被害者も関係者も、作者すら信用できないサスペンス ジョセフ・ノックスの問題作『トゥルー・クライム・ストーリー』試し読み

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 女子学生失踪の真相を探るノンフィクションが、思いもかけぬ闇を暴くことに――。ミステリー界、震撼! 作者すら信用できない、本年度最大の問題作。

 マンチェスター大学の学生寮から女子学生ゾーイが姿を消して6年が経過していた。イヴリンはこの失踪事件にとり憑かれ、関係者への取材と執筆を開始。作家仲間ジョセフ・ノックスに助言を仰ぐ。だが、拉致犯特定の証拠を入手直後、彼女は帰らぬ人に。ノックスは遺稿をもとに犯罪ノンフィクションを完成させたが――。

 本書は、一昨年『スリープウォーカー』が話題となった英国現代ミステリーの旗手ジョセフ・ノックスによる、野心的なノワール・サスペンスの問題作です。

 今回は試し読みとして、小説全体の成り立ちを説明する冒頭部分を紹介します。この後、関係者へのインタビュー、この事件のノンフィクションを執筆中の作家イヴリンと著者ノックスとメールのやりとりが続き、徐々に事件の全容が明らかにされていくのですが、被害者も関係者も、作者すら信用できないことがわかり……。

 ***

 二〇一一年十二月十七日土曜の未明、マンチェスター大学に通う十九歳のゾーイ・ノーランは、その三カ月前から暮らし始めた学生寮で開かれたパーティを抜け出した。
 そしてそのまま消息を絶った。
 傍目には、ゾーイは恵まれた人生を歩んでいた。その年の九月、大学進学を機に実家のあるストーク・オン・トレントを離れ、いつかマンチェスターで暮らしたいという長年の夢を叶(かな)えた。双子の姉キンバリーと一緒にタワー型の学生寮に入居し、ほか二人の女子学生ともすぐに意気投合した。子供のころから歌が好きだったゾーイは、音楽を正式に学ぶためにマンチェスターに来て、クラスでもキャンパスでも思いがけない注目を集めることになった。同学年の学生たちはゾーイの才能と歌にかける熱意に一目置き、まもなく初めてのボーイフレンドとの交際も始まった。十二月十七日までの三カ月、表向き学生生活を心から満喫しているように見えた。ところがクリスマス帰省を前に両親が迎えに来たその日、ゾーイは忽然(こつぜん)と姿を消した。
 私はゾーイ・ノーランという名に聞き覚えがなかった。いや、聞いたことがあるのに忘れていただけかもしれない。ゾーイが失踪(しっそう)した二〇一一年、私は二十五歳で、やはりマンチェスターに住んでいた。あれを生活(リヴィング)と呼べるなら、だが。私の夢は叶いそうになかった。地下にある安酒場で働き、そこで稼いだ最低賃金とチップは残らず酒に消えていた。いまの私があるのは、よくも悪くもマンチェスターのおかげだ。失恋の痛みを知ったのはマンチェスターだったし、鼻の骨を初めて折ったのもマンチェスターだった。その二つのできごとは、私がマンチェスターの何を愛していたかを象徴している。あの街には、人を突き放す冷たさとある種のロマンスが共存している。一方の拳(こぶし)の関節に“LOVE”、もう一方には“HATE”とタトゥーを入れた人間のようだ──次にどちらが飛んでくるか、飛んでくるまでわからない。私はどんなときも闘士ではなく恋する男だったし、ハードパンチャーではなくサンドバッグの側だったから、どちらが飛んできてもかわせるようつねにガードを上げていた。街は手を替え品を替え殴りかかってきた。よいものを投げつけてくることもあれば、悪いもののこともあったが、ともあれ休むことなく殴りかかってきた。それゆえ、いまやあらゆる記憶が霧に包まれている。よく思い出せない歳月がある。仕事が、人が、場所がある。そのころの話題など──テレビニュースであれ新聞報道であれ──思い出せるはずもない。
