直木賞候補作『傍流の記者』著者インタビュー 組織の中で闘う男たちの生き様を描く

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傍流の記者 = Five plus one newspapermen

『傍流の記者 = Five plus one newspapermen』

著者
本城, 雅人
出版社
新潮社
ISBN
9784103360537
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

直木賞候補作『傍流の記者』著者インタビュー 組織の中で闘う男たちの生き様を描く

本城雅人さん
本城雅人さん

 18日、直木賞候補作6作が発表された。目利きの読者にとっては、半期毎に選ばれる候補作を読み、「次代の書き手」や「エンターテイメント小説のこれから」を占う方も多いだろう。
 今回、『傍流の記者』で初めて直木賞候補に選ばれた本城雅人さん。新聞社で働く社会部のエース記者5人が、日夜スクープを追いかけたり、部下や家族との関係に苦悩しつつも、激しい出世レースを繰り広げる同作。組織の中でどう動くのか、出世か、家族か、組織か、保身か、正義か、嘘か――。自身も元新聞記者という肩書きを持つ本城さんに、同作にこめた想いを伺った。

■失敗が糧に

――直木賞候補になりました。

 作家は人からの客観的な評価を直接聞く機会がなかなかないので、こうして候補にしていただけると、自分が書いてきたことが間違っていなかったのかな、と大変ありがたく感じます。

――初めての候補ですが、これまで本城さんから直木賞はどうみえていましたか

 意識していなかったといえば嘘になりますが、あまり現実感はなく、もっと上で頑張っている人がいるという憧れみたいなものでしょうか。実は、デビューしてから、漫然としてしまうようなことが何度かあったんです。締め切りに向けて書くのですがどこかで自分に言い訳をしてしまうような。「これは出来が何パーセントでこれからよくする」とか、留保を付けて提出してしまうような。一人で仕事をしているものだから、線引きをするのも自分。楽をしようと思えばいくらでも出来てしまうんですよね。でも、これではいけないなと思い始め、他の作家はどうだろう、と意識するようになったんです。直木賞の候補にあがるような作家たちは何度も書き直して作り上げているに違いない、などと。

――直木賞の候補に挙がるのは初めてですが、吉川英治文学新人賞を受賞されたり、賞の候補にはすでに何度かなっていますね。

 受賞は嬉しかったですが、その前年に二つの賞で候補になって落ちたときの方が記憶には残っています。二度とも、僕を担当してくれている編集者と一緒に、いわゆる待ち会をしました。大勢で待ち会をしたときは落選の報せを受けても、しんみりしているのは集まってくれた編集者で「まぁ、しょうがないですね」「次頑張りましょう」などと、自分から言っていました。人前でいい恰好をしたせいで、その瞬間は落ちた実感がまったくなくて、後々になって徐々に悔しくなってきたんです。そのとき、やはり悔しさはその瞬間に受けた方がもっと身に染みるなと反省しました。ダメなときはその悔しさを味わって、悔しさを噛み締めながら次はこうしようなどと考えた方が、次に繋がるなと思えてきました。それで前回の吉川賞の時は待ち会をやらずに、普通に担当者と次作の打ち合わせをしていました。

――負けを受け入れるということでいうと、今回の候補作『傍流の記者』第一話「敗者の行進」でも同じ様な場面が描かれていますね。ある失敗をしてしまった後輩記者をさらし者にするのか、チャンスを与えて守るのか。

 まさに新聞記者時代を含めてそれまでの自分の失敗が糧になった一篇でした。主人公の植島は、特ダネを落とした後輩記者が部内でさらし者にされたとき、上司にくってかかります。新聞記者は日々取材の連続ですから、プライドを傷つけるよりも、いち早く次の取材に向かわせて失点を取りかえさせたほうがいいと。僕も記者時代に同じような経験をしていて、その時「会社に上がらせるべきだろ」と言った上司に、「そんなの意味ありますか」と不満を言いました、でも上司に「おまえがやらせている方が記者は気持ちは楽だ」と言われて、ハッと目が覚めました。実は今回、担当編集者からも「これは植島よりも上司の方が正しいかもしれませんね」と言われたんです。恥をかけば、そのときは本当に嫌で嫌でたまらないと思うのですが、ある意味そこで終われる。それでも悩んでいたら一緒に飲みにでも連れていって、悔しかったろうと慰めてやってもいいかもしれません。でも誰かに守ってもらうとその時はほっとしても、成長できないのではないかと。けっして部長の考えだけが正しいのではなく、植島の先を見越したやり方も間違っているわけではないので、読む人の今の立場によって感じ方がそれぞれ変わるかも知れませんけれど。

