《スラヴ叙事詩》を巡る旅
[レビュアー] 小野尚子(兵庫県立美術館学芸員)
私が初めてミュシャの《スラヴ叙事詩》と対面したのは、2005年のことだった。当時大学院生だった私は、この知られざる名作を直に見たいと思い、初めてチェコを訪れた。
この時《スラヴ叙事詩》はまだ、モラヴィア南部の小さな町モラフスキー・クルムロフにあったが、日本で情報を集めようにも限りがあり、まだチェコ語を話すこともできない一学生にはなかなか難易度の高い旅行だった。日本からチェコへは直行便がないため、オーストリアで小型のプロペラ機に乗り換えてプラハに入る。それから電車で3時間以上をかけて最寄駅まで向かい、さらにバスに揺られること約10分。ようやく作品が展示されていた美術館が見えた時には、心底ほっとしたものだ。これほど「奥地」にあるものだから客足もまばらで、作品をほぼ独り占めできるような環境だった。この12年後に「極東」の日本で全20点が大々的にお披露目され、約66万人の人々の目に触れるなど、どうして想像できただろう。
これが、《スラヴ叙事詩》を巡る私の旅の始まりだった。作品のことを知るためにはミュシャの足跡を追わなければならないし、作品に描かれた土地のことも調べなければならない。その後プラハのカレル大学に留学してからも、プラハやパリ、ウィーンの図書館に足を運び、ミュシャが生きた時代の新聞や雑誌に片っぱしから当たった。その多くはマイクロフィルムに収められていたため、少しずつ出してきてもらっては目を通す。いつの間にか、画面いっぱいに並ぶ言葉の中から“Mucha”を見つけることが得意になってしまった。また、ドイツやオランダ、ポーランド、スロバキア、ハンガリー、セルビアなど、《スラヴ叙事詩》の舞台になった周辺諸国も訪れた。中でもチェコからバスで27時間かけて訪れたブルガリアは思い出深い。もの静かで慎み深いチェコ人とは異なり、人々が陽気で温かく、距離感がとても近いのだ。アルコール度数が40%以上もある食前酒ラキヤを飲み、ほとんどの食べ物にヨーグルトをかけ、それを大勢で楽しむ。常に笑顔と話声が絶えない彼らだが、一方でよく教会に入っては厳かに祈りを捧げるという敬虔な正教会の信者としての顔も見せていた。ソフィア大学の校舎の中に、本国で発掘されたマンモスの骨格標本が鎮座しているのを見た時には、どんなものでも取り込んでいく懐の深さを感じた。約100年前に南スラヴを訪れたミュシャも、こうした感銘を受けたのだろうか。
本書で私は、《スラヴ叙事詩》全点の解説を担当したが、こうした現地調査で得た情報に加え、近年の研究で明らかになった知見や、昨年行われたミュシャ展で作品に再会した際に気付いた点も、積極的に盛り込んだ。まだまだ訪れるべき場所、集めるべき資料は残っており、ミュシャという人はどれほどやっかいな仕事を残してくれたのだろうと恨みがましく思うこともあるけれど、ミュシャを巡る旅の現時点での報告として読んで頂きたい。