ありふれた日常……の、はず、なのに!? 抱腹絶倒エッセイ集! 三浦しをん『のっけから失礼します』試し読み

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個性的なタクシー運転手さんと繰り広げられる会話、愛を注ぐ漫画や宝塚、LDH一族への熱き想い、心温まったり温まらなかったりする家族とのエピソード、ふとしたきっかけから広がる壮大な空想……。

雑誌「BAILA」での連載5年分に旅行記などのエピソードを詰め込んだ超大作(?)エッセイ集『のっけから失礼します』より一部を公開します。 三浦しをんワールドをご堪能あれ!

 ***

一章 ニワトリはこっけ

善人の正体

 人間をふたつに大別すると、「頻繁に道を聞かれるひと」と「あんまり聞かれないひと」に分けられる。私はまちがいなく前者だ。

 歩いているだけで扇状になるぐらいスカウトの名刺をもらう、というひとがいるが、たぶんそれと同じ頻度で、私は道を聞かれている。道だけでなく、どの電車に乗ったらいいか、切符の券売機がまるで反応しないのだがどうすればいいか、いい花屋を知らないか、交番のおまわりさんが不在なのだがどこへ行ったのかなど、通りすがりのひとからありとあらゆることを質問される。アイドルとしてデビューしませんかと聞いてくるひとにだけは、一度も出会ったことがない。どういうことだ。

 取っつきやすいムードを醸しだしているということだから、べつにいいじゃないの。そう慰められると、自分でもなんとなく「善人オーラ」を振りまいてるのかなと悪い気はせず、道で受けた質問には全力で応えてきた。いかんせん方向オンチなので、私の道順説明に従ったせいでイスタンブールあたりにたどりついてしまったひとがいるのではと懸念されるが、とにかく金八先生なみの全力返答を心がけてきたことを誓う。

 先日も地下鉄の階段を上りきったとたん、自転車を引くおじいさんに「ローソンはどこだ」と聞かれ、「この道を行った右手にある」と答えたのに、「さっきから何往復もしているのに見当たらない」と食い下がられ、しかたないからローソンのまえまで送っていったら待ちあわせに遅刻した。暮れなずむ町を全力疾走したさ。なんで階段を上ってきた直後の人間に道を聞くんだよ、歩いてるひとはほかにいくらでもいただろ、と吼(ほ)えながら。

 そんな経験を重ね、最近ようやくわかったんですが、頻繁に道を聞かれるのは善人っぽいからじゃない。隙があるからだ。なんかボーッとしていて、従順そうに見えるからだ。

三浦しをん
1976年東京生まれ。2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。06年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、12年『舟を編む』で本屋大賞、15年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、『ののはな通信』で18年に島清恋愛文学賞、19年に河合隼雄物語賞を受賞。19年『愛なき世界』で日本植物学会賞特別賞を受賞。そのほかの小説に『風が強く吹いている』『神去なあなあ日常』『政と源』『エレジーは流れない』『墨のゆらめき』など、エッセイに『ぐるぐる  博物館』『マナーはいらない 小説の書き方講座』『のっけから失礼します』『好きになってしまいました。』など、著書多数。

集英社
2023年7月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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