 情報提供を呼びかける警察の広告など、もちろん覚えていない。
 失踪から六年がたって、知り合ったばかりの友人にせっつかれて調べたときも、ゾーイ・ノーランについておぼろに思い出したのは写真だけ、六年前のほんの数日のあいだ街のあちこちで目にした顔写真だけで、しかもその記憶は名前と結びついていなかった。ゾーイは、ブロンドの失踪女性と聞いてまず頭に浮かぶようなルックスをしていた──“アイコン”と呼ばれるには何か一つインパクトが足りない気がするとはいえ。私は新聞記事にざっと目を通し、「ああ、あの子か」とつぶやいただけで、仕事に戻った。報道を見るかぎり、パーティから姿を消して以来の六年間、捜索に何一つ進展がなかったせいもある。ゾーイの消息は杳(よう)として知れなかった。なのに新しい友人がなぜこの失踪事件を深追いするのか、なぜいまさらそれほど固執するのか、さっぱりわからなかった。加えて、そのころはとにかく忙しかった。二〇一七年、私の人生(ライフ)はようやく前に進み始めたところで、迂闊(うかつ)にも自分の命(ライフ)を失(な)くした他人に割く時間はなかった。私は作家デビューを果たした“重要人物”だった。輝かしい前途が開けていた──少なくとも私の頭のなかでは。凍りついたままのゾーイの笑顔の裏に何があるのか、失踪の陰に何があったのか、考えも及ばなかった。それから何年も彼女のことが頭を離れず夜も眠れなくなるとは夢想だにしなかったし、まさか大切な友人が命の危険にさらされるとは思いもしなかった。
 たしかに、悲しい物語ではある。しかしセンセーショナルというにはほど遠い。
 経験からいえば、フィクションと現実とを問わず、若い女の失踪はよくあるできごとの一つだ。犯罪小説を書く者にとっては飯の種でもある。おぞましいことに、失踪から何年も過ぎたそのときもまだ私は、ゾーイはそのうち見つかるだろうと軽く考えていたのだ──生きて見つかるとはかぎらないが、せめて死体は出てくるのではないかと。失踪した女のアイコンとなるには物足りないあの写真にふさわしい、後世に語り継がれるには物足りない真相が暴(あば)かれるのではないか。森の奥の浅い墓から発見されるのではないか。あるいは、道ばたに放置されたスーツケースのなかから。またあるいは、全長六十キロ近いマンチェスターの運河のどこかに沈んでいるのを引き揚げられて。今日は無理でも、明日にはゾーイの人生と失踪のミステリーが解き明かされ、月並みな事件の一つに分類されることになるのだろうと思っていた。当代一の悪役(ヴィラン)が──男が──彼女に関心を抱きすぎた男、一線を踏み越えてしまった男、よからぬ妄想を抱き、それを嘆かわしく不穏な現実に昇華させてしまった男のほうが──注目を集め、彼女は平凡な存在としてかすんでしまうのだろうと。
 イヴリン・ミッチェルと出会っていなければ、ゾーイの事件を思い出すことはなかったに違いない。私のデビュー作『堕落刑事』刊行を記念してマンチェスターで行われたイベントで、質問の手を一番に上げたのがイヴリンだった。犯罪小説におけるシリアルキラーの設定の変遷や、事件の被害者よりも殺人者に焦点が当てられる傾向について質問された。まさか自分が試されているとは思いもよらず、おっしゃることに賛成できる部分がありますと私は正直に答えた。『堕落刑事』にシリアルキラーは登場せず、今後の作品に登場させる予定もないと話した。その理由は単純で、シリアルキラーの動機にはとってつけたようなものが多いからだ。死体をばらばらにして宅配便であちこちに送りつけるなど極悪人の異様さが進化する一方、被害者が置き去りにされてはいないか、あまりに荒唐無稽(こうとうむけい)なストーリーになっていないかとどうしても気になってしまう。イベント後に本にサインをする段になって、イヴリンとまた少し言葉を交わし、彼女のほうも作家だとわかってメールアドレスを交換した。