将棋、囲碁、サッカー、マラソン、ラグビー……分野を問わず、結果を残している人たちの共通点とは? 為末大『熟達論』試し読み

試し読み

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

 スプリント種目の世界大会(世界陸上)で日本人として初めてメダルを獲得(計2回獲得)、3度のオリンピックに出場、男子400mハードルの日本記録保持者の為末大さん。

 優れた成績を残し、あくなき探求心から「走る哲学者」の異名も持つ為末さんが最も書きたかったという本が刊行されました。

 単なる習得でも上達でもない「熟達」とは何か。人生全般に通じるエッセンスを深く考察し平易に綴った『熟達論――人はいつまでも学び、成長できる』の中から、一部抜粋して、試し読みとして紹介します。

 ***

 私は、陸上競技の選手として三度オリンピックに出場し、二度世界大会でメダルを獲得した。このような背景を持っていると、人から「上達すること」に関してよく質問される。
「どうやってモチベーションを保っていましたか?」
「スランプの時、どうしていましたか?」
「どうやったら速く走れますか?」
 と。人は何かを習得していく際に、悩むことがたくさんあるのだろう。私自身、小学三年生から三十四歳までの二十五年の競技人生の中で、どうすればもっと速く走れるのか思い悩むことがたくさんあった。
 せっかくなので質問してくれた方には必ず二、三回質問を返す。相手がスポーツ選手であれば、実際に目の前で試合の時と同じように動いてもらうこともある。なぜ質問をして動きを見るのか。そうすることで、その人が今いる成熟段階がわかるからだ。
 相手の段階が違えば、時には正反対のアドバイスをすることすらある。例えば初心者の方がうまくいかなくて悩んでいる。話を聞いてみると複数のオンライン動画、本から学んでいるという。そうであれば「参考にする相手をまずは誰か一人に絞り込んでその人が言う通りにやってみてください」とアドバイスするだろう。ある程度段階が進んだ状態でなければ、複数の人のやり方から良い点だけを抜き出して活かすのは難しいからだ。
 一方で、数年程度の経験がある人がうまくいかなくて悩んでいるような場合もある。これまで同じコーチから、同じアドバイスを受け、同じ練習を繰り返してきたという。その場合は思い切って違うコーチに相談してみてはとアドバイスするだろう。違う刺激を入れて、新しい展開を生み出す必要がある段階にきていると予想されるからだ。段階が違えばこのように正反対のアドバイスになる。
 同じように、二人のトップアスリートが矛盾する言葉を残すことがある。
「自分の頭で考えることが大事」
「考えるな。言われた通りやってみろ」
 自分で考えた方がいいのか、それとも言われた通りやったらいいのか。今では、この二つは矛盾しておらず段階が違うだけだということがわかる。
 私自身競技人生の中で、二つの矛盾した考えをどう整理していいのか悩むことがよくあった。大学時代はコーチをつけず独学で学び自分を鍛える方法をとっており、陸上競技で世界一になりたいと思っていたから、行きたい方向はわかっていた。だが、自分が今どの位置にいるのか見えなくなり、何をやればいいのかわからなくなることもあった。地図上で、行き先はわかっても、自分がどこにいるのかがわからないようなものだ。

 私が選手だった頃見かけた風刺画がある。選手は真ん中にいて、専門家が選手を取り囲んでいる。選手は少し困ったような表情で「不調」を主張している。栄養士が選手に対し「食事のバランスが崩れていることが問題です」とアドバイスしている。その隣のストレングストレーナーが「筋力トレーニングの不足により基礎的な筋力が足りていません」とアドバイスしている。メンタルトレーナーは「心理的に不安定で休養が必要です」と言い、コーチは「もっと集中して、目標を高く持て」と繰り返し、その周辺を囲むメディアは「彼のピークは過ぎた」と言っている。
 この風刺画はスポーツ選手に限らず、人間が直面しがちな状態を見事に言い表している。問題はグラウンドの中だけにあるとは限らない。技術的にうまくいかないのは、筋力が追いついていないからかもしれない。筋力が追いついていないのはしっかりと栄養が取れていないからかもしれない。栄養の問題は、心理的に疲れていて食事が喉を通らないことが影響しているかもしれない。心理的に疲れているのは最近恋人とうまくいっていないことが原因かもしれない。または幼少期のトラウマが影響し、今症状が出ているのかもしれない。社会情勢が不安定だというニュースを朝見たせいかもしれない。または低気圧で体調が変化したからかもしれない。人は社会の中に生きていて、外部の影響を受けている。
 私はコーチすらいなかったから、あらゆるアドバイスや批判がある中で何を大切にし、どう自分を鍛えていけばいいのか常に悩み続けていた。たくさんの問題に直面したが、全体から切り離してはっきりとわかる問題などほとんどなかった。
 問題がわかれば解決方法を見つけることは可能だ。だが、その問題を見つけ出すこと自体が難しい。トラブルや、うまくいっていない結果はわかっても、その原因がどこにあるのかを見つけることは相当に困難だ。私たちを取り囲む環境の要素はすべて関係している。現代ではどの領域も詳細に分け、整理されているが、概念上切り離したとしても、結局すべては繋がっている。

