大澤真幸は『名誉と恍惚』で展開される日本語論の中に日本人の弱さと強さを見た

レビュー

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名誉と恍惚

『名誉と恍惚』

著者
松浦 寿輝 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104717033
発売日
2017/03/03
価格
5,400円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

大澤真幸は『名誉と恍惚』で展開される日本語論の中に日本人の弱さと強さを見た

[レビュアー] 大澤真幸(社会学者)

大澤真幸
大澤真幸

 物語は、1937年9月10日の上海で始まる。主人公の芹沢一郎は、共同租界の工部局警察に所属している。盧溝橋で起きた軍事衝突をきっかけとして日中戦争が勃発してからおよそ二ヶ月が経過していた。
 この日、芹沢は、陸軍参謀本部の嘉山少佐なる人物から、上海の闇世界に君臨する青幇(チンパン)の頭目、蕭炎彬(ショーイーピン)に紹介してくれ、と依頼を受ける。と言われても、芹沢は、蕭炎彬と親密なわけではなく、一度、遠くから見たことがあるだけだ。がよく聞くと、芹沢が親しくしている、骨董品屋の老店主馮篤生(フォンドスァン)が、蕭炎彬の第三夫人美雨(メイユ)の伯父にあたるらしい。馮篤生を通じて嘉山と蕭炎彬を繋いだことがきっかけとなって、芹沢は複雑な事件に巻き込まれていく。……
 ネタバレを含むような筋の紹介は控えておこう。一言だけ忠告。この本を読むのは、仕事があまりないときがよい。何の誇張もなく、読み始めたら、やめられなくなる。760頁の大著だが、ドキドキ・ワクワクと、その長さを感じることなく、読み続けることになるだろう。
 おもしろいだけではない。たとえば歴史の勉強にもなる。デカダンな雰囲気がある、当時の上海の風俗が、どんな音楽が流れ、どんな映画が見られていたのか等が、まるで著者の松浦寿輝が実際にその頃の上海に住んでいたかのように活写される。
 私が特に興味深く読んだのは、当時の日本人が、日中の戦争をどう感じ、体験したか、ということである。アメリカとの戦争については、多くが語られてきた。満州事変についても、戦略的な意図はわからなくはない。しかし、なぜ日本は中国と戦争したのか。当時の日本人は、それをどう理解していたのか。学問的な想像力と緻密性においても当代随一の著者が時代考証の上で書いている本書は、こうした疑問にも答えてくれる。
 いずれにせよ、著者が、本書に込めたと思われる最大の主題は「日本人である」とはどういうことか、という問いではないか。展開の中で、芹沢には朝鮮人の血が混じっていたことが判明する。ここに叙述される約二年間の上海での潜伏生活の大半を、芹沢は、中国人沈昊(スンオー)として過ごす。物語の本体は、芹沢が完全に沈昊となりきって、香港に移住するところで閉じられる。
 最後に短いエピローグが付いている。香港で事業を成功させ、いまや引退しようとしている芹沢は、半世紀ぶりに上海に戻ってきた。日本人観光客に、「日本の方(かた)なんですね」と問われて、芹沢は、“I’m not Japanese.”と答える。その上で「おれにはふるさとなんか、どこにもないのだ」と思いつつ、なお次のように断言して本書は閉じられる。「おれはそういう日本人だ」。
 中で展開される日本語論が秀抜である。超自然的な力を感じさせる漢字に比べて、仮名ははかなくもろい。女体のようにまろやかで優しい。この仮名が感じさせる弱さ、押されれば素直にしりぞき、退(ど)けと言われる前にあっさりと譲る、そんな弱さ、それが一種の強さに転化するような民族が日本人ではないか。このように論じられる。

太田出版 ケトル
Vol.36 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

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