イヴリン・ミッチェルは、過剰な男らしさをテーマにした辛辣(しんらつ)なデビュー小説『出口なし』の著者だった。作品の評価は高かったが、時代を先取りしすぎていてほとんど売れず、担当編集者はイヴリンからの電話に出てくれなくなった。デビューから数年が過ぎ、イヴリンはもはや、日曜紙『オブザーバー』や書評誌『ロンドン・レビュー・オブ・ブックス』あたりで期待の新星ともてはやされるような注目株ではなくなっていた。イベントで会った彼女は、私のサインをもらうために列に並んでいる読者の一人にすぎず、私はまるで数年後の自分を見るような思いがした。
 ただ、初対面のときイヴリンが私に打ち明けなかったこと、おそらく最後まで世の中に公表しなかっただろうことがある。彼女は不幸にも二十代後半の若さで乳癌(にゅうがん)と診断され、キャリアを中断せざるをえなかったのだ。両方の乳房を切除し、化学療法に何サイクルも耐え、貴重な執筆の時間とかけがえのない自信を奪われた。それもあって、統計からいっても自分は長く生きられそうにないと思い詰め、“売れる”本を書いて失われた時間を埋め合わせなくては、この世に自分の爪痕(つめあと)を残せるような題材を探さなくてはと焦(あせ)っていた。フィクションにはもう興味を失ったとイヴリンは言った。現実の人生がすでに充分におそろしいのだから、と。闘病を通じてイヴリンが新たにした世界観は、諦念(ていねん)の裏返しのような強がりと、崖(がけ)っぷちに立たされた人間特有のダークなユーモアに彩(いろど)られていた。闘病経験をついに私に打ち明けた日、イヴリンはテーブルの向こうでにこりと笑って言った。
「で、どんな気分?」
「気分?」私は訊(き)いた。
「私に残された最後のおばかさん(ティット)になった気分はどう?」(「tit」には乳房の意も)
 二〇一七年春、私のデビュー作への反響が一段落したころからイヴリンとたびたび会うようになった。コーヒーを飲んだり、ときには酒を飲んだりしていると、自然とそのとき執筆中の新作の話になった。私はそのころ二作目の『笑う死体』に取りかかっていて、第一作よりよい作品に仕上げようと意気込んでいた。イヴリンのほうはだいぶ事情が違っていた。本人の言葉によれば、これはと思えるテーマがなかなか見つからず、じわじわと世間に忘れられていっていることに焦りが募るばかりだったが、ある日、考えるともなくこう考えた──女性が失踪する裏でどんなことが起きているのだろう、世のゾーイ・ノーランたちは何が起きていなくなるのだろう。私はその線で書いてみたらと勧めた。彼女の焦燥感が伝わってきたから。人に親切にしたかったから。しかし自分の執筆が忙しくなるにつれ、何かと口実を見つけてコーヒーや酒を飲む約束をすっぽかすことが増えた。もともと、筆が乗ってくると何週間も友人や家族と一言も話さず、そのまま数カ月もメールをチェックせずにいても平気なたちだった。時間のたつのも忘れ、他人の消息に関心が向かなくなる。しかし、そんな言い訳では自分のことさえ欺(あざむ)けない。イヴリンのワンルームの住まい、すり切れかけた服、中断したプロジェクト。イヴリンといると、自分の未来の輪郭がぼんやりと見えるような気がした。ヒット作は出ず、あとは坂を下るだけの未来。編集者に電話しても出てもらえず、断りの手紙だけが届く未来。地べたを這(は)い回るばかりの、終わりの見えない日々。挫折(ざせつ)に関して、作家は迷信深くなりがちだ。それは人から人へ伝染するのではないかと怯(おび)える。イヴリンと話す機会は減り、友情を支えるのはメールだけで、そのメールさえ“やあ元気?”というだけの薄っぺらなものになっていった。週に一度のやりとりは月に一度になり、数カ月に一度になって、ついにはほぼ完全に途絶えた。月日は流れて二〇一八年六月二十五日、受信ボックスに新しいメールが届いた。件名欄にはこうあった──
