あの武田信玄の戦いを“小者”の視点で描いた逸品

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あの武田信玄の戦いを“小者”の視点で描いた逸品

[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)

 私は平成の御世になって、純文学と大衆文学などというような旧弊なもの云いで、作品を語ろうとは思わない。

 だが、長谷川卓の『風刃の舞 北町奉行所捕物控』(ハルキ文庫)を読んだとき、この文体は紛れもなく命懸けで文学修業をした人のそれだと直感した。

 群像新人文学賞受賞から芥川賞候補を経て、角川春樹小説賞受賞――そのジャンルは変わっても、文体の精度はまったく変わらなかった。

 そして、作者の作品は、文庫書き下ろしという形で定着してしまったが、長谷川卓作品より下らない単行本がどれだけ存在することか。

 さて、今回、刊行された『もののふ戦記 小者・半助の戦い』は、正に作者の新境地といえよう。

 これまで、武田家の興亡を信玄以外の視点から描いた作品では、軍師・山本勘助を主人公にした井上靖風林火山』(新潮文庫)が最も有名だろう。

 が、今回の作品は、信玄の壮絶な負け戦さ〈砥石(といし)崩れ〉を足軽以下の小者の視点から描いているというのだからこれは期待せずにはいられない。

〈砥石崩れ〉とは、信玄が村上義清の戸石城に侵攻するも、攻め切れず退却したというもの。

 作品は、小者たちの戦さ仕度の様子――武器や兵糧の準備――を、かつてないほど詳細に描いていく。

 主人公である小者・半助は、六十二歳で、四十五年間、雨宮家に仕えている。

 物語の前半は、小者同士の和気藹々とした雰囲気が軽妙な文章で綴られていく。

 しかしながら、後半、傷を負った主の佐兵衛を背負いつつ、半助が帰還を果たそうという段になると、文体も緊迫の度合を増してくる。

 一瞬にして敵味方の区別がつかなくなる乱戦。腐乱した死体の山。“肝取り”という嘔吐を催すような行為等々。

 その中で、あくまでも主を背負い続けて、敵将から「真(まこと)の武士を見せてもろうた」といわれた半助の運命は――。

 長谷川卓作品にまた一つ傑作が誕生した。

新潮社 週刊新潮
2017年10月12日神無月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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