芸術家小説の現在 三浦雅士

レビュー

2
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

名誉と恍惚

『名誉と恍惚』

著者
松浦 寿輝 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104717033
発売日
2017/03/03
価格
5,400円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

芸術家小説の現在 三浦雅士

[レビュアー] 三浦雅士

1

 半世紀近い昔の話になるが、吉田健一に、どうも小説家というのは不思議だ、単刀直入、感じ考えたことを語ればいいものを、どうしてあんなに余計な粉飾をして物語なるものを拵えあげるのか、まったく不可解だと話してしまったことがある。

 会話の舞台はもちろん、神保町のランチョン、毎週木曜の昼、吉田さんが編集者との付き合いに使っておられたビヤホールである。こちらはリトル・マガジンなるものの編集者で、まわりにはやはり数人の、それも大人の編集者がいたのではないかと思うが、そして一瞬、みな唖然として、人騒がせな、この若造が何を言うかという雰囲気になったのだが、彼らの案に相違して、吉田さん自身が、いや、こっちもまったくそう思うよ、と、応じたのである。あんなに大変な労力を費やす連中の気が知れない、と。

 考えてみれば、すでに小説『金沢』を発表しておられた頃だったのではないかと思う。まわりの編集者が慌てるのも無理はないが、しかし、吉田さん自身、『金沢』は批評のひとつの変容であると考えておられたのではないか。おそらく、そうに違いないと感じられたからこそ、こちらもそんな人騒がせな発言をしてしまったのだと思う。批評の語り方にもいろいろあって、それがもっとも有効に機能する背景を拵えあげたうえで自身の見解を述べたほうが、読むものをいっそう力強く説得することができるという考え方に立つ批評もある。『金沢』がそういう小説のかたちをした批評であることはいうまでもない。

『名誉と恍惚』(新潮社刊)を読了してまずこの遠い昔の記憶が蘇った。物語を堪能したからである。一昼夜かけて、ということはつまり、あまりの面白さに中断できずに――人によってはその面白さはグレアム・グリーンのスパイ小説に通じるというかもしれない――読了し、あらためて小説家は凄いなあと思ったのだった。歴史上のある時期、ある場所を取り上げて、それらと齟齬をきたさないように注意深く物語世界を構築してゆく、これは大変なことである。調べなければならないことは膨大で、辻褄を合わせるために施さなければならない工夫も半端なものではないだろう。にもかかわらず、小説家はそれを成し遂げるのである。そんな面倒くさいこと、普通の人間にできっこない、と思う。

『名誉と恍惚』の舞台は一九三〇年代、上海。横光利一とか、武田泰淳とかのことがすぐに思い浮かぶが、しかし彼らの小説はある程度は実体験に基づいている。横光も武田も現に体験した同時代の上海を描いているのであって、遠い昔の上海を描いているのではない。松浦寿輝の場合は違う。一九五四年生まれである。体験などできるはずがない。けれど、さまざまなかたちで、つまり小説や映画や実録や写真などを通して知っている上海の一九三〇年代が、まぎれもなく浮かびあがってくるのである。しかもそれが、たとえば世紀を跨いでから制作された一九三〇年代、四〇年代の上海を背景にした映画など――管見に入っただけでも何本かある――よりもはるかに上海らしいのだ。

 こういう芸当ができる小説家に私は深い敬意を持たざるを得ないのだが、しかし、なぜ松浦寿輝はそんな大変なことをあえてしたのだろうか。こちらは十分に楽しんでいるのだから、ひたすら堪能すればいいだけの話なのだが、それとは別にそういう疑問が湧いてくる。そしてこの疑問に答えることが批評家の名誉の問題になってくるのである。『名誉と恍惚』を読めば分かるが、ここでの名誉とは他人に認められたいというようなことではない。腑に落ちないままにしておくことが自分自身に対して不名誉なのである。

新潮社 新潮
2017年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • このエントリーをはてなブックマークに追加