自死した童謡詩人と実弟の懊悩 野上暁/『みすゞと雅輔』

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みすゞと雅輔

『みすゞと雅輔』

著者
松本 侑子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104166022
発売日
2017/03/03
価格
2,160円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

[松本侑子『みすゞと雅輔』刊行記念特集]自死した童謡詩人と実弟の懊悩 野上暁/『みすゞと雅輔』松本侑子

[レビュアー] 野上暁(評論家)

 生前、西條八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と絶賛されながら、没後半世紀後に再評価されるまで埋もれていた童謡詩人・金子みすゞ(本名テル)。新たに発見された弟正祐(後の雅輔)の未公開資料などを駆使して、みすゞを恋人のように慕い、様々に影響を与えあった弟との曲折した交流が、童謡文学昂揚期から戦争に向かう時代を背景に克明に描き出され、既存のみすゞ像にも貴重な一石を投ずる衝撃的な作品である。義母の愛情を一身に受けて育った甘えん坊の正祐のテルへの思慕と、その後の女性耽溺なども含め、最後まで興味深く読ませるのだ。

 下関の本屋・上山文英堂の一人息子正祐の、母フジが病気療養で里帰りした後の寂しさを紛らわせてくれたのは、漱石門下の鈴木三重吉によって創刊されたばかりの子ども雑誌「赤い鳥」だった。正祐は、都会の新しい文化潮流に触れた思いがして胸をときめかせ、とりわけ北原白秋の童謡に心をうばわれた。

 母のフジは実家から戻ることなく世を去り、父の松蔵はフジの姉の金子ミチを後添えに迎える。松蔵は、三人の子どもを抱えながら夫が急逝したミチから、一歳になったばかりの正祐を養子として引き取り、跡取りにするつもりで育てていた。正祐はそのことを知らされていないから、父が後添えを迎えることに抵抗する。

 父の再婚により、それまで二歳年上で気心が通じた従姉として慕っていたテルと会う機会も多くなり、彼女も「赤い鳥」の愛読者だと知って、テルとの語り合いに夢中になるのだ。テルは西條八十の童謡が好きだという。

「赤い鳥」の成功を追って、「金の船」(後の「金の星」)、「童話」などの童話童謡雑誌が次々と創刊される。「赤い鳥」の白秋に対抗するかのように、「金の船」は野口雨情、「童話」は西條八十が投稿作品の選者を務め、そこから新人童謡詩人も輩出するなど、大正デモクラシー下での子ども文化の活況ぶりが鮮やかに浮かび上がってくる。随所に挿入される童謡作品も効果的だ。

 テルが、家の事情もあって下関の上山文英堂の店員として働くことになると、正祐とテルとの親密さがさらに深まる。正祐のテルに向ける眼差しに、まさかの危うさを感じた松蔵は、テルを使用人の宮田と結婚させようとする。遊び人の宮田とテルが結婚することに正祐は反対するが、テルは満更でもない。懊悩する正祐は、テルから二人が姉弟だということを知らされ、さらに衝撃を受ける。進路問題も重なって傷心した正祐は花街に通い詰めるが、東京に出て古川ロッパの下で映画雑誌の編集者になり、後に雅輔の筆名で華々しく活躍することになるのだ。

 テルは、八十が選者をしている「婦人倶楽部」や「童話」などに童謡を投稿する。店に「婦人倶楽部」が入荷したとき、投稿欄を探す。作品は載っていなかったが、選外佳作に「下関 金子みすゞ」と小さくあった。これがテルの「金子みすゞ」デビューとなる。大正十二年の夏、テルは詩作に明け暮れ、八月中旬発行の「婦人倶楽部」「童話」「金の星」「婦人画報」のそれぞれに、童謡と詩が五作も掲載される。それを知った正祐は、誇らしくもあり、また妬ましくもあった。

 テルは懐妊し女児を出産するが、夫から詩の投稿を禁じられ、しかも淋病をうつされて体調を崩し離婚を決意する。しかし、かねてより「死神」が恋人だと正祐に語っていたテルは、我が子の親権をめぐって悩んだ挙句、母親に養育を願う遺書を残して自ら命を絶ったのだ。それを知った正祐は、姉の悩みに真正面から寄り添うことができなかった不明を悔やみ、それを癒すためなのだろうか、花街に入りびたり芸者と交情を続ける。大正期流行の純潔主義に従順だった正祐は、二十三歳まで童貞を守ったというが、その後の女性耽溺と放蕩には義母と実母の二人の母や姉への様々なコンプレックスが微妙に投影しているようで痛ましくも読める。

 テルは亡くなる前年の昭和四年までに五百十二編の童謡を作り、手書きの詩集にして八十と正祐に託したというが、死後も単行本になることはなかった。正祐は上山雅輔として、戦後、劇団若草を立ち上げ、石橋蓮司や桃井かおりなど多くの俳優を育て上げながら、みすゞの手書き詩集を大切に守り、彼女の詩業を現代に蘇らせて八十四歳の生涯を全うした。従姉と慕っていたテルが、実姉だったと知らされて困惑する弟の目を通して、薄幸の童謡詩人のこれまで知られていなかった内面にまで鋭く迫った秀作である。

新潮社 波
2017年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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