 アスリートは、自分の競技人生でうまくいかず悩んだことにこそ興味を持つ。チーム競技の人間は組織論やリーダーシップ、試合時のメンタルコントロールに苦労した人間は心理学、怪我が多かった人間は生理学、メディア対応で苦労した人はメディアとの付き合い方、技術を考えていた人間はバイオメカニクス(動作解析)といった具合にだ。私はコーチをつけないで自分一人で競技をしていたから、人間がどのように学んでいるのかに興味を持った。あらゆる要素がある中で、それらを統合し、いかにして極めていくのかを知りたかったのだ。
 オリンピックでは、確かに想像を超えたアスリートを目にする。人間にどうしてこんなことができるのだろうかと驚くこともある。世界大会で一位の選手を後ろから追いかけながら、世界一のレベルの高さに愕然としたこともある。トップアスリートは素晴らしい。だが、考えてみると、人間である以上、誰しも生まれてから様々なことを身につけるのだから、共通した学習システムがあるはずである。一〇〇メートルを九秒台で走ることも信じられないが、私たちは誰に教わらなくても、学習することで歩き走れるようになる。
 人はどうやって学んでいるのだろうか。なぜうまくなるのだろうか。どうやって問題に「気づいて」いるのか。学習していく中でその人の内側で何が起きているのか。何がその人の成長を阻害するのか。そしてどうやって切り抜けるのか。外から働きかけることでその人の成長を促すことはできるのか。
 そんなことを考え始めたら止まらなくなることがよくあった。夢中で陸上競技を探求していくうちに、自分という存在を通じて人間を理解していく感覚があった。何かができるようになり、できるようになることで自分自身が変化するという、熟達のプロセスだ。引退したあと、時間ができたこともあり、興味が爆発した。あらゆる分野の達人、熟達者に会えるということにおいて、これほど元オリンピアンでよかったと思ったことはなかった。

 将棋の羽生善治さん、囲碁の井山裕太さん、iPS細胞の山中伸弥教授、パラリンピックのスプリンターであるジョニー・ピーコック選手、車椅子テニスの国枝慎吾選手、コーヒーバリスタの井崎英典さん、ラグビーのエディ・ジョーンズ監督、生物学者の福岡伸一さん、臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺老師、サッカー元日本代表監督の岡田武史さん、スポーツ庁長官の室伏広治さん、女子マラソンの高橋尚子さん、マラソンコーチの故小出義雄監督。ここでは一部しか挙げられないが、著名ではないが優れた技術を持った方々にも多く話を聞くことができた。あらゆる“熟達者”に話を聞いて、どんな学習プロセスだったのかを学ぶうちに、共通点がいくつもあることに気づいた。
 基本となるものを持っている/迷うと基本に返っている/人生で何かに深く没頭した時期がある/感覚を大事にしている/おかしいと気づくのが早い/自然であろうとしている/自分がやっていることと距離を取る態度を身につけている/専門外の分野から学んだ経験がある……。
 人間が学習するうえで、何かを積み重ねて理解していく方法には共通点があるようだ。文字は繰り返し書いていけばいずれ自然と覚えていく。だが、何かの技術を極めていく時にはそれだけでは越えられない段階がいくつもある。その都度アプローチを変え乗り越えていかなければ熟達者にはなれない。私が知りたかった学習システムはまさにこれだった。人間がどう学び、成熟し、技術が卓越していくのか。どういう段階を経て成長していくのか。興味は尽きなかった。
 私は人間を考える時、いつも三浦梅園のこの言葉を思い出す。

「枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け」

 枯れた木に花が咲くことは、驚くべきことだろう。しかし、引いた目で見ると、そもそも芽が出て花が咲き、散って、新たな芽が生まれるこのプロセスこそが不思議ではないだろうか。なぜ命が生まれ、終わり、そして新たな命が生まれるのか。日常的に目にしている当たり前の風景に慣れてしまっているが、少し考えてみれば「生きていること」そのものが不思議ではないだろうか。
 一〇〇メートルを九秒台で走ることも、ノーベル賞を受賞することも、ショパンコンクールで賞を獲ることも、常人からすれば信じがたいことだ。だが、もっと不思議なのは、学習し熟達させていく能力を誰もが持ち合わせていることだ。
 何かを極めた人、そして熟達への考察を通じて、人間の学びを理解し、そして人間にしかできないことがわかっていくのではないかと考えている。熟達の道は特別なものではなく、すべての人に開かれている。

続きは書籍でお楽しみください

為末大
元陸上選手。1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2023年6月現在)。現在は執筆活動、身体に関わるプロジェクトを行う。Deportare Partners代表。主な著作に『Winning Alone』『走る哲学』『諦める力』など。

新潮社
2023年9月 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

株式会社新潮社のご案内

1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

▼新潮社の平成ベストセラー100 https://www.shinchosha.co.jp/heisei100/