■メディアの正義

――本作には植島を始めとした社会部最強の同期が5人、それに元々は社会部だったけれど今は人事部にいる謎の男がでてきます。着想は以前からあったのでしょうか?

 昔から、『七人の侍』や『荒野の七人』みたいな組織やチームの中で優秀で個性的な面々が、その個性をぶつけ合って物語が進んでいくものを書きたいと思ってました。みんな違う方向を見ているけれど最後は一致団結して戦うという話が好きなんですね。ただ、書いているうちに想像していたのとは次第に別の物語になりました。それもまた、自分で小説を書く悦びといえるかもしれません

――最強の同期は、確かにあまり仲が良いとはみえませんね……。

 認め合ってはいるんですけどね(笑)深いところでは信頼し合っていると思いますよ。これは僕の持論でもあるのですが、組織は仲がいいに越したことはないけれど和気藹々としているだけでは化学反応のような合致した力は生まれないと思っています。例えば、同期の誰かが成功したとします。祝福しながらもどこかで嫉妬を感じる事ってありませんか? 「どうしてあいつばっかりうまくいくんだ」って。そう思える事が組織で戦うには大事だと思うんですよ。足を引っ張ったりしたら駄目ですけど、「自分も」と張り合うことは組織全体を強くしていく。組織は一人一人の集合だから、それぞれが強くならないと、よくならない。飛びぬけたエースが一人いたって駄目なんです。

――本城さんは記者経験も豊富ですし、記者は書きやすいテーマだったのでしょうか?

 書きやすい反面、自分が好きでやっていた記者をしていたときと現在では、世間のマスコミへの見方が変わっています。正直、今はわざわざお金を払って新聞や雑誌を読まない時代になりつつあります。ニュースにマスコミが介在することでノイズが混じるとさえ思われているかも知れません。そんな時代に、記者やデスク、部長は何を考えるべきか、と物語を書きながら常に考えていました。自分が記者をしていたときの価値観のまま「メディアは誇りを持って仕事をすればいいんだ」と書いても、読者の同意は得られない。だから、今の記者、今の読者、もっと大きく言えば今の会社員がどう生きようとしているのか、を描いたつもりです。そうすると彼らの悩みや葛藤が見えてきました。

――確かに、現在は新聞やテレビの正義感も問われる時代になりつつあるようです。

 元々新聞社って、正義と正義のぶつかり合いを日々繰り返しているところなんだと思います。社会部には社会部の、政治部には政治部の正義があります。政治部は、自紙の社論に照らして国をよくすることが第一の正義であって、極論すれば法さえ犯していなければ問題ないと思っている節があります。だから、政治家の女性スキャンダルを知っていても、頻繁に高額な料亭で会合していても、国をよくするほうが第一だから。ですからほとんど報じません。一方社会部は、扱うのが交通事故から動物が脱走した話、森友加計学園問題まですっぽりと社会全体ですから、法よりも前に“人”がいて、それを読者がどう感じるかが記事にする判断の基準なんですね。政治部と、社会部とでは持っている物差しが違う。だから、対立しやすいんですよね。例えばなにか政治家にまつわるスキャンダルがあったとします。政治部が「法的には問題ない」といえば、社会部は「じゃあ違法性を徹底的に洗ってやる」と喧嘩のようにして取材にでかける。政治部は政治部で、新しい政治的事実を掴んでそれを報じていく。そうやって紙面のクオリティーは上がっていくことがあると思います。

