みすゞ伝説の修正を迫る 夭折詩人とその弟の関係を描いた小説

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みすゞと雅輔

『みすゞと雅輔』

著者
松本 侑子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104166022
発売日
2017/03/03
価格
2,200円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

みすゞ伝説の修正を迫る 夭折詩人とその弟の関係を描いた小説

[レビュアー] 西原大輔(詩人・広島大学大学院教授・比較文学専攻)

 松本侑子氏の『みすゞと雅輔』は、金子みすゞの弟上山雅輔を主人公にして、二人の関係を描いた小説である。大正から昭和にかけての時代背景も、巧みに盛り込まれている。文学、音楽、演劇、映画など、この時期の文化的雰囲気がよくわかる。文章が非常に読みやすく、会話には方言も生かされている。
 「事実を基に創作したフィクション」とされているが、史実から大きく逸脱することはない。作者は、二〇一四年に発見された上山正祐(筆名・上山雅輔)の日記を丁寧に読み込んだ上で執筆したという。特に注目したいのは、金子みすゞの自殺をめぐる解釈の見事さである。
 金子みすゞの人気は、一九八〇年代に火がついた。火をつけたのは矢崎節夫氏である。しかし、矢崎氏のみすゞ論には、昭和末年から平成にかけて流行した個性尊重の価値観が、過剰に投影されている。「あなたはあなたでいいの」「いのちに対する深いまなざし」を語ったとする詩の読み方にせよ、自殺したのは娘を守るためとする説明にせよ、かなり強引な牽強付会が見られる。事実から遊離した、一種の伝説化が行われたのである。
 多くのファンは、美しいみすゞ伝説に気楽に便乗し、自分の思い入れをこの夭折詩人に託し続けてきた。あらゆる分野の著名人が、「みすゞさん」への主観的な思いを語っている。しかし、現代人の耳に甘く作られた金子みすゞ伝説は、今後急速に修正されてゆくだろう。小説『みすゞと雅輔』も、この大きな流れの中に位置づけることができる。
 本の帯には、「詩人・金子みすゞはなぜ命を絶ったのか?」とあり、自死が小説の山場であることが示唆されている。また、作品の結末の一つ、みすゞのカルモチン自殺が、冒頭部の「序章 電報」に据えられている。
 娘を守るための自死という矢崎節夫説に対しては、既に批判があった。本当に幼い娘のことを思う母親なら、何としても生きようとするはずである。「いのちに対する深いまなざし」を詩で語ったとする解釈と、自らの命を絶った行為との矛盾を、矢崎氏はいったいどう説明するつもりだったのだろうか。
 これに対し松本侑子氏は、金子みすゞ自殺の原因を、複合的な環境に求めてゆく。敬愛する西條八十が雑誌『愛誦』を辞め、詩を発表する場を失った。創作意欲も減退した。懸隔が生じた夫とは離婚になった。淋病で体調が悪く、健康不安を抱えたまま。育児の重圧。生活苦。そして、唯一の生きる望みだった娘を、元夫に取り上げられることになった。これが最後の一撃となり、夢も希望も尽き果てたみすゞは、幼い子供を残して自ら死を選んだ。作者はこのように解釈している。
 実に真っ当な説明だと思う。みすゞの自殺を適切に説明した本が、ようやく現れたのである。矢崎節夫氏が「みすゞのまなざしとは遠い人」として悪く扱った夫についても、先入観なく等身大に描いている。私は、松本侑子氏の解釈が一般化することを心から願ってやまない。
 小説の後半では、東京で華やかな道を歩む弟上山雅輔と、地方で夢破れて死んでゆく姉金子みすゞが、見事な対比を見せている。雅輔が身を置いているのは、輝かしく刺激的な、映画や演劇や出版の世界である。古川ロッパ、菊池寛、才能ある俳優や女優たち。姉みすゞの苦境と好対照をなしている。
 方言が生かされていることも、『みすゞと雅輔』の特徴だろう。私は広島在住だが、隣の山口県のお国言葉の会話は、極めて自然なものに感じられた。

週刊読書人
2017年4月14日号(第3185号) 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読書人

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