オカルト、宗教、デマ、噂、フェイクニュース、SNS…誰もが何かを信じたいこの世界で、信じることの意味を問う傑作長篇小説 角田光代『方舟を燃やす』試し読み

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 作家・角田光代による長篇小説『方舟を燃やす』が刊行されました。

 昭和からコロナ禍までをひたむきに生きた柳原飛馬と望月不三子という二人の人生を描いた本作は、「信じる」ことの意味を深く問いかける一作です。

 1967年生まれの柳原飛馬が育った時代は、みんなノストラダムスの大予言を信じてUFOを待ち、コックリさんに夢中になった昭和のオカルトブーム真っ最中だった。戦後すぐ生まれの望月不三子は文化的な生活を知らずに育ち、マクロビオティックの食事で子育てをしたのに、娘や息子とうまくいってない。高度経済成長期の日本に育ち、昭和平成を生きたふたりがコロナ禍の子ども食堂で出会った時、そこに生まれたものは何だったのか――。

 角田光代『方舟を燃やす』から望月不三子の章を公開します。

望月不三子 1967

 谷部不三子(やべ・ふみこ)は高校に進学したころから、大学に進学したいと漠然と思っていて、高校一年時の担任教師も、このまま勉強をがんばれば国立大学に進学できるのではないかと言ってくれたけれど、進路について真剣に考えはじめるより先に、父親が亡くなった。不三子が高校二年に上がった夏の終わりだ。その年は災害の多い年で、七月には西日本を、八月には羽越を、死傷者が数多く出る豪雨が襲ったが、テレビのない谷部家ではラジオと新聞でそのニュースを見聞きし、死者の数でしか被害の甚大さに思いを馳せることができないでいた。そこへきて父親が急死し、遠い地の災害は不三子の頭からすぐに消えた。
 不三子は、自動車製造会社で働く父、総合病院で清掃の仕事をする母、三歳下の弟と六歳下の妹の五人家族で、自分の家が貧しいことは幼いころから理解していた。父親が脳卒中であっけなく亡くなったとき、父の死をかなしみながら不三子は、大学進学の夢が完全に潰(つい)えたと思った。進学したってどの大学も学生運動で授業などろくにやっていないに違いない、と自身に言い聞かせた。実際に、新聞にはそんな記事ばかり書かれている。それにクラスの大半は、とくに女生徒は受験などしない。
 就職先が無事に決まり卒業するころには、だから不三子は大学進学を夢見ていたことなどすっかり忘れ、あたらしくはじまる社会人としての生活に胸をはずませていた。
 不三子が就職したのは製菓会社である。久我山にある自宅から電車を乗り継いで、八丁堀にある会社まで小一時間ほどかかる。
「私、就職試験を受けたのはみんな食べものの会社なの」と、同期入社の吉川佳世子といっしょになった帰り道、不三子は打ち明けた。
「わかる。食べものの会社なら、きっと食べるものに困ることはないものね、自分のところで作っているんだから」と佳世子も笑った。
 同期入社の男性たちは、みな営業研修をはじめたけれど、不三子たちは清掃や茶菓の補充、電話応対や伝票整理などを先輩社員から教わる。敬語もうまく使えず、上座が何かもお茶の出しかたについても知らない不三子は、いちいち先輩から叱られてあわてふためいたが、作法を覚えていくのは新鮮だった。そして佳世子やほかの新入社員たちが、自分とは異なってそうしたひととおりのマナーを知っていることにひそかに驚いていた。彼女たちは自分と同じ高卒で、とくべつ裕福な家の子女というわけでもなさそうである。それでも茶器の選びかたやお茶のいれかたや接客マナーをすでに熟知している。佳世子はお茶とお花を習っているというし、書道の得意な女子もいれば日本舞踊をやっているという女子もいて、そうした習いごとの例を聞くまでもなく、みんな文化的な家庭の子どもらしいのが、不三子には不思議でもあった。
 亡くなった父親は家にいるときは酒を飲むばかりの無口な男で、母親は料理や掃除といった最低限の家事はするが、子どもたちは放ったらかしで、正月におせちを用意するとか、破れた衣類を繕うとか、デパートに子どもたちを連れていくとか、そういったことはいっさいしなかった。夕食の準備をしないこともあるくらいで、不三子は中学に上がったころから妹や弟のために食事を作っていた。
