ネーミングセンスが狂ってる…刑務所の名称に拒否反応を示した建築家の心理 日本人の欺瞞をユーモラスに描いた芥川賞受賞作『東京都同情塔』試し読み

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第170回芥川賞を受賞し、一部に生成AIを使用したことでも話題になった本書の舞台は、ザハ・ハディドの国立競技場が完成し、犯罪者に寛容な新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることになったもう一つの日本。犯罪者に寛容になれない建築家・牧名沙羅が、タワーの「名称」に苦悩する冒頭部を紹介する。

 ***

 バベルの塔の再現。シンパシータワートーキョーの建設は、やがて我々の言葉を乱し、世界をばらばらにする。ただしこの混乱は、建築技術の進歩によって傲慢になった人間が天に近付こうとして、神の怒りに触れたせいじゃない。各々の勝手な感性で言葉を濫用し、捏造し、拡大し、排除した、その当然の帰結として、互いの言っていることがわからなくなる。喋った先から言葉はすべて、他人には理解不能な独り言になる。独り言が世界を席巻する。大独り言時代の到来。
 体がぼんやり反射する、浴室のよく磨かれた黒いタイルの壁面に、私はまたひとつの未来を見ている。建築家には未来が見える。建築家が見ようとしなくても、未来はいつも自分から、建築家の前に姿を現す。
 シンパシータワートーキョー?
 名前のことを考えるのはもちろん建築家の仕事の範疇を超えていたし、疑問を持ったところで状況を変える権限もないのに、水圧の強いシャワーを顔に受けた瞬間、
 シンパシータワートーキョー
 の音、文字の並び、意味、タワーの周囲を取り囲む権力構造、何もかもが気になり始めて、もう元には戻れなくなった。
 それまで私の内部では単に「タワー」と呼んでいて、何も不足はなかったのだ。コンペの話が舞い込んできてからも、事務所内では「例のタワー」で話は済んでいた。今後、「タワー」が何と呼ばれようと、エキセントリックな名称候補が出揃い世間を騒がせようと、知ったことではない。それはもう私の中では「タワー」で固定され、「タワー」以上にも以下にもならない塔であるはずだった。「タワー」以外の意味を持たず、タワープロジェクトの中身にはコミットしないことを、私は既に審議し、選択を終えた段階にあった。デザインコンペの参加条件に、建築家がタワープロジェクトに同意しているか否かは含まれていない。にもかかわらず、「タワー」が突如「シンパシータワートーキョー」に取って代わられると、それは急に質感を獲得してべたべたと粘つき脳みその皺にへばりついた。水をかけてもかけても剥がれない。経験上、とても悪い兆候だ。
 狂ってる。何が? 頭が狂ってる。いや、「頭」はあまりに範囲が広いか? 違う、むしろ狭いのだ。それに、「頭が狂ってる」と言うと、精神障害者に対する差別表現とも受け取られかねない。ここは「ネーミングセンス」くらいでいいだろう。じゃあ誰の? 誰のネーミングセンスが狂ってる? 日本人の。STOP、主語のサイズに要注意。OK、それなら「有識者」で――と、鍵のかかった私の頭の中に誰も入れるわけがないのに、オートモードでワードチョイスの検閲機能が忙しなく働く。知らない間に成長を遂げている検閲者の存在に私は疲れを覚え、エネルギーチャージのために急激に数式が欲しくなる。数式にはそれでしかあり得ない正解がある。数字の立場をあれこれと慮って正解を書き換えていく必要がない。数字という、世界共通言語の信頼性と平等性が恋しい。しかし浴室のどこにも数式が見当たらない。あるのは「シンパシータワートーキョー」、「バベルの塔」、「有識者」。
 それで、「有識者」が寄って集まり、散々に知恵を絞って、議論を尽くしたであろうその結果、なぜリゾートホテルみたいな語感の言葉に辿り着いてしまった? しまった、とナチュラルに出てくるからには、やはり私はその事実をネガティヴにとらえているわけだ。「ネガティヴ」? そんな生易しい言葉じゃ全然足りない。直感はNOを叫びまくっている。この世にそれは存在するべきではないと感じている。「シンパシータワートーキョー」が体の中に入ってくることを全身が拒んでいる。そうだ、さっきから何かに似ていると思ったらこれは、レイプされている気分だ。
 私は長く取り出す必要を感じていなかった記憶を、シャワーが出すホワイトノイズの隙間に並べてみる。私はレイプをされた。事実、私よりも力の強い男が、高校生だった私の体を押し倒し、犯した。といっても、今の自分とは別の種類の好奇心と肌質と欲望を持ったその女の子のことを、ここにいる中年の建築家の女と結びつけるのはあまりにも現実を歪め過ぎている気もする。私は今では中途半端な丈の白のソックスにローファーなんて死んでも履かない。彼女のことはひとまず別の名前で呼ぶことにしよう。単純だけれど、数学が好きだったから「数学少女」。数学少女はレイプをされて「レイプをされた」と主張したが、彼女をレイプした男と、話を聞いてくれた人々が、それを「レイプではなかった」と判断した。「レイプではなかった」理由として彼らが挙げたのは、レイプをした男が数学少女の恋人であり、数学少女が好きな男で、数学少女の方から男を家に誘ったから、というものだった。数学少女は、好きな男にされたその行為を、誰もが認めるレイプとするだけの言葉を持っていなかった。だから彼女はレイプをされたことがないことになっている。

以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて

九段理江
1990年、埼玉生れ。2021年、「悪い音楽」で第126回文學界新人賞を受賞しデビュー。同年発表の「Schoolgirl」が第166回芥川龍之介賞、第35回三島由紀夫賞候補に。2023年3月、同作で第73回芸術選奨新人賞を受賞。11月、「しをかくうま」で第45回野間文芸新人賞を受賞。12月、「東京都同情塔」が第170回芥川龍之介賞を受賞。

新潮社
2024年4月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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