『みすゞと雅輔』
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【聞きたい。】松本侑子さん 『みすゞと雅輔』
■取材と精読で“聖女伝説”覆す
「切れば血の出るような生身の人間として描いてみたい。そう思って取材を始めました」
昭和5年、26歳で自死した詩人・金子みすゞは“聖女”のように語られてきた。みすゞの詩を愛しながらも通説に違和感を覚えた松本さんは、4年前から親族や関係者を訪ね始めた。その翌年、みすゞの実弟でよき理解者であった上山雅輔(がすけ)の70年分の日記と回想録が発見された。雅輔は古川ロッパ一座の脚本家で、戦後は劇団若草を創設した。
日記と回想録、さらに雅輔がみすゞに宛てた71通の手紙を徹底的に読み込み、同時代の詩人や批評家がどう評価していたかを知るため、みすゞが投稿した雑誌「童話」の全号を精読した。労をいとわぬ取材と資料の読み込みで浮かび上がったのは、大正デモクラシーという思潮の中で、上昇志向を持ち情熱的に詩作と投稿を続けた姿だった。
「彼女は、控えめで、望まぬ結婚をさせられた、といった通説に収まるような人間ではありません。雑誌には7年間で90作が掲載されていますから、100回以上は投稿していたはず。傑作もあれば駄作もあり、選者の西条八十は『着想は素晴らしいが、詩歌文学としての言葉遣いがなっていない』と評しています」
みすゞは自死の前日、写真館でポートレートを撮ってもらう。これまでは娘に残すため、という母性的な解釈がなされてきたが、松本さんは「自分の詩集が刊行されるときに使ってほしいと考えたに違いない」という。みすゞは生前、自分の詩集を出すことができなかった。自殺については、結婚前から「私の恋人は、黒い長い衣を着て、大きな鎌を持った人」と雅輔に語っていた事実を発掘、大正デモクラシーから軍国主義へと時代が暗転するなかで起こった芥川龍之介の自殺が決定的な影響を与えたと松本さんはみる。
今後のみすゞ研究に欠かせぬ労作の誕生である。(新潮社・2000円+税)
桑原聡
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【プロフィル】松本侑子
まつもと・ゆうこ 島根県出身。筑波大卒。『巨食症の明けない夜明け』ですばる文学賞、『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』で新田次郎文学賞。