 中学高校に通っているときからうすうすわかっていたことだけれど、こうして社会に出てみると、自分の家がいかに非文化的で時代遅れだったのか不三子はあらためて実感した。けれども、電話での受け答えも、茶托の使いかたも知らない不三子を、先輩社員も同期の女性たちも馬鹿にすることはなく、知らないことは知らないと言えば呆れながらもきちんと教えてくれるので、不三子は劣等感を味わうことも卑屈になることもなかった。叱られれば気落ちしたが、知らないことを知っていくのはたのしかった。
 もらった給料の三分の一を母親に渡し、残りのお金で衣類や化粧品を買い、たまには弟や妹の身のまわりのものも買う。佳世子と映画を見にいったり喫茶店に寄ったりするようになり、お給料はいつでも足りない。会社にミシンのセールスマンがきて、月に二度ほど講習会を開いていたので、不三子も参加してバッグやエプロンの縫いかたを習った。やがてスカートやシャツまで縫えるようになると、ミシン購入のために積み立てもはじめた。
 勤めはじめて二年目になると、不三子は佳世子に誘われて会社の登山部に入部し、休みのたびに近隣の山に登るようになった。不三子がはじめてデートをしたのは登山部に所属する四歳年上の羽賀雅夫だ。それまでも佳世子を含めて四人で映画を見にいったり、ビアホールにいったりしたこともあったけれど、二人で会うのははじめてだった。
 羽賀雅夫は不三子と同期入社しているが、四年制大学を卒業しているので年上なのだった。誘われて、日曜日に有楽町で映画を見て、雅夫の案内で洋食屋にいった。赤い絨毯敷きの高級そうな店で、入り口でコートを預かってもらうのにもウエイターに椅子を引いてもらうのにも不三子はどぎまぎし、渡されたメニュウを開いても書かれている文字がよくあたまに入ってこない。かろうじて知っている料理名を見つけ、信じられないような金額だったけれど、手持ちのお金でなんとかなりそうではあったのでハンバーグを注文した。雅夫は何かの料理と二人ぶんのビールを頼んだ。不三子はあまり好きではなかったが、運ばれてきたビールグラスを雅夫と軽く合わせてから口をつける。
「アメリカと日本じゃあいろいろ違うけど、でもぼくもちょうど学生時代はあんな感じだったから、すごくよく理解できたし、もどかしい気持ちになったな」
 と雅夫はビールを飲みながら映画の感想を述べる。映画は雅夫が選んでチケットを買ってくれたのだが、アメリカの学生運動事情を描く映画は不三子にはよくわからなかった。学生運動がどんなものかもよく知らないし、知らないゆえに興味の持ちようもないのだった。もし父が死んだりせず、あるいはもう少しめぐまれた経済状況の家に生まれていて、淡く願ったとおりに大学にいけていたらあんな目に遭っていたのだろうかと思う程度だ。
 感想を聞かれたらなんと言おうか、不三子はせわしなく考えていたが、彼はとくに意見を求めることなく、料理が運ばれてくるとビールを二杯追加している。
「あの、お箸って……」料理の両側に並んだナイフとフォークに戸惑って、去りかけたウエイターに不三子は思わず訊くが、
「お箸って、きみ、そんなお店じゃないよ」と雅夫に笑われて、不三子も曖昧に笑ってナイフとフォークを手に取る。仕事帰りに佳世子たちと洋食屋で食事をすることもあるけれど、たいてい気楽な雰囲気の店で割り箸が出てくる。不三子もナイフとフォークを知らないわけではないが、平皿にのったごはんをそれらでうまく食べられる自信がない。しかたがないので不三子はフォークだけでハンバーグを切り、ごはんを口に運ぶ。雅夫はカレーライスのような料理なのに、ナイフとフォークで中身の肉を切り分けて、フォークで汁とごはんを口に運んでいる。米粒をこぼさずに食べているのは不三子にはみごとな芸当に見える。
「谷部さん、お休みの日は何をしているの。山登り以外に何が好きなの」雅夫に訊かれ、不三子はなんと答えるべきかめまぐるしく考えて、
