「二・二六事件」は終わっていないという静かな叫び。

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雪つもりし朝  二・二六の人々

『雪つもりし朝 二・二六の人々』

著者
植松 三十里 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041052129
発売日
2017/02/04
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

〈今につながる歴史〉としての二・二六事件

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

 歴史小説は、特定の人物や事件を追うものが多い。それは言い換えれば、その主人公が死んだり事件が決着したりした時点で、物語が終わるということだ。

 しかし、当然のことだが歴史は続いている。幕末の動乱が関ヶ原に端を発していたように、ひとつの歴史事件にはそれにつながる過去が必ずあるし、逆に、その事件のせいでその後の運命が定まりもするのである。単独で存在する歴史など、ありえない。

『雪つもりし朝』のモチーフは二・二六事件である。全五章からなる連作だ。著者は視点人物を変えながら、〈歴史の流れの中にある二・二六事件〉を見事に紡ぎあげた。

 第一章「身代わり」で描かれるのは岡田首相襲撃だ。義弟である松尾大佐が間違えられて殺された一件を、正面から綴っている。とてもサスペンスフルな一編だが、ここまでは「よくある話」と言っていい。だが第二章の冒頭で身を乗り出した。

 第二章「とどめ」は昭和二十年、岡田元首相が鈴木貫太郎元侍従長のもとを訪れ、総理になって戦争を終わらせて欲しいと依頼する場面から始まる。物語はここから昭和十二年の鈴木侍従長襲撃時に飛ぶのだが、つまり本編は、二・二六事件の生き残りたちが終戦に向け奔走する様を描いているのだ。

 第三章「夜汽車」は昭和天皇の弟、秩父宮殿下の視点だ。陸軍に身を置いていた秩父宮は陸軍将校蹶起の報を聞いて赴任地の弘前から東京へ向かった。その途中で、鈴木侍従長を襲った軍の中に歩兵第三連隊の安藤輝三大尉がいたと聞いて驚く。以前、鈴木を殺してはならないと安藤を説得し、彼も納得していたはずだったのに、なぜ?

 この「夜汽車」は本書の白眉だ。安藤が秩父宮との約束を破った理由についての、鈴木の妻の〈推測〉には唸った。こういう解釈があったかと胸が震えた。秩父宮勢津子妃の言葉と併せて、実に感動的な一編である。

 第四章「富士山」は、湯河原で牧野伸顕前内大臣の襲撃に巻き込まれた孫娘・和子の物語。和子の父は吉田茂で、九州の麻生家に嫁ぎ、生まれた息子の名が太郎と知ったとき、読者はそれまで読んでいた物語が一気に現代につながる感覚を覚えるだろう。

 そして第五章「逆襲」の主人公は、戦後のヒット映画「ゴジラ」を監督した本多猪四郎。彼は二・二六事件当時、歩兵第一連隊に属していた。蹶起には参加しなかったものの、連帯責任のような形で満州に送られ、その後も繰り返し徴兵される。これもまた、「シン・ゴジラ」がヒットした今読むと、二・二六から戦争、終戦に至る流れが現代に直接つながる歴史だと実感できるに違いない。

 すべての章から、二・二六は終わっていないという静かな叫びが聞こえる。終戦に反対する陸軍に二・二六の影を見る岡田。幕末の無血開城に逆らって官軍に抵抗した故郷を連想する鈴木。安藤の説得に西南戦争の例を引いた秩父宮。皇族のあり方を、孝明天皇毒殺疑惑になぞらえて説く側近。部下が逆賊になったと苦悩する秩父宮を励ましたのは、逆賊・会津から皇室に嫁いだ勢津子妃だ。麻生和子は軍備を持たない国の外交を考え、本多猪四郎は巨大で理不尽な力のメタファとしてゴジラを生み出した。〈過去〉と〈今〉が、するするとつながっていく。

 鈴木貫太郎は言う。「歴史は繰り返されるのだ」と。だが、だからこそ繰り返される前に立ち止まらねばならない。繰り返されるとわかっているなら、尚更だ。

 作家としての使命感が、植松三十里にこれを書かせたのだろう。ほとばしる強い意志が読者へまっすぐ届く一冊である。

 なお、本書で忘れてはならないのが、昭和天皇と秩父宮の養育係だった鈴木侍従長の妻・たか、秩父宮勢津子妃、麻生和子といった女性たちである。軍という〈男の論理〉に翻弄されるだけではない、自らの矜持を持って事に当たった女性たちの描写も必読だ。

KADOKAWA 本の旅人
2017年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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