『短歌という爆弾』
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素人でも「驚異」の短歌を創る法
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
別段、短歌の熱心な読者ではないのだが、新聞の投稿欄を読むのはけっこう好きだ。まったりした歌の数々に触れるのが楽しい。このあいだはこんな一首が。
「学生の隣りにおじさんおばさんが座る電車のような歌壇欄」(東京都・笠井真理子)
まさにそのとおりで、いろいろな人たちが思いのまま歌っている雰囲気が好もしいのだ。おじさん、おばさんばかりではない。
「はじめてのしゅくだいは『だっこ』かえったらいちばんにママにとびつきました」(奈良市・山ぞえ葵)
ひょっとして小学一年生? 短歌人口の広がり、恐るべし。俳句に比べて、短歌は素人の作でも面白さがストレートに伝わってくる。作者の暮らしの情景がありありと感じ取れる。
そんな詠み方は結局のところ「共感」に留まるものでしかない。その先に「驚異」を求めずしてどうする。本書はそう訴えかける。シンパシーを誘うだけではない、ワンダーの感覚こそが短歌の真髄。作る側がそこに到達するにはどうすればいいのか。著者の教えはごく実践的だ。
その1、「オートマティックな表現」を避ける。「東へ西へ」という具合にすぐ出てくる表現は断固ねじまげる。「南へ西へ」とするだけでワンダー成分はぐっと増量される。
その2、コップ型でなくクビレ型の歌をめざす。「砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね」(俵万智)。傍点部がくびれだ。「桜色のちいさな貝」とかだったら全然面白くない。その3、不吉で暗い要素を取り込む。世界の「もう半分」まで見据えた歌を。
こうした考えが実例の改作をとおしてびしびしと示されていく。プロとアマの差、芸術と日常の違いを痛感させられる。そしてまた、のんびりした作品で和ませてくれる新聞歌壇のありようが改めて思われる。前記三項目をきっちり遵守した「爆弾」だらけの投稿欄になったら凄いだろう。想像するだにちょっと怖い。