「積み立てでミシン買ったんです。会社にミシンの人がきてくれるでしょ? 針で縫うのは好きじゃないけれど、ミシンだと早い上にまっすぐ縫えるから、お洋服なんかすぐできちゃうの」と言った。雅夫を好きかどうかを考えるよりまず先に、雅夫に気に入られなければいけないような気がしていた。
「ミシンの人?」ナイフとフォークを動かしながら、羽賀雅夫は不三子に訊く。
「ミシンの会社の人が講習してくれるんですよ、私は入社してからずっと参加していて」
「へえ、そういうのがあるなんて知らなかったな。ただで教えてくれるの? あ、ミシンを売りつけるんだから、ただというわけでもないか」
「いやだ、売りつけるなんて押し売りみたいに」不三子は笑った。「希望者が買うんです。無理に買わせたりしませんって」
 雅夫は笑う不三子をじっと見ていたが、「女性はいいね、給料をもらいながら花嫁修業ができるってわけだ」とおだやかな笑みで言う。
 たしかにそうだ。男性社員とは違って出張もないし残業もない。お茶の入れかたや電話応対のしかたを教わり、ミシンを習い、それで毎月お給金をもらって、多くの女性が結婚と同時にやめていく。
「でももし私が男の人だったら、あたらしいお菓子を作って売り出したいな」フォークでハンバーグを切り分けて口に運びながら不三子は言う。
「あたらしいお菓子?」雅夫が訊いてくれるのでうれしくなって不三子は話す。
「最近はお菓子もずいぶん安く買えるようになったでしょ、チョコだっていろんな種類が出て、アポロチョコなんてすごいと思うわ。だからね、和歌が書いてあるビスケットとか、めずらしい動物のかたちで、名前が書いてある一口サイズのチョコレートとか、たのしんであたらしいことが覚えられるお菓子があったら、おもしろいと思っていて」
「添加物のことなんかは考えないわけ? 食品衛生法が変わったよね」
 雅夫に言われて不三子はとっさに後悔する。夢中になって、なんだか馬鹿みたいなことをべらべら話していたことを思い知らされる。
「そういうことは私、学がないから知らなくて」
「これからはお菓子の形状なんかより、添加物とか製造方法とか、そういうのが重要になってくる時代だとぼくは思うな」
 ふふふ、と不三子は笑い、皿にこびりついた米粒をフォークではがして口に入れ、何も残っていないのを確認してフォークをもとの位置に戻す。ハンバーグの皿にはソースがたっぷりと残っているが、なめるわけにもいかないのでそのままにする。ビールが残っているのに気づいて一気に喉に流しこむ。気がつけば店は混んでいて、不三子たちと同世代の男女がみな向き合って食事をしている。女たちはみんな若いのに高級そうに見える服を着て、ナイフとフォークを優雅に操っている。不三子は急に、ナイフとフォークに戸惑い、何もわからないくせに菓子について得意げにしゃべり、安売りで買ったワンピースを着て座っている自分が恥ずかしくなり、今すぐにでも帰りたくなる。尿意を覚えるが、手洗いにいきたいなどと言い出しにくい。登山部のときは女性たちでかたまって行動しているので、平気でお手洗いにいくと男性たちに言えるのだ。
 メニュウでハンバーグの値段を見たときにとっさに財布の中身を勘定した不三子だったが、その日の食事代は雅夫が支払った。礼を言って駅まで歩き、そこで別れると、不三子はすり足で公衆便所に向かった。
 また雅夫から誘われて食事をし、それを数回くり返して、結婚の申しこみがあり、それで退社することになるのだろうと、この日の帰り道、不三子はなんとなく想像した。会社に入って二年目だし、まだまだ習いたいこと覚えたいことはたくさんあるからやめたくはないが、けれども同期入社の女子社員たちのなかで最後まで取り残されるのもいやだった。だから退社はしたほうがいい、これからは雅夫を支えていけばいいと考えた不三子だったが、その想像に反してその後雅夫から映画にも食事にも誘われることはなかった。