〈トゥルー・クライム・ストーリー〉。
 イヴリンによれば、思いきってゾーイ・ノーランの家族と連絡を取り、まずは人として、のちに作家として話を聞かせてもらった。一家の同意のもと、ゾーイの友人や知り合いまで取材範囲を広げ、連絡がつき、かつ取材に応じたすべての関係者に一年近くかけて取材した。そこから、矛盾を含んだ複雑な全体像が浮かび上がってきた。全員の証言がきれいに一致して整合性が取れるできごともあれば、証言が食い違って、パズルのピースがうまく組み合わさらないできごともあった。ゾーイは学業にまで悪影響が及ぶような大きな失意を経験した。ボーイフレンドは、そもそもゾーイを愛していなかったのは明らかなのに別れを拒み続けた、許しがたい男だった。ゾーイは両親から絶えず重圧をかけられており、双子の姉との関係はぎくしゃくしていて、それも心に負の影響を与えた。さらに、街中でゾーイにつきまとい、一挙一動を監視していた通称“シャドウ・マン”の存在もあった……
 しかし、失踪の謎(なぞ)を解く答えは一つとして見つからなかった。
 イヴリンの心身の健康を思うと、このテーマを追ってみたらと助言し、答えの出ない謎解きに貴重な時間を無駄に使わせてしまったことに罪の意識を感じた。それもあって、我ながら不甲斐(ふがい)ないことに、〈トゥルー・クライム・ストーリー〉という件名のメールには返信しないままになり、それに添付されていた、イヴリンがそこまでに書いていた全体の三分の一ほどの草稿も読まずにいた。
 それから半年ほどたったころ、ゾーイ・ノーラン失踪事件にそれまで定着していた筋書きを根底からひっくり返すような新展開があったとき、私はイヴリンにふたたび連絡し、彼女の直観は正しいとわかったと伝えた。即座に返信があった。最初に送った原稿はまだ読まないでほしいと書かれていた。新しい情報が手に入り、第一稿の時点では明らかになっていなかった重要な要素が解明できたから──物語をどう始めるべきかようやくわかったからという。
 その改訂版の原稿を送ってもらい、むさぼるように読んで初めて、物語が秘めた可能性が私の目にも見え始めた。ゾーイ・ノーランの家族や友人でさえ、ゾーイの真の姿を知らなかった、あるいはそれぞれ別の一面を知っているにすぎなかったのだ。ゾーイは愛する人々に明かせない秘密を抱えていた。そのために最後には忽然と消えてしまうことになった。取材に応じた何人かは、庭の植物を育てるように恨み辛(つら)みを大事に育て続けていた。何人かは、それまでとは異なった角度から一連のできごとを見直そうとしていた。この物語を完成させるには──ゾーイ・ノーランの真実を解き明かすには、質も太さも異なる糸を織り合わせるしかないというのがイヴリンの考えだった。事件発生直後、扇情的な記事が世の中にあふれた。あまりにも多くの真実が行間に埋もれ、あるいは失われた。たとえ互いに矛盾していようと、事件関係者の発言をそのまま記録して一冊の本に仕上げれば、真実はきっと明らかになるだろう、新事実が一つ、また一つと積み上がるにつれて、彼女の目に見えてきたのと同じ事件の全体像がきっと読者にも見えるだろう。イヴリンはよりよい世界の存在を信じた。若い女が何の意味もなく失踪したりはしない世界の存在を。しかし彼女の原稿を読み進むにつれ、私はその存在を信じられそうにないという思いは強くなる一方だった。
