「教場」シリーズの作者が放つ、切れ味抜群のミステリー短編集! 長岡弘樹 『血縁』試し読み

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コンビニの店員が男にナイフを突きつけられるなか、電話の音が響いた。【でていいか】店長が差し出したメモを見ても、男は何も答えなかった――(「文字盤」)。ほか全7編。

短編ミステリーの名手・長岡弘樹 による、情感豊かな犯罪小説集『血縁』より、「文字盤」の一部を公開します 。

 ***

文字盤

1

 寺島俊樹は、周囲に人気(ひとけ)がないのを確認してから、目出し帽を被った。

 コンビニの自動ドアを開け、店内に入る。

 レジカウンターの向こう側にいる店員は、初老の男だった。年齢は六十を超えたぐらいか。ボールペンを持ち、カウンターに屈み込んでいる。

「いらっしゃいま――」

 顔を上げた店員は、こちらと目が合うと、口を開けたまま固まった。

 寺島は、まっすぐレジに向かった。まだ棒立ちになっている店員と向き合う。彼の胸元に目をやると、ネームプレートには『店長 うちむら』と書いてあった。

 その内村に、寺島は隠し持っていたナイフの刃先を向けた。

「喋るな」

 内村が半歩ほど後退(あとずさ)る。

 寺島は内村の手元を見た。いま書いていたのは伝票のようだ。

「レジ」と寺島は短く続けた。「開けろ」

 このとき店内に電話の鳴る音がした。音はレジ横の事務室から聞こえてくる。

 すると内村は、手にしていたボールペンを伝票の上に走らせ、文字を書きつけた。

 寺島はその紙に目を落とした。

【でていいか】

 と書いてあった。達筆だった。走り書きだが、はっきりと読める。

 内村はボールペンを手放し、今度はしきりに事務室の方を指さし始めた。

 その仕草で、【でていいか】の意味するところが明確になった。いま鳴っている電話に応答してもいいか、と内村は訊いているのだ。

 その問いかけに、寺島はイエスともノーとも答えなかった。ただナイフの刃先をもう一段階前に突き出し、「レジ」と「開けろ」だけを繰り返した。

 内村がレジを開けた。

 電話はまだ鳴り続けている。

 寺島はカウンター越しに手を伸ばした。そして、レジにあった一万円札を三枚鷲掴(わしづか)みにすると、入ってきたドアから急いで外に逃げた。

 足を止めたのは、店を出て十メートルばかり走ってからだった。

 寺島は体の向きを変えた。目出し帽を脱ぎながら店内に引き返し、たったいま奪ったばかりの三万円を内村の手に返してから訊ねた。

「こんな感じでしたか」

 受け取った紙幣をレジにしまいながら、内村が答える。

長岡弘樹
1969年山形県生まれ。2003年「真夏の車輪」で第25回『陽だまりの偽り』で単行本デビューする。08年「傍聞き」で第61回日本推理作家協会賞短編部門受賞。著書に『傍聞き』『教場』『波形の声』『教場2』『救済 SAVE』『119』など多数。

集英社
2023年7月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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