『新選組の料理人』刊行記念インタビュー 門井慶喜

インタビュー

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新選組の料理人

『新選組の料理人』

著者
門井慶喜 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334912222
発売日
2018/05/18
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

「入隊してみたら、そこにいたのは、やっぱり人間だった」

[文] 門井慶喜(作家)


門井慶喜さん

――今日(4月21日)は、新宿御苑にいらしたんですね。

門井 ええ。安倍(あべ)総理主催の「桜を見る会」に、総理大臣から招待状をいただきまして、めったにない機会だからと思って、行ってきました。いい経験でしたね。桜はもう散ってしまっていて、完全に「葉桜を見る会」だったんですけど(笑)。一般の招待客が一万人……もっといたのかな、芸能人の方も何人かいらしたみたいで、僕の知っている方だとミッツ・マングローブさんがいました。あと、ピコ太郎(たろう)さんも。で、御苑内の沿道にズラッと並んで待っていると、まず最初に昭恵(あきえ)夫人が来て。

――渦中の。

門井 渦中の(笑)。写真撮りました。沿道からキャーキャー歓声が上がる中、昭恵夫人が通り、続いて安倍総理が通り、その横にはSPがいるという。まあ、ただそれだけの経験だったんですけど、たとえば戦前の天皇の巡幸のシーンなんかは、これで書けるようになったな、と思いました。

――安倍総理から特に声掛けられたりとかはなかったんですか。

門井 なかったですね。ハイタッチだけ、みんなとしてましたけど。

――ハイタッチ!?

門井 そうなんです。あらかじめ係の方から「ハイタッチが来ますから、みなさん手を出してください」というお話がありました(笑)。芸能人の方とかは違ったのかもしれませんが、僕は支持者の方たちと同じような、一般客の扱いでしたので。

――「一般客」に招待状がくるような催しではないと思いますけどね。この会が象徴的ですが、直木賞以後、今まででは考えられないようなお誘いが増えてきたのではないですか。

門井 「ゴロウ・デラックス」と「タイプライターズ」というテレビ番組に出ました。今まで歴史物のロケなんかはやったことがあったんですけど、スタジオで大がかりなセットのなかに入るのは初めての経験でした。テレビって、一つの番組を作るのにこんなにたくさんの人が働いているんだ、というのが、新鮮な驚きでしたね。

――講演会も増えてますよね。

門井 僕は歴史分野の作家なので、講演自体もともと多かったんですが、やはり激増していますね……。全部は引き受けきれない状態です。あちこちから声を掛けていただきますし、講演料も上がりました(笑)。受賞作が宮澤賢治(みやざわけんじ)の父・政次郎(まさじろう)の話でしたので、その縁でご子孫の方に会うこともできました。宮澤和樹(かずき)さんという、賢治の弟のお孫さんですね。作品も読んでくださっていて、「ウチに伝わっている政次郎の像とは違う」と言われてしまいましたが(笑)、もちろん、ご理解してくださっていて、「これはとても面白い小説である」とも言ってくださいました。

――まだまだ取材が続きそうですか。

門井 いっときよりはインタビューなどの件数も落ち着いてきて、だんだん書く方に戻りつつあります。講演をお引き受けする場合でも、執筆のスケジュールを邪魔しないようにと考えてやっているつもりなので。ちなみに、来月(5月)は苫小牧(とまこまい)で講演会があります。苫小牧にも宮澤賢治の記念会がありまして、そういうご縁だったら、いろいろ見てきたいものもありますから。今、産経新聞で旅のエッセイを書いていますので、その取材にもなりますし。

――作品が注目され、話題になると、歴史小説の場合、宮澤賢治のご子孫に会うような機会にも恵まれ、より詳しい資料や証言を得ることもできると思いますが、一方で、歴史小説は史実のすべてを書きあらわすことが目的のものではありませんよね。どの程度虚構を混ぜていいのか、どのような按配で歴史小説は書かれるべきなのか。門井さんはどう思われていますか。

門井 基本的に、史実はあくまでも情報に過ぎないので、人間の動きは記録されていても、それだけではその人間自体の明確な像を結ぶことはできません。人間像を見せるのが、歴史小説であろうと恋愛小説であろうと、小説の重要な機能だと思います。その意味で史実は、人間像を描くための材料、とまで言ったら言いすぎなんですけど、間違えてはいけないと思っています。とはいえ、史実は調べられるだけ調べた方が、特に僕のような作風の場合、読者に対する説得力が上がりますので、いいんです。史実の正確さは、できるかぎり追いかけます。で、どこからフィクションにするべきかは、題材次第ではあるんですが、僕としては、「史実がわからないから、話をこしらえようか」という考え方は、あまり好きではないんですね。それは逃げのフィクションです。わからないことがあったら、その周りの史実を調べて、そこから類推していって、「これしかない」「これ以外の事実は考えられない」というところまで追い詰めてから、その解釈をフィクションとして書く、という風にしています。これが攻めのフィクションです(笑)。

――多くの読者を獲得している歴史小説の中には、あえて史実と違う展開をさせたり、登場人物を取捨選択したりするような作例があります。門井さんはそういうやり方はとらない……?