 イヴリンが紡(つむ)いだ物語では、新事実と新展開が次々と明かされてはいる。だが、やはり結論らしい結論に到達できそうにはなかった。ありのままの現実を彼女に伝えられるのは、私だけだった。食い違う証言、恋愛沙汰(ざた)、セックステープ、秘密、嘘(うそ)。好奇心を刺激する要素がどれだけそろっていようと、結末がなければ、本として成立しない。ゾーイ・ノーランの行方がわからないのでは、本は売れない。現実の世界と同様、出版の世界にも、死んだ若い女があふれている。残念ながら、ただ失踪した程度では見向きもされないのだ。初めて会ったときイヴリンが指摘したとおりだ。人が関心を持つのは殺人者であって、被害者ではない。「きみの目的は何だ?」私はイヴリンにそう尋ねた。「人類の本性を変えるとか?」登場人物の一人が姿を消しはするが、それきり死体が見つからない本など──つまり事件は起きるが最後まで解決しない本など、誰が読むのか。私はイヴリンに、答えのない不毛な物語のリサーチに貴重な歳月を費やしてもらいたくなかった。本人にもそう伝えた。その結果、二〇一九年二月のなかばごろにはメールのやりとりはよそよそしいものになった。イヴリンの文面に被害妄想がにじみ始め、ネガティブな文言が増えて、精神状態が心配になることもあった。
 それもあって、核心に手が届きそうだとイヴリンから伝えられたとき、そして彼女をつけ狙(ねら)う“シャドウ・マン”がひたひたと忍び寄ってきたとき、悔やむべきことに、私は取り合わなかった。イヴリンがついに証拠を手に入れ、ゾーイの失踪に関与したと思われる人物との直接対決を試みたとき──そろそろ体力の限界に来ていると聞いていたのに──私は別のことに気を取られていて、行動が遅れた。皮肉なのは、私の予言めいた発言だ──結末で死体の一つも出てこないこの本は、日の目を見ないだろうと彼女に言ったのだ。そして二〇一九年三月二十五日の未明、一つどころか二つの死体が出た。
 イヴリンが集めたメモや取材テープ、文書類を私に預け、それを整理して一冊の本にまとめる許可を与えてくれたミッチェル一家に、心からの感謝を伝えたい。一部の章はイヴリンが意図した形にすでに仕上がっていたが、それ以外は私が草稿を読みこんで構成し直した。踏みこみの足りない箇所では追加の取材もした。専門家から話を聴いたり、イヴリンが取材しそこねた人々に会ったりして、すでにあった原稿に新たな証言を付け加えた。
 再構成を進めるなかで、本題からそれて他人(ひと)の秘密を詮索(せんさく)するだけの回り道と思えた道が、実は何か美しいものの破壊に──イヴリンも私も予想だにしなかった破滅に至る最短コースだったとようやく悟った。読者のあなたは、もしかしたら、私たちよりずっと早く危険を察知するかもしれない。私にはできなかったことを、あなたならできたかもしれない。無意味な死を防げたかもしれない。
 本書をイヴリン・ミッチェルに、ゾーイ・ノーランに、そして二度と帰らなかったすべての人に捧(ささ)げる。

以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて

ジョセフ・ノックス
英国のストークとマンチェスター周辺で生れ育ち、書店やバーで働く。ロンドンに移って執筆活動を開始し、2017年に『堕落刑事』で作家デビュー、一躍注目を集める。マンチェスター市警エイダン・ウェイツを主人公とするシリーズ第2弾『笑う死体』(2018年)、第3弾『スリープウォーカー』(2019年)と好評を博し、2021年にはシリーズ外作品『トゥルー・クライム・ストーリー』を発表。

池田真紀子
1966年東京生れ。上智大学卒業。ディーヴァー「リンカーン・ライム」シリーズ、ウェルシュ『トレインスポッティング』、フィン『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』、ダルトン『少年は世界をのみこむ』、パラニューク『インヴェンション・オブ・サウンド』、グティエレス『死が三人を分かつまで』など、訳書多数。

新潮社
2023年10月 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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