フィリピンパブ嬢と結婚した日本人男性がいつも夫婦喧嘩になる原因とは? 『フィリピンパブ嬢の経済学』試し読み

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 フィリピンパブを研究するつもりがフィリピンパブ嬢とめでたく結婚した大学院生。彼ら夫婦のその後の奮闘ぶりを描く『フィリピンパブ嬢の経済学』が刊行されました。

 子宝に恵まれた彼らでしたが、フィリピン人妻にとってはお役所の手続きをはじめ、子育ての苦労は絶えません。その中でも最も大きな問題は、フィリピンにいる妻の家族への送金問題です。一体いつまで続けなければならないのか――。夫婦の悩みは深い。

 今回は試し読みとして、第3章「フィリピンの家族―終わらない送金」の中の一節を公開します。

 ***

 フィリピンの親戚からは、電話やメッセンジャーで「食べるものがないから食費を送ってくれ」「病気だから薬代をくれ」と何度も連絡が来る。家族には送金をしろと言うミカだが、親戚からの要望に関しては、「全部無視して。お金ちょうだいしか言わないから」と言う。
 ミカの携帯には、未読メッセージと、出なかった着信履歴の山が残されている。ミカに連絡がつかない親戚たちが、夫の僕に連絡をしてくる。僕もやりとりするうちに、すぐに「お金を送ってほしい」というお願いに変わるのに疲れ果てて、返信をしなくなった。
「日本はお金持ちの国だと思ってるからね」とミカは言う。
 今は確かに、フィリピンに比べれば日本の方が経済的に豊かだ。フィリピンでは、僕が日本人と分かると「私も日本に行きたい」といってくる人は多いし、実際に日本で働くことを目指している友人もいる。
 だが実際は、いくらでも送金をできるほど豊かな生活ではない。サラリーマンとして貰える給料は額面上の金額から厚生年金、健康保険、住民税など、かなりの額が引かれるから、手取りにすると驚くほど少なくなる。そこから、生活費を捻出するのだから、正直、余裕はない。
 90年代に興行ビザで来日し、その後日本でシングルマザーとして3人の子供たちを育てたあるフィリピン女性はこういう。
「日本はお金持ちの国だと思った。昔はいっぱい稼いだこともあった。でも自分で生活してみると大変。毎月、家賃、ガス、水道、保険、子供の学費。そんなん払ったらお金ない。日本で何のために仕事をするか。それはお金持ちになるためじゃない。支払いをするため。でもフィリピンにいる家族はそのことをわからない。だからずっとお金ちょうだいばかり言う。こっちの生活のことなんてわからないし、考えない」
 日本に対して、金持ちの国というイメージしか持たないフィリピンの家族や親戚たち。ミカも、遠く離れた家族を心配させたくないから、大変な部分は見せようとしない。フィリピンに帰る時は大量の土産を持参し、家族に小遣いをあげ、日本で「成功」しているようにみせる。だから家族からの急な金の無心にも、何としてでも応えようとする。
 当然、我が家の夫婦喧嘩の原因の多くは、フィリピンへの送金についてだ。
 僅かばかりの貯金ができても、フィリピンの家族からの要請で送らなければいけない時もある。
「いい加減、断ってくれよ。日本での生活もあるんだよ」
「私も頑張ってるじゃん。ずっと自分の欲しいもの買ってないよ。全部ご飯と子供のため、私の分は何もいらない。だから少しはフィリピンに送ってあげてよ」
「こんなんじゃいつまでたってもお金なんて貯まらない! 子供が大きくなってからもっとお金かかる!」
「わかってる! 今だけだから! フィリピンにお金送るのも!」
「今すぐ止めて!」
 と、大喧嘩になる。
 フィリピンへの送金は、出稼ぎで来日したフィリピン女性と結婚すると、必ず直面する大きな問題だ。
「フィリピンの家族を支えられる範囲で送る」という人もいれば、「フィリピンには送らせない」や「フィリピンに送る分は奥さんが稼いだ中から送る」など、いろいろな意見を聞く。どれが正しくてどれが間違っていると言いづらいのは、その家庭のことだからだ。
 我が家の場合、フィリピンへの送金をどこまで許すか、明確な数字やルールを決めることもできず、いまだに夫婦で意見が分かれている。結局、ミカに金を渡してしまったものの、僕が腹を立てて1人で部屋に籠ったり、しばらく互いに口を利かなくなることもある。
 それでも、送金に一番悩んでいるのはミカだということも、近くで見ていてわかる。普段から自分の欲しいものは我慢し、服もカバンも何年も同じものを使っている。少しでも安い、半額になっている商品を買ったり、毎月の食費を計算しながら買い物をしている。ミカは普段は家計を気遣いながら、慎ましい生活をしている。

「頭痛いわ、ほんとに。お金ばかり」
 相変わらずのフィリピンからの送金の要請に、ミカはしばしば頭を抱える。
「食べ物がなくなった」「電気代が払えない」「歯が痛いから歯医者に行きたい」、困ったことがあれば、全てミカに連絡が来る。ミカも何とかして送金をするが、どうしても無理な場合は「今はお金ないから送れないよ」と言うと、
「じゃあ、誰が家族の面倒を見るの!? 家族大事じゃないの!? 見捨てるの!?」
 と、責められる。
 ミカはため息をつき「何とかするから待ってて」とだけ言う。
 フィリピンパブで働いていた時、収入が少ない月は客からプレゼントしてもらった金のブレスレットを質屋に入れ、送金したこともあった。
 そうした苦労を間近で見てきたからこそ、「ひどいな、今までミカが頑張ってお金送ってたのに。何にも苦労知らないんだな」と声をかけた。
「昔の方が楽しかったな。お金なかったけどみんな仲良かった。今は皆お金が欲しいだけ。なんか寂しい」
 少なくとも昔は、皆がミカに金の無心をすることはなかっただろう。だが今は「久しぶり、元気にしてる?」の次の言葉は「お金を送ってほしい」だ。
「家族が大事じゃないの?」と言うフィリピンの家族は、日本にいるミカを大事にしているといえるのだろうか。
 ミカは、「送金をするな」という僕からのプレッシャーと、「送金しろ」というフィリピン家族からのプレッシャーの狭間で、悩み続けている。
 そして送金をめぐる最大の喧嘩は、夫婦間におさまらないものとなった。

以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて

中島弘象
1989(平成元)年、愛知県春日井市生まれ。中部大学大学院修了(国際関係学専攻)。会社員として勤務するかたわら、名古屋市のフィリピンパブを中心に取材・執筆等を行う。前著『フィリピンパブ嬢の社会学』は映画化され、11月から名古屋で先行ロードショーされる予定。

新潮社
2023年8月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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