門井 それが、人間を描くという意味で、読者に重要なインパクトを与えることができるようなものであれば、史実と違っていても、無視します。

――そうなんですね! 少し意外でした。ちなみに、最新刊『新選組の料理人』および前作『新選組颯爽録』で「史実とは違うけど、あえてこうした」というような場面やエピソードはありますか?

門井 新選組の場合は、もともと得られる情報が非常に豊富なので、そのようなことはしなくてすみました。むしろ「史実に二通りある」というようなことが多かったです。『新選組の料理人』は京都が大火に包まれる「どんどん焼け」から始まります。これは、長州が蛤御門(はまぐりごもん)の変で追い出されたときに、火を付けて、京の町の三分の二が焼けたと言われる大火なんですが、このとき、京の民衆に対する、ある種の人気取りとして、炊き出しが行われました。史実としては、これは薩摩藩がやったんです。新選組も炊き出しをやったとは、どの資料にも書いてないんですが、前後の状況を見る限り、これはやったに違いないだろうと。そう確信して作中にそういうエピソードを書きました。

――新選組を扱ったフィクションの作例はとにかく多くて、史実をあまり踏まえてないものも少なくない。「真田(さなだ)十勇士」などの歴史講談にも近いイメージの素材だと思います。なぜこんなに人気があるんでしょうか。

門井 どう書いても、登場人物の八割くらいが男の人になるんですよね。新選組の再評価が始まったのは昭和初期なんですけど、男性が読めば「男たちの世界」が、女性が読めば「自分たちの知らない世界・心理」が書かれているという、それがどの時代にも非常にわかりやすかったのではないでしょうか。性別の偏りから、恋愛ものにはならない物語装置だということが明確になるのも、よかったのかもしれません。

――門井さんは、新選組を歴史の中でどのように位置づけて作品化しているのでしょうか。

門井 昔は、正直、頭の悪い連中だと思っていました(笑)。田舎から出て来た連中が、「剣が強いぞ」って、剣振り回して京都まで来て、後先考えずに志士を倒した、というようなイメージですね。今はひとりひとりの隊士たちと付き合いが深くなっちゃいましたので、組織全体を評価するというような気持ちにはなれなくなっていますね。

――隊士の中で、門井さんは誰に思い入れが強いですか?

門井 近藤勇(こんどういさみ)っていう人には、僕は非常に惹かれるものがあるんですね。今までは、司馬(しば)さんの『新選組血風録』なんかでも、腕っ節やリーダーシップはあるけれども、時代を見誤った、というような描き方をされているんですけれども、まあ、誤ったは誤ったにしても、常に自分を高めようとしていて、たとえば京に行って、池田屋事件によって、剣で名が立ったと。そしたら、そこで満足しないで、今度は幕閣に入っていって、そこで自分の発言力を高めようとする。それによって、この日本を少しでも良くしようとした。そういう意味では、非常に志の高い政治家という一面があるように思います。彼は単なる剣士ではないということを、今作でも書いたつもりです。近藤に比べると、土方歳三(ひじかたとしぞう)はそこまでは考えていない。多分、内部統制を考えていたと思うんですね。

――門井さんの描く、土方歳三の人物像は独特ですね。このようなかたちで土方を描いた作品は、過去になかったと思います。

門井 『新選組颯爽録』で、実は剣が弱かった、たいしたことはなかったというようなことを書きました。これは奇を衒(てら)ったわけでもなんでもなく、周りの史実から類推した結果、間違いない、この解釈しか成立しないと確信して書いたものです。新選組は過去に何人もの方が書いている。そうすると、新たに書くならば、読者に何らかの新しい人物像を提示しなければならない。ですが、それは作ろうとして作っちゃだめだと思うんですね。わざと逆張りしようとすると、話そのものに無理が出てきてしまうし、史実とも矛盾が生じてしまう。なにより、読んで面白くない。無理に逆張りをしたわけではなく、普通に史実を類推して書いたら、それが結果として世間の解釈と逆になったという意味で、土方の人物造形は理想的だと思います。

――最新刊『新選組の料理人』は新選組に賄方(まかないかた)として入隊する菅沼鉢四郎(すがぬまはちしろう)という男が主人公になります。彼は、架空の人物ですよね?