 結局、谷部不三子が結婚したのは、雅夫との結婚を想像したときから四年後、相手は、上司から勧められた見合いで知り合った、三歳年上の望月真之輔(もちづき・しんのすけ)だった。四年制大学を卒業後、電機メーカーに勤務する無口な男で、見合いのあと、真之輔は不三子を三回映画に誘い、その都度食事をし、一九七五年の春に結婚することになった。真之輔の誘う映画は、『砂の器』や『伊豆の踊子』といった日本映画で、漫画の実写映画と二本立ての『ノストラダムスの大予言』に誘われたときは一抹の不安を覚えたが、その馬鹿げた予言書がはやっているのは不三子も知っていたし、小難しい映画ではないことにやはり安心した。食事も、このときにはナイフとフォークを躊躇なく使えるようになっていたけれど、真之輔が連れていくのは安価な中華料理屋や居酒屋だったから不三子はそう緊張せずにすんだ。銀座に一号店ができたファストフードも、不三子は真之輔とはじめて食べた。真之輔は映画の感想を言うこともなく、ましてや添加物や「これから」の日本のことなども話さないが、不三子の話をよく聞いてくれ、妹や弟のシャツくらいなら買うより縫ったほうが安いと言う不三子を大げさに褒めた。会話が途切れても沈黙は苦にならず、何より不三子は真之輔の前でならお手洗いにいってきますと言うことができた。
 年が改まり、誘われて初詣にいった帰りに真之輔から求婚された。その後、不三子は静岡の、下田にある真之輔の実家に挨拶にいき、また真之輔も久我山の不三子の母親に挨拶にきて、三月に東中野の結婚式場で挙式した。製菓会社を不三子は三月末で退社し、同期最後の居残りにならなくてすんだことにほっとした。
 結婚してすぐに住んだのは高円寺のアパートである。実家に暮らしていたときはとくに不満もなかったのだが、そうして家を出てみると驚くほどの解放感があった。弟は大学四年に進級し、学費はアルバイトでまかなっている。妹は高校を出てデパートで働きはじめた。もう弟妹の学費や生活費の心配をすることもなく、炊事や洗濯に追われなくてすむ。そして何より陰気な母親から逃れられたことが、呼吸をしやすくなった最大の原因のようだと思った。
 木造アパートは台所兼食堂と、和室が二間、古びたアパートだったけれど真之輔が社員割引で買った冷蔵庫も洗濯機もテレビも掃除機も電子レンジも最新型だった。足踏みミシンも家から持ってきて、寝室にした和室に置いた。佳世子や、先に寿退社した元社員がときどき遊びにきてくれる。佳世子はまだ勤めていて、登山部にも参加している。
「私は結婚しないし、したとしても仕事は続ける」と佳世子はいつも言っている。けれどきっと、ほかの女性社員たちがみんないなくなったら佳世子もあわてて結婚相手をさがすだろうと不三子は思っている。不三子が退社するより先に北海道に転勤になっていた羽賀雅夫が、その地で結婚したことも、不三子は佳世子から聞いたのだった。

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角田光代(作家)
1967年神奈川県生れ。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。1996年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、2005年『対岸の彼女』で直木賞、2006年「ロック母」で川端康成文学賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2011年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞、2012年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、2014年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞、2021年『源氏物語』(全3巻)訳で読売文学賞(研究・翻訳賞)を受賞。著書に『キッドナップ・ツアー』『くまちゃん』『笹の舟で海をわたる』『坂の途中の家』『タラント』他、エッセイなど多数。

新潮社
2024年3月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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