――『傍流の記者』でも政治部と社会部が激しく議論しますね。

 主張すべきことは違うんですが、彼らも彼らでお互いを認め合っています。それは社会部の5人が認め合っているのと同じです。どちらかが強いだけではだめで、「最近社会部のスクープが多いから政治部も頑張ろう」とか、常にライバル視しているんですね。でも組織を引っ張るという意味では同じ中間管理職の悩みを持っているから、食堂では「お互い大変だよね」と愚痴ったり(笑)

■新聞という組織を書く

――中間管理職という話ですが、登場人物達は、個人としては優秀ですがデスクになり部下も増えます。

 中間管理職の辛さってあると思うんです。自分一人だったら簡単にできるのに、後輩に任せなければいけないし、上司からは色々無理難題をいわれる。優秀な人材が板挟みになって何に悩むのか、書いてみたいと思っていました。良かれと思ってやったことが批判を浴びたりもしますしね。例えば、若い記者に「ずっと張り込んで、様子をみてろ」といっても、やる気にはならないと思うんです。その行動に意味があるのかないのか、デスクも記者も本心で分かっていないと無駄に見えてしまう。記者自身が張り込むことの意味を見出して、自発的に取材にでかけるようにしなければならないんでしょうけど、実際には難しいですよね。何も新聞に限った話ではなく、どの組織でも頭ごなしに命令しては駄目で、きちんと意味を落とし込めなければよい仕事にはつながらないと思っています。

――「警視庁の植島」「検察の図師」「調査報道の名雲」「遊軍の城所」「人事の土肥」そして北川。物語の中心にいる人物は誰もが個性的です。

 今回のお話しを頂いたときよかったと思うのは、一篇を書くのが大体3ヶ月に1回のペースだったので、時間をかけて人物を作れたことです。新聞記者って書いているとどうしてもキャラクターが似通ってしまいがちなんです。でも、この連作短篇の場合、一作一作をまるっきり別の短編を書くくらいの気概で書いていたので、うまくそれぞれの人格が引きだせたのかもしれません。

――この6人の物語の結末は最初から決めていたのですか?

 いえ。当初思い描いていた結末とは全く違うものになりました。多分、第2話くらいまでは短編のつもりで先のことは考えずに書いていたのですが、第3話くらいで6人の結びつきがうっすらと見えてきて、一度書き終えた第4話をほぼ書き直してからは一気に変わりました。自分が計算していたもの以上のものが生まれるような手応えがありました。

――なぜそうなったのでしょう?

 先ほどの、現代のマスコミの話にも繋がってくるんですが、たぶん書いているうちに、最初に考えた結末の通りに書いてもきっと読者には伝わらないと思ったんでしょうね。自分が思う組織、家族、そして記者はこうだと決めつけても今の読者はもうそんなことは知っています。この作品に限らず、最初に組み立てた構想では、結局ありがちなものになってしまうため、僕は結末を考えずに書くようにしています。最初に結末ありきでは、どうしても都合がよくなり、読み終えた読者に驚きは生まれないし、物語に新しさは出てきません。本当は、最初に設定をしっかり決めて書いた方が書きやすし、時間的にも無駄がありません(笑)でも、やはり書いていきながらキャラクターが勝手に出来上がっていき、その人物が僕の意思に関係なく勝手に動いてくれて、そこに物語が生まれた方が新鮮で、なによりも僕自身が発見を得られます。

――今回の小説でその方法を採ってよかったところはどこでしょうか?

 北川が主人公の第六話の時でしょうか。社会部の話を書きながら一人だけ人事部の人間を第二話で登場させたんですが、第二話で出した時は彼がまた社会部に戻るか、それともどこか違う場所にいくか決めていなかったし、彼が社会部を去った理由も僕は知らなかったんです(笑)。でも人事に置いたことで、人事って、組織では本当に大事な役職だと改めて思いました。次の5年、10年先を見据えて人材を配置して育てていく。辛抱や我慢がない人にはできない仕事で、秘密もたくさんあるし、人から恨みも買います。でも人事がなければ組織ボリュームアップできないんです。そういう人物を書きたかったし、彼を書けたから、記者個人の話ではなく、新聞という組織を書くこともできたかなと思っています。

――ありがとうございました。

新潮社
2018年6月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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