子どもを産まないことはわがままな選択なのだろうか? 『それでも母親になるべきですか』試し読み

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 アメリカのシカゴ大学でジェンダーや母性、人権等の歴史を教えるペギー・オドネル・へフィントンさんが、『それでも母親になるべきですか』(新潮社)を刊行した。

 アメリカでも日本と同様に少子化が進んでいる。子どもを持たない女性の比率は、世界大恐慌時代以降で最高の数字になっている。

 女性はなぜ子どもを産まなくなったのか。その選択の裏には何があるのか。

 本書は、産業革命や戦争、不景気、宗教、環境問題、医療など、女性の選択に影響を及ぼしてきた様々な要素について歴史をさかのぼって明らかにし、選択の背後にある女性たちの語られざる思いに迫った一冊だ。

 今回は「イントロダクション:私たちは子どもを産みません。なぜなら……」の一部を公開します。

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 アメリカの女性の出産数が減ったと、様々な記事が報道している。家族が小さくなり、子どもを持たない人が増えている。

 そういった記事やコメントはすべて、「なぜ?」という同じ疑問を呈している。なぜ現代の若い女性は、哺乳類としての体の基本的機能のひとつを無駄にするのか? なぜ、生物としての義務を無視し、人類の存続に必要な役割を拒否し、両親に孫を持つ喜びを与えようとしないのか? なぜ、多くの人が「人生に意味を与えた」と言ってはばからないチャンスを、みすみす逃そうとするのか? いったいなぜ、若いアメリカ人女性は、子どもを産まないのか?

 もちろん、多くの仮説が出回っている。最も寛大さに欠ける説明は、現代の子どもを産まない女性は単純に、「わざわざ面倒なことをしたくない」というものだ。そういった女性(私たち)は自分勝手で欲張りで近視眼的で、仕事に入れ込みすぎている。女性というものは、私的な領域を出て、労働人口に加わり、工場やオフィス、病院、会議室に向かうと、母親になることよりもキャリア上の野心や仕事上の成功を優先し始める、という論調だ。

 つまり女性たちは、子どもを持たないことを選択していて、その理由は、他の何かが欲しいからだと言うのだ。カフェラテや、学位や、キャリアや、休暇や、アボカドトーストを望む気持ちのほうが、子どもを望む気持ちに勝るのだと。

 もっと寛大なほうの説明は、フェミニズムやコーヒーの習慣に目を向けるのではなく、アメリカ人の若者が直面している冷酷で厳しい経済的な現実に焦点を当てている。大袈裟なことを覚悟で言わせてもらうと、わが子を1カ月間保育園に預けるには、大量のアボカドトーストに匹敵するコストがかかる。

 2021年のニューヨーク・タイムズ紙の調査では、子づくりに関する意思決定が、仕事とお金、そして急速に侵食されつつある中産階級に何とか足場を得るためにミレニアル世代の多くが悪戦苦闘していることと、密接に結びついていると結論づけられた。

 加えて、郡単位の全国出生調査によると、出生率は09年から劇的に落ち込んでいるが、これは沿岸部や都市部、民主党支持の多い地域だけのことではなく、ほとんどの郡で見られる。共和党支持の多い地域も民主党支持の多い地域も、富裕層も貧困層も、都市部も田舎も含めた、全国的な傾向だ。

 私のように大学を卒業してすぐに不況の波を受けた層や、初期のキャリアを不安定な小舟でしのいだ層にとって、新たに人間を産みだす前に、経済的にもキャリア面でも安定したいと考えるのは、単なる好みの問題ではない。若い女性の多くは、キャリアを優先することが生き残るために必要だと考えているのだ。

 私たちの誰もが、「とにかく産みなさい、たとえ今は経済的にも戦略の上でも不可能に思えても、なんとかなるから」という時代遅れのアドバイスを受けてきた。かつては励みになる名言だったかもしれないが、「なんとかならなかった」深刻な事態をじかに見てきた世代には、むなしく響くのだ。

 08年9月15日の朝、リーマン・ブラザーズが経営破綻を宣言し、世界経済を1年にわたる死のスパイラルに引きずり込んだとき、ミレニアル世代は12歳から27歳だった。20年の春、新型コロナウイルスの世界的大流行により、アメリカ人の失業者数が世界大恐慌以来の数字を記録したとき、ミレニアル世代は24歳から39歳であった。

以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて

ぺギー・オドネル・へフィントン
作家。カリフォルニア大学バークレー校で歴史学博士号を取得。米陸軍士官学校に博士研究員として勤務後、シカゴ大学へ。ジェンダーや母性、人権等の歴史を教えるほか、エッセイや論文を多数発表。本書が初の著書。グミキャンディについても多くの意見を持ち、夫のボブ、2匹のパグ、エリーとジェイクとともにシカゴに在住。

鹿田昌美
国際基督教大学卒。『母親になって後悔してる』(オルナ・ドーナト著、新潮社)、『なぜ男女の賃金に格差があるのか 女性の生き方の経済学』(クラウディア・ゴールディン著、慶應義塾大学出版会)など70冊以上の翻訳を手掛ける。また著書に『「自宅だけ」でここまでできる! 「こども英語」超自習法』(飛鳥新社)がある。

新潮社
2023年12月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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株式会社新潮社のご案内

1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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