『化学の授業をはじめます。』
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『化学の授業をはじめます。』ボニー・ガルマス著
[レビュアー] 池澤春菜(声優・作家・書評家)
「料理は科学」男社会挑む
エリザベスは素晴らしく才能のある科学者。聡(そう)明(めい)な頭脳、人目を引く容姿、誇り高く凜(りん)とした姿勢。真(ま)っ直(す)ぐに世界に対して向けられる、誠実で公明な視線。
ただ、エリザベスには大きな欠点があった。
女性であるということ。
一九六〇年代のアメリカでは、女性には科学は理解出来ない、女性の科学者など存在しない、と思われていた。全ての手柄は男性科学者のもの、論文は名前を書き換えられ、研究費の申請は受理されず、レイプされたとしても悪いのは被害者。ようやく理解のある相手と巡り会い、生涯の絆を結ぼうとしたところで、エリザベスは無職で未婚のシングルマザーとなってしまう。困窮したエリザベスが出会ったのは、なんとテレビのお料理番組「午後六時に夕食を」での先生役。体にぴったりした服を着て、家庭的なセットの中、セクシーに親しみやすく微(ほほ)笑(え)む、そんな役割に真っ向から立ち向かうエリザベスは「料理は立派な科学(サイエンス)だもの。まさに化学(ケミストリー)よ」と言ってのけ、それがけっして取るに足らない、当たり前の、感謝されない家事ではないことを、番組を通じて発していく。
エリザベスを取り巻く現実は厳しく鬱(うつ)々(うつ)としているけれど、ユーモア溢(あふ)れる文体、どんな事態にも真っ直ぐ敢然と立ち向かうエリザベス、彼女を支える周囲の人々のおかげで、とても爽快感がある。何より特筆すべきは、エリザベスの愛犬シックス=サーティ! ちょっと奇妙な名前を持つこの犬の賢いこと、可(か)愛(わい)いこと。犬小説としても素晴らしいのだ。
エンタテインメントにしてエンパワメント、でもけしてフィクションではない。女性であると言うだけでエリザベスのような扱いを受けた人がたくさんいた。そして今もいるかもしれない。かつて戦ってくれた、そして今も戦っている全ての人、性別を問わず立ち向かう人に読んで欲しい傑作。鈴木美朋訳。(文芸春秋、2750円)