この尼寺で、そなたの世話をさせてもらったのは、本当に夢のようでした。

 その竹千代が、こんなに立派な若者になったのですもの、私も歳をとるはずです。来年は、いよいよ古希ですよ。

 いえいえ、そんな昔話をしている暇は、ありませんね。それよりも、このたびは、ご先鋒、おめでとうございます。

 尾張の大高城(おおたかじょう)まで、そなたが兵糧を運ぶのでしょう。大高城は織田方に囲まれて、もう籠城が長いし、さぞや飢えていることでしょう。無事に兵糧が届けば、どれほど喜ぶことか。

 ご先鋒に続く今川義元さまの軍勢は、総勢二万とも三万とも聞いていますよ。今川さまとしては、いよいよ本腰を入れて尾張を手に入れ、それから美濃、近江、ついには都まで目指すのでしょうね。

 対する織田方は数千とか。それを軽んじる声もあるけれど、まずは、そなたが織田方の囲みを破って大高城に入るのですから、なかなかの覚悟が要りましょう。

 大事なお役目の前だし、今夜は、すぐに、お館に戻るのでしょう。出陣の準備がありますものね。

 あら、ゆっくりしていかれるのですか。もう今日のお役目はおしまい? それは嬉しいけれど、でも本当に大丈夫ですか。

 ゆっくり話をしたいと? もちろん、私はかまわないけれど。かまわないどころか、大事な孫と話ができるなんて、本当は、とても嬉しいけれど。

 そう? それなら今宵は少し話をしましょうか。もう私も歳だし、そろそろ、お迎えかと覚悟しているのです。お話しできる機会など、これが最後かもしれないし、前から伝えておきたかったこともあるから。

 男の方のことについては、家が続く限り、誰かが書き残すでしょう。でも女の話は残らないから、聞いておいてくださいな。つまらない昔話かもしれないけれど。

 何といっても、私が忘れられないのはね、そなたが人質として、初めて駿府に来たときのことですよ。

「わらわが祖母(ばば)ですよ。そなたの母上の母」と申したら、あなたは大きな目を、もっと大きく見開いて聞きましたよね。「どうして、母上の母上が、ここに?」と。

 あのとき私は、はっきりとは答えませんでした。八つの子供には、難しい事情だと思ったから。以来、そなたは聞こうとはしませんでしたね。賢い子だから、聞いてはならぬことと自戒したのでしょう。

 今日は、その理由も聞いてくださいましね。なぜ私が駿府にきたのか。そなたの両親もからむことだし、知っておく方がよいでしょう。

 おしゃべり好きな年寄りの話だから、くどかったり、もう何度も聞いたことかもしれないけれど、それは許してくださいませな。

植松三十里
静岡市出身。昭和52年、東京女子大学史学科卒業後、婦人画報社編集局入社。7年間の在米生活、建築都市デザイン事務所勤務などを経て、フリーランスのライターに。平成15年「桑港にて」で歴史文学賞受賞。平成21年「群青 日本海軍の礎を築いた男」で新田次郎文学賞受賞。同年「彫残二人」で中山義秀文学賞受賞。集英社文庫「リタとマッサン」はベストセラーとなる。著書多数。

集英社
2023年7月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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