門井 そうです。京都に来てからの新選組に途中入隊して、剣はからきしなんですが、隊士のみんなのために料理を作るという人物です。前作は剣で戦うとか、攘夷がいいのか開国がいいのかとか、どちらかというと社会科学的な色のある新選組の話でした。今作は、それに比べると、人文科学的な新選組の話にしよう、と。新選組は戦闘集団の側面が有名ですし、前作ではそういうシーンもいろいろ書きましたが、「ずっと戦っているわけじゃないよね」と思いまして。「日常の生活もあるはずだよね」と。それで、日常生活を題材にすることにしたんです。当時、武家屋敷では、「握り飯を女性が握るのはダメだ」と考える人たちもいたらしいです。お米は武士の魂といいますか、お米を仲立ちに主君との関係が成立していましたので、そういうものを女に触らせるのはよくない、という考え方があったみたいで。その考え方が正しいかは別として、非常に面白い考え方だな、と思いました。そんな理屈をつけてまでして、当時の武士も食べ物にはこだわりがあったわけです。「食うのも戦いのうち」とは本文にも書きましたけど、そういうこだわりがあった。新選組だって、食べるのは人より食べているはずだけど、そのあたりについて書かれた小説は今までなかった気がする。じゃあ、それでいこうか、という風に考えが固まっていきました。

――実際に賄方に類するような役割の人物はいたんですかね、新選組には。

門井 壬生(みぶ)にいたころは、近所のおかみさんが賄いをやっていたんじゃないかと思います。そのあとは、子母沢寛(しもざわかん)が書いていますが、近藤や土方のような上級幹部は屯所の外に休息所を持つことが許され、愛人を持つことも許されていました。で、その休息所に屯所からお弁当を届けさせたというんです。ということは、少なくとも、このお弁当を持っていくのは隊士のはずですよね。だとしたら、作っているのも隊士じゃないかと、これは想像ですけど。

――菅沼鉢四郎の相方とも言える本作のもう一人の重要人物が、原田左之助(はらださのすけ)です。この役割を原田に担わせた意図はどういったものだったのでしょう。

門井 剣がからきしでご飯を作るのが上手な主人公に対置する人物として、剣は強い方がいいであろうと。で、武士が飯を作るということに対して、理解がない方がいいであろうと。そういう人物像に合致する隊士は誰かと考えたときに原田左之助が思い当たりました。本作のラストに描こうと思っていたあるエピソードが原田にまつわるものだったことも理由の一つです。

――彼は非常に人間臭いですよね。新選組全体が持つ、青臭さとか潔癖な印象とは一線を画す部分がある。

門井 新選組が弱くなっていくのと軌を一(いつ)にして弱くなっていった人物なんですよね。小説では、「新選組」という集団が弱くなっていくことは書けないんです。でも、ひとりの人間が弱くなっていくことは書ける。ですので、ひとりの人間を描くことで集団が弱くなっていくことに換える、あるいは読者にそう錯覚させるという書き方をします。そのためにもっとも適した人物が原田左之助だったということもありました。

――これで新選組を扱った作品が二作まとまりました。このあと、すぐにまた新選組を書くことはありますか?

門井 もともと僕が目標としていたのは敬愛すべき司馬遼太郎(りょうたろう)さんの『新選組血風録』でした。僕とは解釈は違いますが、尊敬しています。この作品は連作短編で全十五篇でした。僕は十二篇書きました。量は少し足りませんが、質的には並びつつあるという自負もありますので、今のところ、次っていうことは考えていません。

――書き上げてみて、あらためて新選組というモチーフは、門井さんにとってどういう存在でした?

門井 好意的な意味で、かっこわるい集団だな、と。チャンバラは強かったけど、失敗はするし、市民に対して威張ったりもするし、逆に顔色を窺ったりもするし。隊内も、必ずしも一枚岩ではないし。知れば知るほど、普通の組織だな、と。

――人斬り集団と恐れられていたけれど、そうばかりでもないわけですね。

門井 擬似的な意味で、「入隊してみたら、そこにいたのは、やっぱり人間だった」と。そういう感じです。歴史物は難しいというのは誤解です。予備知識もほとんどいりませんから、この本で、みなさんにも手ぶらで新選組に入隊してもらいたいですね。

光文社 小説宝石
2018年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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