「私の夢はかなわない。それがかなしい」20年来の作家仲間・山本文緒に綴った、角田光代の想い【山本文緒さん追悼】

エッセイ

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山本文緒さん

 膵臓がんを患い、闘病生活を経て、2021年10月に惜しまれながらこの世を去った作家の山本文緒さん。2022年10月には134日間に及んだ闘病日記が『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』と題されて書籍化され、改めて故人を偲ぶ声が寄せられている。

 本記事では、20年来に渡り付き合いのあった作家の角田光代さんが、文芸誌「小説新潮」(2021年12月号)に寄せた追悼文をお届けします。

 角田さんは、新人賞を受賞して最初に会った「生」の作家が文緒さんだったといいます。直感的に「やさしすぎる」という印象を持っていた角田さんが綴った想いとは?

角田光代・追悼エッセイ「それは私の夢だった」

 山本文緒さんは私が生まれてはじめて会った生の作家の人だ。私は二十一歳で、文緒さんは二十五歳だった。

 公言していないけれど(でもかなりおおやけに知られているけれど)、私は自分の名前でデビューする前に、二年間、集英社の少女小説の部門で小説を書いていた。二十一歳のときコバルト・ノベル大賞という賞をいただき、その授賞式が都内のホテルで行われた。それまで賞みたいなものとは無縁で、大人ときちんと話したこともなく、右も左もわからずびくびくと出かけていくと、控え室前の椅子に女性が座っていた。私を見ると彼女は立ち上がって、山本文緒ですと挨拶をしてくれた。前回の受賞者だった文緒さんは、私の緊張をよくよくわかってくれていたのだろう、やさしく近しく話しかけてくれて、ものすごくほっとした。年齢もそう離れておらず出身地も近かったので、それから親しく話すようになった。けれど私は心のどこかで、この人に頼りすぎてはいけないと直感的に思っていて、親しくしてもらっていても、甘えすぎないようにいつも自戒していた。

 二人ともまだ年齢が若く、デビューしたてだったので、文学の話はいっさいしなかった。小説家同士というよりも、学内サークルで知り合ったような感じだった。仕事の悩みや恋愛の悩みも聞いてもらった。同世代の作家といっしょに、文緒さんのおうちにも遊びにいかせてもらった。

 文緒さんと二人で飲みにいって、男の子たちにナンパされてともに飲んだこともある。彼らが席をはずしたときに、文緒さんはさっと会計を済ませて、レシートの裏に、「私たち作家なんです!」と書いて席に置いた。店を出て笑いながら駅まで歩いた。そんなことがおもしろかったのは、自分たちが作家としてまだ世に認められていない自覚があったからだと思う。それがくやしいとか、つまらないとか、思わなかった。作家であるということが、自分たちにとってもおかしくて照れくさいことだったのだ。

 少女小説を書いていたことと同様に公言していないが、私は学生時代に演劇サークルに属して芝居に明け暮れていた。文緒さんと唯川恵さんは差し入れのビールをたくさん持って、私の出演した芝居を観にきてくれた。床にじか座りの、狭い汚い小劇場に、もしかしたら文緒さんも唯川さんも「げっ」と思ったかもしれないけれど、そんなことはおくびにも出さず、観終わったあとにおもしろかったよと褒めてくれた。

 私たちも少しずつ年齢を重ねて、少女小説とは異なる小説を書くようになり、おたがいにだんだん忙しくなっていって、二十代のときのように電話をしたり飲みにいったりすることも減った。文緒さんは直木賞を受賞して、ものすごく忙しくなり、ますます会うこともまれになってしまったけれど、会えば、二十代のときとかわらずに接してくれて、私のみっともない恋愛相談にものってくれた。

 二〇〇三年からは、R‐18文学賞の選考委員として顔を合わせるようになった。私は小説の選考をするのがはじめてで、ものすごく緊張していた。このときの選考会で、文緒さんが「新人賞には、完成度より、のびしろのある小説を選びたい」と言い、そうかそういう読みかたがあるのだとものすごく深く納得した。その後新人文学賞にかかわる際、いつも思い出す言葉だ。

 文緒さんの愛する猫のさくらさんに会ったことが一度だけある。文緒さんが都心の高層マンションに住んでいるときに遊びにいかせてもらったのだ。さくらさんは錦鯉のようにうつくしい猫で、部屋には自分のテリトリーがはっきりとあるらしく、見えないその線をうっかり私が越えてしまうと「こっちにくるなー!」とものすごくこわい顔で叫んだ。本当に、私の耳にはそのように聞こえた。そっちにいっていいのは文緒さんだけなのだ。

 うちの猫にも文緒さんは会いにきてくれた。わが家の猫はやさしい文緒さんにじっとりと甘えて、文緒さんが帰ったあと、私の洗う文緒さんの使用済みグラスやお皿を暗く見つめていた。

 二〇二〇年の春にパンデミックになって、移動も会食も思うようにできなくなった。コロナが落ち着いたらしたいことのリストのなかに、文緒さんのおうちにまた遊びにいく、というのがあった。文緒さんはやさしいから、遊びにいきたいと言うと、きっと気にして、日にちや段取りを考えてくれてしまうから、遊びにいける状況になったら連絡しようと思っていた。

 はじめて会ったころの私の直感はあたっていて、文緒さんはやさしすぎる。やさしすぎるところを隠そうともしていたけれど、でもだれもが、文緒さんがやさしすぎることを知っている。頼りすぎないように、甘えないように、自分をいさめていたことで、私と文緒さんのあいだにはいつも少しばかり距離があったけれど、その距離は、はじめて会った作家への敬意でもあった。タメ口はきけなかったし、自分から誘うことも一度もできなかった。

 選考会以外で、小説の話を文緒さんとしたことがない。作家になりたてのとき――私自身はまだなってもいないとき――に知り合ったから、おたがいのものも含め小説について話すのは、ちょっと恥ずかしいような気持ちもあったのではないか。

 二十代のとき、自分がこの先も小説を書いていけるかどうか、書いていくとしたら何を書いていくのか、まったくわかっていなかった。年齢を重ねるのと同時に、世のなかもどんどん変わっていき、私も文緒さんも書くものやライフスタイルを変え、その都度、あらたな自分と出会い、ものの見方や考えかたや価値観を変えていった。文緒さんはそういう流れのなかで、変化していく世界と、そこで暮らすふつうの人々を見据え、小説というかたちにし続けてきた。ふつうであることはすでにいびつであり、でもそのいびつさはなんといとおしいものかということを、文緒さんの書く小説を読むと思う。

 ずっといっしょに年をとっていけると思っていた。少しの距離を置いたまま年をとって、年をとっていくその姿のなかに、はじめて会った作家に「なりたて」の文緒さんを見つけて、同時に年をとった私のなかにも「なる前」の自分を感じながら、ずっと笑って話していけると思っていた。それは私のひとつの夢だったことに、今気づいている。文緒さんの小説をこの先もずっと読むことはできる。そうすることで文緒さんを失わないことはできる。でも、私の夢はかなわない。それがかなしい。

新潮社 小説新潮
2021年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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